第6話
相手を理解すること――フィアはそれこそが対人関係において、何よりも重要なことだと考えている。
フィアの記憶している限り、「彼」が死ぬまで戦い続けた異世界は、世界中に悪意ばかりが広がっている悲しい世界だった。
地球もまた、日本は戦争こそしていないが人の悪意そのものはそこら中に存在しており、海を越えれば世界はそれ以上の悪意が蠢いている。
フィアは敬虔な宗教家ではないし、世界中から人々の悪意が無くなるなどとは考えていない。
しかし、せめて自分の目の前の悪意ぐらいは消すことは無理でも、「理解」はしてあげたかった。
フィアの頭には自分が何かを理解することが出来なかった為に、取り返しのつかないことをしてしまった「彼」の記憶がある。
それが何なのか……「彼」が何をしてしまったのかまでは覚えていない。しかし、フィアの人格に影響を与えるほどの後悔がそこにあったのだ。
だからこそフィアは、自己満足だと思っても相互理解の気持ちを忘れたくなかったのだ。
しかし、先ほどの男達にはそれが出来なかった。
じっと見つめても、考えても。ゲームと言えど美しい自然を壊してまでも弱いモンスターを倒して喜べる彼らの心情を、理解することが出来なかったのだ。
「文句を言ってやらなくて良かったのか? あんな強面でも、中身はどうせ小心者だ。話ぐらいは聞いてくれたかもしれないぞ」
隣を歩くコウテイペンギンから、難しい顔をしているフィアを気遣うような言葉が掛けられる。
森から離れ、今フィアは舗装されていない道路を歩き、ペンちゃんの案内の下「始まりの町」を目指していた。
その間延々と考え事をしていたフィアは、彼女の言葉に応じ小さな口を開く。
「……自分の価値観を一方的に押し付けて糾弾する。それは、いけないこと。あの人達は、一生懸命モンスターを倒していただけ」
理解をしてあげることは大切だが、フィアは他人への押し付けを良しとしない性格だ。
友人が出来たことで数年前ほど自分嫌いは深刻ではないが、それでもまだフィアは自分に自信を持って生きているとは言い難かった。
そんなフィアだからこそ、彼らのことを悪役扱いは出来なかった。
故に出来るだけ好意的に考えようとしたのだが、それでもフィアには彼らの心情が今一つ理解出来なかった。
ただそのことが、フィアには悲しかった。
「いや、一生懸命じゃないだろう。あれは雑魚モンスターを相手に俺TUEEEを楽しんでいただけだ」
「フィアが嫌な思いをしているのは、フィアの勝手。あの人達のやり方も、あの人達の勝手。だから、フィアは何も言わない」
「……なんか違う気がするが、君はいいのかそれで?」
「仕方がない、こと……」
「変な子だな、君は」
変な子――ペンちゃんの嘴から何気なく放たれた言葉は、自分を指して的確に表現しているとフィアは感心する。
自分が自分に対してそう思うのも妙な話だが、フィアという少女の人物像を表すにはこれ以上なく的を射ていると思えたのだ。
「……そう、フィアは変な子……」
本来なら有り得ない二度目の人生を送りながら、自分一人では己の存在を肯定することも出来ない弱い人間。
これを変と言わずして何と言うか。フィアはペンちゃんの言葉に対して、何も言い返すことが出来なかった。
そんなフィアの様子に自分の発言が気に障ったと思ったのか、ペンちゃんが慌てた口調で訂正を入れた。
「あっ……いや、君のことを馬鹿にしているわけじゃないからな? 変な子っていうのは変わった子だなって意味で……!」
「大丈夫、フィアは落ち込んでいない。ペンちゃんさんは優しいペンギン」
「お、おぉう……」
無論、フィアは自分に対するペンちゃんの評価を不服に思っているわけではない。
寧ろそこまでフォローを入れてくれるペンちゃんに、フィアは人として好感を抱いた。
ペンちゃんは照れるように翼で頬を掻くと数拍の間を置いて言った。
「……そうそう、もう知らない関係じゃないんだし、フレンド登録しないか?」
「フレンド?」
フレンド登録の申請である。
「そう、フレンド。登録しているとお互いのログイン状況や居場所がわかって便利だし。必要な時はチャットも出来るし面白いぞ」
「フィアでいいの?」
「フィアでいいの」
フレンド、即ち登録した瞬間、フィアはペンちゃんの友人になるということだ。
