第5話
フィアとペンちゃんは流麗な川をのんびりと眺めながら、しばらく会話を弾ませていた。
とは言っても会話の内容は、どれもリアルに踏み込んだものではない。
お互いに初対面である一人と一匹による共通の話題と言えば、このゲームに関することだけだった。
「じゃあ君は、あえてどのクラスにも就かなかったのか」
「うん」
その一つとして、フィアはフィアという自らのアバターについて話した。
この「HKO」には一般的なRPGでもメジャーな「クラス」、いわゆる職業システムがある。プレイヤーはキャラメイクの時点で初級職を選ぶことが出来、それによって装備出来る武具や、ステータスの方向性が決まるのだ。
しかしペンちゃんから自身のクラスを問われると、フィアは言葉少なく「何も無い」と答えた。
プレイヤーネーム・フィア。
種族・人間。
性別・女
クラス・無職。
戦士でも魔法使いでもなく、盗賊でもなければ武闘家でもない。
何にも染まらず、何の補正も受けない真の初期職。それこそが無職であった。
フィアが変人やマゾヒストと思われかねないその道をあえて自分から選んだのには、もちろん理由がある。
理由としては、やはり使用可能な武器の種類が限定されないところだ。この世界を全力で楽しむことを目的にしているフィアは、何よりも自由性を求めていたのだ。
フィアはクラスだのステータスだのというものには縛られたくなく、ただ空のように純粋な自由を求めていた。
彼女自身、何故そんなものに拘るのかは自分でもよくわかっていない。
しかし、このスタイルがどうにも自分には合っていると感じたのである。
「だがそれは難しいぞ? 私の知り合いにも無職でプレイしていた奴は何人か居たが、結局全員挫折してキャラを作り直した」
「フィアはフィア、フィアはその人ではない。その人も、フィアではない」
「まあ、そうだが……」
あえてクラスシステムを使わないという選択は、一般的には推奨されないプレイスタイルであることは百も承知だ。しかし、それでもフィアにはそれ以外を選ぶ気になれなかった。
それは別に、「他人とは違うプレイをする俺KAKKEE」的な意識で自分に酔っているわけではない。
「フィアはゲームを楽しみたいだけ。勝ちたいわけではない」
ゲームとは、所詮遊びだ。
それを否定する者が居ることは理解しているが、フィア自身はそう思っている。だからこそ、フィアは勝ち負けや強弱に拘わる気は無かった。
「平和的だなぁ。このゲームで君みたいな子は初めて見たぞ」
そんなフィアの言葉を聞いて、ペンちゃんが不思議なものを見たように言う。
だがフィアは、あえて言い切った。
「平和的違う。フィアはフィアなだけ」
「そうか……何となく、君のことがわかってきたよ」
フィア自身は自分を平和的な性格だとは全く思っていない。
人類が皆自分のような者ばかりだったらと想像すると、平和よりも混沌しか考えられなかったからだ。
自分の心は、どこまでも混沌としている。だからこそフィアは、ことあるごとに「フィアはフィア」という口癖で自分を見失わないようにしているのである。
「あ……」
ふとその時、隣のペンギンが大人しくしていることから警戒を解いたのか、フィアの髪の中から黄金色の宝石リスが戻ってきた。
そのままフィアの肩を伝って膝の上へと降りてきたリスの姿を見て、ペンちゃんが驚いたように言う。
「お、ゴールデンカーバンクルか……凄いな、金色の奴をこんなに近くで見たのは初めてだ」
「カーバンクル?」
「伝説上の生き物さ。ツチノコ的な感じの」
「伝説……すごい」
この世界の生き物に詳しくないフィアの為に、ペンちゃんが宝石リスの種族名を語る。
