寝惚けたキース
火曜の夜。また同じ夢を見た。真っ暗な中にぽつんと見える炎。それに向かって歩き続ける。きっとあれがトーチだ。夢の中のリクはそう確信する。でもどれだけ歩いても届かない。近付けない。どうしたら辿り着けるのだろう。走り出し、その瞬間、咳込んで目が覚めた。
金曜日の夜六日ぶりにポールが、出張の大きな荷物を抱えたまま現れた。ずっと仕事で地方にいたそうで今日やっと帰って来たという。心配だからと自宅に戻る前にリクの所へ立ち寄ってくれた。
風邪をひいて七日、喉の痛みは大分ましになったが咳が酷く鼻水も出てきてマスクとティッシュが手離せない。熱は日によって平熱と微熱を行ったり来たりだ。高熱が出るほど悪化もしないが、すっきり治りもしない。
ポールはリクの額に手を当てたが今日は眠らされなかった。
「もうそろそろ眠らせなくても大丈夫かな」
「え?」
「治療や診察に慣れてないと不快感を訴える者が偶にいるんだよ。それで初めて一族の力で治療を受ける者は大体眠らせるんだ。今、気分はどう?」
「大丈夫です」
リクの返事にポールはリクを眠らせずにそのまま続けた。しかし治療を止めて額から手を外した。
「うーん、治療してもまたすぐこの状態に戻りそうだな。急がずゆっくりと体を戻して行こう」
そう言ってポールは帰った。どうやらリクの状態は簡単に良くならないようだとがっかりした。当分は体育も見学だ。
また一週間が過ぎた。リクは数日置きにあの夢を見るようになった。
相変わらずリクの風邪は良くならず、でもキースに風邪はうつらない。因みに一緒に居ることが多い笹本にもうつらないし、クラスメート達からもうつされたという苦情はない。微熱は出なくなったが喉と鼻が痛くて咳と鼻水が出る。食事は取れるが、睡眠は数日置きに夢に邪魔され上手く取れない。毎日ではないのでまだましだが、このところどういう訳かあの夢を見て夜中に目が覚めると、もうその後なかなか再び寝付けなくなってしまう。眠れず溜息を吐くリクを、チャンスが枕元で心配していた。
そんな最悪なコンディションの中、校内で行われる模試の日となった。テスト範囲が決められていないので、正に実力で受ける。上位三十人は名前が貼り出されるそうだ。リクや笹本には無縁な話だが上位五人に雨宮・川原・田端が入るかもしれないので、採点が終わるのがリクは楽しみである。
何とか模試一日を乗り切り校門を出るといつものようにキースに電話をした。しかし何故か何度掛けてもキースは出ない。
仕方なくリクはマンションに向かって歩き始めた。途中のコンビニでのど飴を買って口の中に放り込む。薄荷で喉の奥がスッとする。薄荷が効いている間だけは喉の痛みも軽減するので一日何粒も舐めてしまい、学校の行き帰りにコンビニに寄ってのど飴を買う羽目になっていた。
小さくなった飴を奥歯でガリガリ噛み砕きながら、リクは部屋のドアの鍵を開けた。
「ただいま」
部屋の中は静まり返っていて誰もいないみたいだ。でもキースの部屋のドアが半分開いている。中にキースがいるのだろうかと、リクは中を覗き見た。
「え?」
キースはベッドの上で仰向けに眠っていた。
「お帰りなさい」
キースの机の上のチャンスに声を掛けられた。
「ただいま。キースは?」
リクは半開きのドアを全開にして部屋の中を見渡す。キースはリクとチャンスが会話していても起きる気配はない。静かに寝息を立てるキースを見てリクは焦った。とうとう風邪をうつしたのかと。
「十一時頃寝たばっかりなので」
「ええ? 十一時って昼の十一時だよね」
「はい。昨晩というよりは今朝がたという時間ですが、午前三時頃に本国の社員から連絡がきてどうしてもとお願いされて、十一時まで仕事をしていたんです。その後キースは昼も食べず、スマホの着信音にも反応せず、眠り続けています」
