父に会う
滅茶苦茶緊張した入国審査も無事に済み、リクは荷物を受け取るとキースを探した。キースが空港まで迎えに来るとメールがきていたからだ。どこに居るのだろうとキョロキョロと辺りを見回した。
「どこを見ているんだ」
急に背後から日本語で声を掛けられた。キースの声の気がするが、リクの目の前に回って立ったのはスーツを着こなす細身のイケメン男性。この人は誰だろうと顔をじっと見る。この見知らぬ人物に最初混乱しかけたが、特徴的な瞳に見覚えがあった。
「キース?」
恐る恐る声を掛けてみる。キースは激変していた。あの中途半端に伸びていた髪はバッサリと切られていた。日本ではカジュアルでばかり過ごしていたが、今身に着けているのは濃いグレーのスーツに青いワイシャツ深緑色のネクタイ、首からは多分会社のIDを下げていて、IDの書かれたプレートを上着の胸ポケットに突っ込んでいた。何よりも驚いたのは髪の色で、黒髪を薄茶色に染めている。これは反則だと思った。
「一週間前と随分外見が違うけど」
「仕事だ」
リクと目を合わせずいつも通り不機嫌そうにそう言った。しかし、一週間前の姿を知っているリクは笑いたい。本当は笑いたい。キースはスタイルがいいから似合ってはいるが、日頃の外見と今の外見は全く結びつかない。違い過ぎる。でも笑ってはいけない気がしたし、キース相手では笑えなかった。
「車で待ってくれている人がいるんだ。サイモンっていう社員の一人で、日本語が話せる」
キースの後に付いて行くと少し先に停まっている車のドアが開いて、一人のスーツ姿の男性が降りてきた。三十代半ば位に見える。身長もリクより少し高い程度の外見は全くの東洋人。
「初めまして。リックです」
「初めまして。僕はサイモン」
キースやスティーブほど日本語は上手くない。妙なアクセントと発音がところどころに混ざり、少し聞き取り難い。でもリクは自分の英語よりもサイモンの日本語の方が遥かに上手いと思った。
「社長のお客さんはこの人?」
リクの荷物をトランクに積んでくれているキースに尋ねている。
「そうだよ」
車に乗り込むとサイモンの運転で会社に向かった。
「サイモンは日系アメリカ人」
キースが説明する。
「社内で先生や俺が側に居ない時、彼に通訳を頼むといい」
「よろしく」
サイモンは運転をしながらそう言った。
「こちらこそよろしくお願いします」
その後、信号で止まる度に、サイモンがリクをルームミラーで見ているのにリクは気付いた。その度にミラーにうつるサイモンと目が合ってしまい、リクは居心地が悪かった。サイモンはリクが何者か知らないので興味津津なのではと思えた。
暫く走ると車は一つの建物の駐車場へ入った。車をパーキングスペースに止めるとサイモンは車の鍵をキースへ渡し、先に建物内へ戻って行った。キースはリクの荷物をトランクから出すと車の鍵を閉める。そのまま荷物を運んで行った。
「キース、俺が運ぶよ」
「運ぶように言われているんだよ。とにかく早く行って先生に会ってくれ」
キースはうんざりしているようにそう言うと、速足で歩き出した。
「キ、キース?」
リクも後を追い掛ける。会社の受付には話が通っているようで直ぐに中に入れてもらえた。建物の二階部分の廊下をキースの案内で進む。すれ違う社員達がやはり先程のサイモン同様ジロジロとリクを見ていた。キースが立ち止まるとドアの一つをノックする。
「社長、キースです」
「入って」
その声を聞いた時リクはドキリとした。久しぶりに聞いた父の声だ。記憶を辿ると確かに父はこんな声だった。中に父が居ると思うとドキドキしてきた。思わず胸を押さえて深呼吸をする。
「失礼します」
キースがドアを開けた。キースは普通に開けたのだが、でもリクにはドアの動きがスローモーションに見えていた。そしてその向こうに、椅子から立ち上がり机に両手を突いて前のめりになり、ドアの方を凝視している父の姿が段々と見えてきた。お父さんだ、と言ったつもりが声になっていなかった。リクは廊下から一歩も動けない。声も出ない、足も前に踏み出せない。