黄金色の縞模様と額に煌く赤い宝石を持つ小動物の名は「ゴールデンカーバンクル」と言うらしく、この森林に生息するが滅多にお目に掛かれない希少モンスターとのことである。
それほど人懐っこいわけではないが極めて温厚な性格で、他の大多数のモンスターのように自分から人を襲うことは滅多に無いモンスターだとペンちゃんは言った。
「そして倒した時の取得Gや熟練度アップが異様に大きいことで有名だ。本来警戒心が強くて逃げ足がやたら速いモンスターなんだが……どうする? 今なら簡単に倒せるぞ」
「この子に敵意は無い。騙し討ちは、いけない」
「……絶対にそれだけが理由じゃないだろうが、それを聞いて安心したよ」
「安心?」
「君が小動物を容赦無く倒す姿が、今一つ想像出来ないからさ」
コウテイペンギン故に表情は変わらないが、この時のペンちゃんは安堵の息をついたように見えた。
フィアとしては自分が彼女の想像しているような聖人君子だとは欠片も思っていないが、この小動物に対して敵意を抱いていないのは紛れも無い本心である為、あえて何も言うことはなかった。
視線を膝上のゴールデンカーバンクルに移すと、フィアは無意識的に手を伸ばしてその背中を撫でた。
野生ではあるがその毛並みは荒れておらず、程よい弾力に弾む柔らかな感触は時間を忘れるほど心地良かった。
撫でること数秒。ハッと我に返って自らの行為に気づいたフィアは、その手を急いで引っ込める。
ペンちゃんが、そんなフィアの行動に首を傾げた。
「なんでやめた?」
「勝手に撫でるの、駄目」
「嫌がられたのか?」
「動物は喋らない。でも、ストレス感じる。可哀想」
「嫌なら逃げるだけだろう。本物の動物のようにリアルだからな、この世界の生き物は。君が何秒撫でても逃げないってことは、そういうことだ」
「そう……?」
「そう」
自分の都合で身体を撫で回すのはカーバンクルが可哀想だと思っていたが、ペンちゃんの言う通りカーバンクルの方は特に嫌悪感を示している様子ではなかった。
寧ろカーバンクルは撫でる手を止めたフィアの顔を、心なしか物欲しそうな目で眺めていた。
しかし、その時である。
「あっ……」
ゴールデンカーバンクルは何かに驚いたようにピクッと耳を立てると、慌ててフィアの膝から飛び出し、茂みの中へと駆け出していった。
見捨てられたのか……と思ったフィアだが、直後森林内に響き渡った轟音から逃げ出したのには別の理由があることを理解した。
「なんだこの音? あっちの方からだ」
近くの場所で起こった爆発音に、フィアとペンちゃんはその場から立ち上がって周囲を窺う。
すると爆発音の聴こえた方向――目の前を流れている川の向こう側で、三人の人影が見えた。
「ひゃっははは!」
「初心者の町の近くに、こんなところがあったなんてなァ!」
「見ろよ、シルバーカーバンクルが居るぜ! 伝説上の生き物だぁ!」
「ああ! ここを俺達の狩場にしようぜぇっ!」
一人はモヒカンの男。
二人目もモヒカンの男。
そして三人目は、スキンヘッドの男だった。
いずれも身長二メートルを超える巨漢であり、その肉体は不自然なまでに発達した筋肉に覆われていたる。
その装いは鋭利なトゲの先端が光る肩パットに、逞しい腹筋胸筋を見せびらかすように前部分のはだけたジャケット。そして、大地に生える草花を無慈悲に踏みしめるイガイガの靴。
彼らは三人が三人とも同じ格好をしており、個性的なのか没個性的なのかわからない世紀末な姿だった。
「……これは酷い。いかにもな悪役だな」
「知ってる人?」
「いや、あんなのは知らんよ」
「なら、悪い人と決めつけるのは駄目……だと、フィアは思う」
三人の歩く景観破壊兵器の登場にペンちゃんがげんなりとした声を吐いて頭を抱えるが、フィアはそんな彼女の言葉を嗜める。