キースは今朝、夜中の仕事について何も言わなかった。一緒に朝食を食べてリクを学校へ送って行った。仕事を抜け出していたのかと思うと申し訳なかった。
「疲れるよな」
キースは深く眠っているのかピクリとも動かず、先程と変わらぬ規則正しい寝息を立てていた。ここ数週間リクの負担を減らそうとキースは家事を殆どやってくれている。チャンスの使用を制限されても仕事を請け負っているし、リクの勉強もリクの健康状態に気を配りながら見てくれている。登下校も付いてくる。
ポールは急がずゆっくり体を戻そうと言ってくれているが、眠るキースを見ていると負担を早く減らしてやりたくなった。クローゼットからタオルケットを一枚取り出してそっとキースに掛ける。しかし。
まずリクが最初に感じたのは背中の衝撃。壁に叩きつけられたのだとわかったのは、チャンスの声が聞こえた直後だった。
「リク様! キース!」
間髪を入れずに首に手が掛かった。そのまま首を壁に縫い付けられるような形になり、首が絞まる。が直ぐに首を絞める力が弱まった。そこまでの全てが一瞬であった。
「え? リク? え? 何で? 学校は?」
頭のいいキースとは思えない間抜けな言葉が次々と口から零れ出てきた。寝惚けているとしか見えない。
チャンスがキースに声を掛け何があったかをキースに伝える。リクはその間、床に蹲って喉元を押さえて咳込んでいた。風邪の所為か、背中をぶつけた所為か、首を絞められた所為か、息が苦しかったし吐き気もする。チャンスの話を一通り聞き終えるとキースはリクの斜め前に屈んだ。
「済まない、大丈夫か? 侵入者かと勘違いして」
まだ咳も呼吸も落ち着かない。声が出ない。汗ばんだ顔を上げてキースを見ようとしたが急に恐怖心が湧き上がってきて、キースの胸辺りまでしか見上げられなかった。キースの顔を見るのが凄く怖い。苦しそうにしているリクの背中を摩ろうと思ったのかキースがリクに手を伸ばしたが、その手は躊躇うように中途半端に止まりそして引っ込められた。リクは再び完全に下を向いて床を見る。
「大丈夫。勝手に部屋に入って、驚かせてごめん」
やっと声が出せたのは五分後位。しかしやっと絞り出したリクの声は、かなり掠れて震えている。それまでリクは気付かなかったが体も全身小刻みに震えていた。ウィルに襲われた時は何とか震えを堪えた。でも今回は駄目だ。堪えられない。あの時の何倍も怖かった。確実に殺されると思った。後もう少しキースが力を込めていたら、気管が潰されたか首の骨が折れていたか。キースはやろうと思えば一瞬でリクを殺せるのだと思い知らされた。
その恐怖でキースの顔を真面に見られそうもない。顔を上げられない。でも……早くキースを安心させてあげたい。キースは寝惚けただけだ。勝手に部屋に入ったリクも悪い。このまま震え続けていればキースが不安なままだ。
おさまれ、おさまれと何度も自分に言い聞かせるが、恐怖で固まった体はいうことを利かない。それでも体を震わせたまま、首を軋んだ音が聞こえそうな位ぎこちなく動かすと、ゆっくりとキースの顔を見上げた。
キースはどうしてこうなったのか理解できていないようで、明らかに困惑した表情を浮かべていた。リクと目が合うと一瞬傷付いたような顔をした。リクはそれを見逃さず、でも掛ける言葉が思い浮かばなかった。
チャンスが床に下ろせと叫んでいた。それに気付いたキースは望み通りチャンスを床に置いてやる。
「ポールに電話してください」
チャンスは未だに膝をついたままのリクの傍に来るとそう言った。
「え? 俺は大丈夫だよ」
「その首で明日学校へ行くつもりですか?」
「首? まさか……」
リクはキースの部屋を飛び出して洗面所へ駆け込むと、鏡の前に立った。
自分の姿を見て息を呑む。鏡の中に映る首にはくっきりと人の手形が付いていた
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