フィアは彼女の提案にすぐに応じることが出来なかったが、それは決して、ペンちゃんというペンギンが友人にするに当たって気に入らない存在だからという理由ではない。
フィアにとって問題があるとすれば、それはいつだって自分自身であった。
『いい加減! 自分を卑下するのはおやめなさいっ!』
フィアは自分が「双葉 志亜」として、初めて友人が出来た日のことを思い出す。
もしも彼女と出会うことがなければ、フィアは今でもこう考えていただろう。
自分には、友達を作る資格など無いと。
しかし今のフィアには、せめて求める者にだけは自分を肯定出来る強さがあった。
「……ありがとう」
申請を受け取り、ウインドウ画面の操作を経てフィアとペンちゃんは晴れてフレンド同士となる。
自身のフレンドリストに加わった二人目のフレンドの名前を確認すると、フィアは喜びの言葉を呟いた。
「フレンド……二人目、嬉しい」
「そ、そうか? 私もフィアとフレンドになれて嬉しいよ。って言うか、私の前にもフレンドが居たのか」
「レイカという人。ペンちゃんさんと同じ、優しい人」
「そうか……後で紹介してくれ」
「うん」
最初のフレンドは昨日共にゲームを始めたリアルでの友人、城ヶ崎 麗花その人である。
フィアとは対照的に常に自信満々な彼女はゲーム世界でも自信満々であり、「この城ヶ崎麗花、ゲームの世界であろうと逃げも隠れもしません!」とリアルのままの名前、容姿で堂々とキャラメイクを行ったらしい。何とも漢らしい。
容姿がリアルのそれと変わらないのはフィアもまた同じだが、フィアの場合は自分が自分でなくなることが怖くて容姿の変更が出来なかったのであり、その理由は180度違っていた。
フィアが初めて出来た友達の姿を脳裏に思い浮かべていると、ペンちゃんがふと思いついたように言った。
「フィアはまだ色々わからないことがあるだろうから、今日は私がレクチャーしてやるよ。まだ始まりの町の場所とかもわからないだろう?」
「……でも、ペンちゃんさんにはペンちゃんさんの時間がある」
「私が好きでやっているんだ。子供は大人しく甘えておけ」
「……ありがとう。嬉しい」
「……ぬっ……!」
ペンちゃん――コウテイペンギンの姿をした彼女もまた、レイカと同じ優しい心を持っている。
出会ったばかりの自分に対しても親切にしてくれる彼女に、フィアはせめてもの感謝の気持ちを込めて礼を言った。
しかしフィアがその頬を僅かに緩めながら浮かべた笑みを直視したペンちゃんは、何故かそっぽを向くように足を止めた。
「いかん、私としたことが……」
「?」
ペンちゃんはフィアの方から目を逸らし、空を眺めていた。
一体突然どうしたのだろうかと小首を傾げるフィアだが、ペンちゃんも自分と同じで空が好きなのだろうと当たりをつけ、フィアもまた彼女と同様に空を見上げた。
どこまでも広く、澄み切った青空――見上げるだけで、フィアの心は穏やかになった。
「……アイツにもこのぐらい可愛げがあったらなぁ……」
隣のペンちゃんが放った妙に切実そうな呟きを聴き取ることもなく、フィアはただ一人吸い込まれるように青空を眺めていた。
冒険者の行き交う町、「ハーメラス」。
東に行けば数多の野生モンスターが闊歩する「始まりの森」があり、西側には水平線の彼方に広がる「フィクス大陸」――その道を阻む大海の景色が映る。
北に出れば大雪の降りしきる雪原地帯が広がり、南には灼熱の太陽が照りつける激暑の砂漠地帯が広がっている。
そんな極端な自然に四方を包囲されているこの町だが、町の中は至って平常な気温で過ごしやすい。大半の初心者プレイヤーが最初に行き着くこの町は、ユーザー達からはわかりやすく「始まりの町」と呼ばれ親しまれていた。
その俗称通り町の中は多くの初心者プレイヤー達で賑わっており、そんな彼らを客層にアイテムや装備品を販売している商店街が各所に広がっていた。
大掛かりな建物こそ少ないが、どこか中世的な街並みは「ファンタジーっぽい」として多くのプレイヤーに評判である。
尤も既に似たような景色を「フラッシュバック」を通して見たことのあるフィアは、この目新しい筈の光景に感動することもなかった。
だがそれはそれとしてこうして自分以外のプレイヤー達が行き交う町の景色には、素直に心躍るものがあった。
「ここが初心者冒険者の町「ハーメラス」だ。森や雪原を越えた先には他の町もあるが、さっき居た場所からはここが一番近いな」
「人が、いっぱい……」