服装などは各々の自由、認められた正当な権利だ。あのような変わった格好をしているのも、そんな彼らの自由に沿った趣味に過ぎない。
彼らの人となりも知らずに頭ごなしに批判するのは、フィアの主義ではなかった。
「人は見た目ではない、から」
小学校時代、誰もが道徳の授業で教わったことだ。
歳を取れば現実の厳しさを思い知り、必ずしもそうではないことに気づかされるようになるのだが、フィアは現実を知ってもなおその言葉を信じたかった。
そんなフィアだからこそ、視覚情報からの判断からではなく、まずは「相手のことを知る」ことを優先して考えていた。
無垢なるその言葉に、ペンちゃんがならばと問い掛ける。
「ペンギンを見た目で判断するのはどうだ?」
「ペンちゃんさんは、見た目以外もいいペンギンだと思う。フィアは好き」
「おっ、嬉しいな。飴ちゃんをあげよう」
人は見た目で決まらない。ペンギンも見た目では決まらない。
フィアのその言葉は、本心からそう考えているものだった。
それは、ペンちゃんがフィアという目の前の少女を聡明でありながらも放っておくことが出来ない人間だと判断した瞬間である。
彼女の人を疑うことを知らないかのような純粋な瞳は、オンラインゲームにおいて尊くも危ういものに感じたのだ。
この世界では大半のプレイヤーがリアルとは異なる姿と名前を持っており、ペンちゃんもまたリアルの自分とは掛け離れたアバターで行動している身だ。
自分の身体がリアルではないが故に、罵詈雑言への忌避感が薄くなる。リアルとは違って失う物の少ないこの「HKO」というゲーム世界では、良く言えばリアルよりもコミュニケーションに積極的になることが出来るのだが、悪く言えば遠慮が無くなるのだ。
それでも仮初とは言え姿形が見える分、匿名のインターネット界隈よりは幾分も穏やかだが、フィアという純粋な少女が心無い罵詈雑言を周りから浴びせられた時、ペンちゃんには彼女の美点が歪まないか心配だった。
……初めて会ったばかりの少女に対して抱くには、少々可笑しな感情かもしれないが。
「おらァ! 喰らいなモンスター共!」
「ヒャッファイヤーだぁーっ!」
それぞれの思惑を胸にする一人と一匹を他所に、三人のマッスルが暴れ回る。
モヒカンの二人が手始めとばかりにその手に持つ魔法の杖を振るい、辺りに火炎の渦を解き放った。
どうやら彼は今にも殴りに行きそうな見た目とは裏腹に、後方からの魔法に長けた後衛タイプらしい。
フィアの人は見た目ではない発言に対して、彼は妙な形で体現してしまっていた。
「木が……」
その彼らが撒き散らした魔法は、周辺のモンスター――小鳥達を飲み込むだけでは飽き足らず、炎が木々に燃え移って木陰に潜んでいた虫型のモンスターや猿型のモンスターまでも焼き尽くしていった。
彼らの魔法の威力はエフェクトが派手なだけではなく、この地帯に生息する低レベルのモンスターを相手にするにはあまりにも過剰な威力だったのだ。
そして次々と放つ火炎はモンスターのみならず周囲の自然すらも巻き込み、つい先程まで彼らの周りに広がっていた美しい緑は見る影も無い焼土と化してしまった。
「はぁ……綺麗な自然が台無しだよ」
「…………」
「……仕方ないと言えば仕方ないけどなぁ。モンスターの討伐に魔法を使えば、ある程度周りを巻き込むのは仕方ない。私だって、川で魚を食ったりする時は色々なものを台無しにしてるし」
無惨な光景に溜め息をつくペンちゃんと、ただ黙って彼らの姿を眺めるフィア。
二人とも理性的であり、頭の上では彼らの行動を理解していた。
戦いを起こせば被害が生まれるのは必然であり、このゲームのテーマは「冒険」にあるが、戦いが主だっていることも確かだ。