「リック!」
キースが先に部屋に入り荷物も入れるとドアを押さえた。全開のドアから何とか中へ、リクは思い通りに動かない足で必死に一歩を踏み出す。エドは机を回り込んでドアへと一直線に駆け寄った。そして思いっきりリクを抱き締めた。
「よかった。やっと会えた」
抱き締めるエドの声は震えていた。
「日本にいるメンバーからメールが届く度に、心配で心配で」
エドはリクを抱き締めたまま離そうとしない。リクはいい加減苦しい。
「社長、私は仕事に戻ります」
キースの事務的な声が聞こえてきた。それでやっとエドはリクを離す。
「ありがとうキース」
キースは車の鍵をエドに渡すと部屋を出て行った。二人は部屋に残される。
「一年前より背が伸びたね」
エドはリクを来客用ソファに座らせる。
「疲れていないか?」
「大丈夫だよ」
疲れているという程ではないが少し眠い。今頃日本は朝だ。飛行機の中で殆ど眠れなかったので睡眠不足気味かもしれない。
「まだ仕事が終わらなくて。ちょっと待っていてくれ」
エドは部屋の隅にある小型の冷蔵庫からミネラルウォーターを一本取り出すと、ソファの前のテーブルの上に置いた。
「喉が渇いていたら飲んで」
そう言ってエドは机に戻ってパソコンの画面を見ている。リクはミネラルウォーターの蓋を開けると一口飲んだ。社長室ってこんな感じの部屋なのかとさり気無く辺りを見回す。
仕事用の机と椅子。応接用のソファとローテーブルのセット。本棚や収納。机の上には電話、書類の束や筆記用具以外に写真立てがいくつかあるが、リクの方向からでは写真は見えない。ウィルや妻や両親の写真、その辺りだろう。部屋の中は殺風景で仕事をするに当たって必要最小限の物だけ。これがエドの好みなのかもしれないが、エドは父であってもリクはエドの好みなんて知らない。
チャンスもこの建物内に居るのかキースと仕事中なのかそれを尋ねてみようかと思ったが、やっぱり眠い。頭がぼんやりする。ソファの背凭れに寄りかかって目を瞑ったらそのまま眠りに落ちていった。
高さ五十センチ位だろうか。静かに燃える火。リクの目の前にはトーチがあって数歩近付けば触れられそうな距離だ。こんなに近いなんて初めてだ。それなのにリクの足の方が動かない。いつもはあんなに遠くて走っても走っても近付けなくて、でも今日はこんな傍にいるのに足が全く動かない。
「リク!」
キースの声だ。なんでキースがここに居るのだろう。でも見回してもキースは居ない。ここにいるのはリクとトーチだけ。
「リク!」
再びキースの声だ。目の前にはトーチ。じゃあこれは夢、今は朝なのか。学校に遅れる、目覚まし時計は。頭の中が混乱する。キースが呼んでいる。とにかく起きなくては。目を開けると見慣れない天井。そして目の前には髪を切って茶髪にしたキースの顔。思い出した。空港で会ったキースだ。そして更に思い出した。ここはエドの会社だ。
リクはいつの間にかソファに横になって眠っていた。上体を起こすと辺りを見回す。
「待たせて悪かったね。急な仕事が入って」
エドの言葉に時刻を確認すると午後七時三十分。リクはここで四時間以上爆睡していた。
「帰ろうか。お腹すいたか?」
リクは首を振る。今日は目の前にトーチがあったから走らなくて済んだが食欲はあまりない。キースがリクの荷物を持って部屋を出て行く。リクがソファから立ち上がりその後に続くと、エドは電子機器の電源を落としたり引き出しの鍵を絞めたり確認を始めた。電気を消して最後にドアに鍵を掛ける。それから三人で駐車場に向かった。もう午後八時近いのに外がまだ明るい。昨日までいた東京の午後八時はこんなに明るくなかったのを思い出す。
先程空港への迎えに使われていた車のトランクに荷物を積み、エドの運転でエドの家に向かった。そしてその日リクの記憶にあるのはそこまで。
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