「ああ、いっぱい居るな。始まりの町とはよく言うが、海を渡って西のフィクス大陸を目指す上級者も多い。NPCは少ないが、プレイヤーの人口では一二を争うんじゃないか?」
予想していた以上の賑わいに驚くフィアに、ペンちゃんはその繁栄ぶりの理由を説明する。
この始まりの町「ハーメラス」は大半の初心者が真っ先に行き着く町である一方で、ヘビーユーザー向けの経路としても扱われているのだ。
それが海の彼方に広がっているという西の大陸、「フィクス大陸」である。
「フィクス大陸?」
「ここは「ルアリス大陸」っていう場所なんだけどな。あの海の先には、強いモンスターが住んでいる上級者向けの大陸があるんだ。あっちに行くのはある程度強くなってからになるだろうが……まあ、その時が来たらまた教えるよ」
「ありがとう、ペンちゃんさん」
「ふっ、私のことは呼び捨てでいいよ。フレンドだろう?」
「うん、ペンちゃんはフィアの、大切な友達」
「……天使か」
決して口数は多くないが、ペンちゃんに対するフィアの態度は非常に柔らかく、ペンちゃんの態度もまたフィアに対して穏やかだった。
森の中からこの町に至る道中で幾度も会話をしている内に、一人と一匹は順調に親睦を深めていたのだ。
「さて、それじゃあどんどん案内していくぞ。私に着いてこい!」
「わかった」
街中に入ったフィアはペンちゃんの後に続いてトコトコと着いて行き、町並みの景色を左右に見回す。
そんなフィアに対して、周囲多数の人々から向けられる奇異な眼差しを意に介さないコウテイペンギンがくちばしを開く。
「町の外のことはさっき話したな? 西の海の向こうにはフィクス大陸があって、東にはさっきまで私達が居た「始まりの森」がある。北には私の生まれ故郷である「永遠雪原」、南には私が行ったらペンギン的に考えて死んでしまう「紅塵砂漠」がある。どこも綺麗なところだが、初心者はまずあの森から始めるのがおすすめだな」
「うん」
ペンちゃんによる、フィアの為の「HKO」初心者入門講座である。
その第一弾は、今後も世話になっていくであろうこの始まりの町「ハーメラス」の紹介だった。
「で、今度はこの町のことを説明していくわけだが、見ての通りここは冒険者の為の商人の町だ。あちこちにNPCとプレイヤーが経営している店があって、ライト層ならここで揃えられない物はほとんど無いと言えるぐらいだ」
「フィアも揃える?」
「ああ、そうするといい。少しレベルが上がったら、私の店を贔屓してくれると嬉しいな」
「ペンちゃんの店?」
「ふふ、私はこう見えても鍛冶屋――素材から装備を造ったり、鍛えたりする店をやっていてな。自慢だが結構良い物を造れるんだ」
「ペンちゃん、凄い」
「ははは、もっと褒めたまえ」
商魂たくましくもちゃっかりとこの町にある自身のマイショップを宣伝するコウテイペンギンだが、フィアとフレンドになった理由が打算的なものではないことは明らかであろう。
そんな商店街を一通り見回した後で、奥に見える大きめの建物を指してペンちゃんが言う。
「あそこに見えるやたら派手な建物は書庫、いわゆる図書館だ。モンスターのことやこの世界の舞台設定とか、ゲームの情報を調べるならあそこがお手軽だな」
「としょかん……」
フィアはこの「HKO」をまだ始めたばかりであり、当然ながらゲームの概要には詳しくない。故にこの世界の情報を調べることが出来る書庫という施設は、フィアにとって活用していく必要のあるありがたい存在であった。
頭の中でその存在をメモするフィアに対して、ペンちゃんがもう一つ付け加えて説明する。
「ああそうだ、あそこの中には初級魔法の入門書もあるから、フィアも魔法を使いたかったらそれを読むといい。魔法使いでなくても、初級魔法ぐらいなら大概のクラスが使えるからな。多分、無職でもいけるだろう」
「魔法……」
「ロマンチックだろう? ファンタジーと言えば魔法だもんなぁ」
「…………」
この「HKO」はサービス開始前から「剣と魔法のファンタジーゲーム」として大々的に宣伝されており、無知なフィアもまたこの世界に魔法が存在すること自体は予め知っていたが、具体的な習得方法までは知らなかった。
教本を読んで習得するとは、ゲームながらリアリティーさに拘りがあるということか。もしかしたらあの中には今頃、必死で魔法を習得しようと魔法の書を読み漁っているレイカが居るのかもしれない。