自然ごとモンスターを撃ち抜くこともまた自由なプレイスタイルと言えなくもなく、運営もまた黙認している。
「壊した自然が元に戻るまで、リアル時間で一か月ぐらい掛かるんだよなぁ。そこまで本格的にせんでもいいだろ運営……」
壊した自然は一定時間が経てば元に戻る。それでも通常のゲームと比べれば多大な時間を必要とする為、しばらくあの美しい景色が見られなくなるということはペンちゃんにとっても残念なことだった。
「ヒャーッハッハッハァ!」
「アニキ、そっちに行ったぞ!」
「任せろ! フィニッシュは俺様が決めてやるぜ!」
彼ら三人の目には興奮のあまり周りの惨状が見えていないのか、それとも見えていながらもあえて自然を破壊する戦い方をしているのか。
見たところ、間違い無く後者である。大規模な自然破壊を盛大に行う彼らの姿は、リアルでの日頃の鬱憤を発散しているようにも見えた。
その姿に、ペンちゃんが「共感出来なくはない」と言った。
「でも、あれはやり過ぎだな。あのままじゃここの自然が無くなって、他のプレイヤーが狩るモンスターすら住めなくなるぞ。核の冬でも起こすつもりか? ……いや、もう起こっているのか、世紀末的に考えて」
二人のモヒカンが火炎魔法で広域を焼き払い、辛くも逃げ延びたモンスターをスキンヘッドがとどめを刺す。
一連のコンビネーションは巧みとは言えないものの慣れたものであり、彼ら三人がそれなりに優れたプレイヤーであることを示していた。
もはや戦いとすら言えない一方的な虐殺だ。彼らがいつまで続けるつもりかはわからないが、この分ではいつかこの場にやって来るであろう他のプレイヤーが狩るモンスターまで居なくなりかねないと判断し、ペンちゃんはそっとウインドウを開き、「チャット」と表記された項目をタッチした。
「さてと……「始まりの森北北東部で環境破壊を行っている世紀末トリオを、誰でもいいのでテレッテーしてください。達成した人にはペンちゃん特製の武器を無料でプレゼント! 更生までさせてくれたらさらに弾むよー」っと……。これで大丈夫だろう」
フレンド同士で共有するチャットにて、ペンちゃんは彼らの所業をいつの間に撮っていたのやら彼らの写真を付属させて流し、クエストという形で数多のフレンド達へと討伐を依頼する。
ペンちゃんにはゲーム内での友達が、フレンドが多い。その中には西の大陸の攻略に勤しんでいる上級プレイヤー達も何人か居る為、その人脈を利用すれば目の前の問題程度なら簡単に解決することが出来た。
「人脈とは最強の武器である」というのがペンちゃんの持論だ。そして多数の人間を動かせるほどの地位がこの世界で鍛冶業を行っている彼女にはあった。
案の定ペンちゃんの書き込みからチャット内は大盛り上がりであり、間も置かずに各地から多数の必殺仕事人がこちらへ向かっているという情報が発信されることとなった。
彼らの書き込みを確認すると、ペンちゃんは次なる獲物を求めて森の奥へと向かっていくマッスル達の後ろ姿に対して黒い笑みを浮かべる。獲物はモンスターではなく、お前達の方だと――可愛らしいコウテイペンギンの姿をしているペンちゃんだが、その中身は実に真っ黒だった。
そんな畜生ペンギンの横で、儚くも幼い容貌の少女が憂いを込めて呟いた。
「フィアは……」
「ん?」
「……あの人達が、わからない……」
人は見た目ではないと言ったその口から放たれた言葉は、彼らに対する憤りなどではない。
そこにはまるで、綺麗な自然を笑いながら壊せる彼らの内面を理解することが出来ない、自分自身への嘆きが込められているようだった。
やはり、なんか放っておけない子だなぁ……彼女の純粋すぎる姿に、ペンちゃんは改めてそう思った。