そんな友人の姿を想像すると、フィアの頬が自然と綻んでいった。
横並びにペンギン特有の歩き方で移動するペンちゃんは寡黙ながら好奇心の見え隠れするフィアの姿に心を和ませながら商店街を抜けて行き、この町に存在する最も大きな建物の前で足を止めた。
「あれは集会所。NPCやプレイヤーから出された「クエスト」を、あそこで受注することが出来る。フィアも何度か行くことになるだろうが、怖いお兄ちゃんには気をつけるんだぞ?」
「怖いはわからない。クエストは、知ってる」
多種多様な服装、装備を身に付けた様々なプレイヤー達が出入りする施設の名は「集会所」。プレイヤー達はこの場所で各方面による「クエスト」を受けることが出来るのだと言う。
クエストについては通常のRPGにも存在するメジャーなシステムである為、細かく説明されずともフィアにはわかっていた。
「システム自体は従来のゲームとほとんど一緒だ。集会所の受付や張り紙からモンスター討伐や素材採取の依頼とか受けて、達成したら受付の姉ちゃんに報告して報酬を受け取る。非課金勢の金策ならこれが一般的だな」
ペンちゃんからの補足にコクコクと頷き、フィアは理解を深めていく。
実際にクエストを受けるのは後回しにした上で、ペンちゃんは他の施設の説明に移った。
「あっちはレストラン街だ。ゲーム内通貨「G」を払って飯を食べることが出来るが、ゲーム的な意味はあまり無い。ただ、どれだけ食べても太らないことからダイエットに悩む世の女性達には評判だ。料理スキルを手に入れたら自分の店を出すのもアリだな。売れ行き次第ではクエスト達成以上のGが入るらしい」
「フィアは、料理出来る」
「ん、そうなのか。その歳で出来るなんて偉いな。このゲームには料理スキルなんて言うのもあるが、スキルが無くても料理すること自体は出来る。スキルがあれば手軽に美味しい物が作れたりするが……他人事ながら、リアルの飲食業界の衰退が心配になるシステムだな。プレイヤーの中には美味しい料理を作る為に世界中の食材を探してハンティングする猛者も居るが、そういう楽しみ方もある」
「ん……」
「あっちには色々と民家が見えるが、あれらはこの町に住んでいるNPCの家や、プレイヤーギルドの拠点だ。そうそう、NPCの家に入る時は気をつけろよ? ゲーム感覚で不法侵入したり中の備品を勝手に漁ったりしたら大変な目に遭うからな。フィアはそんなことしないだろうが」
「泥棒は駄目。現実と一緒?」
「ああ、そういうこと。ゲームの世界だが、ここはもう一つの現実みたいなもんだ。相応にマナーを守りましょう」
「うん、フィアは……迷惑を掛けたくない」
口数が少なく聞き上手とは言い難いフィアが相手でも、必要な知識を丁寧に与えてくれるペンちゃんの説明は実にわかりやすかった。
フィアが「ペンちゃんのおかげで町のことを理解出来た」と感謝を伝えると、ペンちゃんは「偉いな」と微笑みながら頭を撫で――ようとしたが、撫でようにもペンギンの小さな翼ではフィアの頭まで届かなかった。
悔しげに振り上げた翼を下ろすペンちゃんの様子に、「何してるんだろう?」と不思議そうな顔で首を傾げるフィア。ペンちゃんが気を取り直して向き直ると、町の説明はこれで終わりと今回の「HKO」初心者入門講座を締めた。
「今後、君が何度も世話になっていくだろう施設はこの辺りかな。特に集会所はそれぞれの町に一ヶ所ずつあって、受注出来るクエストも町ごとに違ったりするから、新しい町に行ったらまずは集会所に寄ってみるといい」
「わかった。ありがとう。フィアは助かった」
「どういたしまして。さて、説明はこのぐらいにして、フィアはこの後どうする? レストランに行きたければ奢ろう。いい寿司屋があるんだ」
「フィアは、武器を買いたい」
「武器か、なら向こうの商店街に行こうか。君におすすめの武器とか紹介してあげよう」
「ペンちゃん、優しい」
「ふふ、そうだろう? ペンギンは優しい生き物なんだ」
フィアはあくまでもゲームを楽しむ為にこの世界に居る。ペンちゃんが町の説明をこの程度で終わらせたのも、そんな彼女の気持ちに配慮してのことだった。
ペンちゃんというコウテイペンギンは、幼い子供に気遣いの出来る善良なペンギンなのである。
そんなペンちゃんの優しさに気づいたフィアは不器用ながらも感謝の笑みを浮かべながら、共に商店街へと足を運んだ。