第37話
「HKO」の製作者の一人――自らをそう名乗った「紅井クレナ」の言葉に、志亜は目を見開く。
そんな志亜の反応に対して静かに目を伏せた後、頭一つ背の低い彼女の姿を見下ろしながらクレナは語る。
「先日、あるプレイヤーののうはに異常な数値がかんそくされた。まともなプレイではありえない、正気を失っている精神じょうたいだった」
「それは……フィアのこと?」
「ああ。そうやって今、現実世界で普通にくらせているのが不思議なぐらい、危険なじょうたいだった。本当ならゲーム自体廃止のレベルだ……だから運営権限で、お前のプレイきろくを調べさせてもらった」
今は私服姿であるが、前回会った時は高校の制服を着ていたところ、彼女の年齢は志亜とそう変わりない筈である。しかしその年齢にしてVRMMORPGの製作に関わり、運営を行っていると語るクレナの言葉には信憑性があった。
元より志亜は人を疑うことは滅多に無いが、そうでなければ彼女がフィアのことを知っている説明がつかないのだ。
「だから、知っている?」
「そうだ」
若くしてゲームの運営を行っている彼女は、その権限を使い、プレイヤー・フィアのデータを調べあげた。そして現実の双葉志亜の容姿がフィアと全く同じことから、先日会った人物がフィアであることに気づいたのだろう。
そして今、彼女は志亜と対面した。そのように経緯を察した志亜に、クレナが再度問い掛けた。
「お前は何者だ? お前もあの世界を……フォストルディアを知っているのか?」
睨むような強い眼光で、クレナは志亜の目を見据える。
核心を突こうとするその言葉は、志亜の存在を怪しみ、探っているような言葉だった。
そんなクレナの苛烈な視線にたじろぎながら、志亜は返答を口ごもる。
しかしこんな自分を肯定してくれた友の言葉を思い出しながら、志亜は決意の目で応えた。
「志亜は、志亜」
改めて名乗り、心臓の鼓動を落ち着かせる。
そして、志亜はその上で自らの知っていることを彼女に伝えた。
「志亜は、ここではない世界を知っている。ほとんど覚えていないけど……志亜は生まれる前、あそこにいた」
その言葉を放った瞬間、紅の少女からはっと息を呑む音が聴こえた。
「……そうか」
僅かに警戒の緩んだ目で見つめ直し、クレナが呟く。
志亜の言葉から何かを察したように表情を変えた彼女の姿に、志亜は続けていった。
「貴方のことも、知っている……気がする」
「? 私のことを?」
「うん……キズナと一緒に、みんなのことを温めてくれた……赤い人が、いた気がする」
今この瞬間にも浮かび上がっているフラッシュバックの中で、微かに思い出しかけているおぼろげな記憶だ。
初めて会った時から、志亜はとてつもなく大きな感情を彼女に抱いていた。その感情の正体を、少しずつ掴みかけているのだ。
あの時彼女の姿に目を奪われたのは、その髪の綺麗さに見とれたからなのだと思っていた。
しかし、それだけではない。
記憶を失っているだけで、志亜は彼女――紅井クレナのことを知っているのだ。
砕け散った「彼」の記憶の中には、常に彼女の存在が寄り添っているような。そんな、言葉には表現出来ない感情で志亜は彼女の目を見つめた。
「キズナ……やはり白石絆のことを知っているのか。しかし、それではなぜ……」
たどたどしい志亜の説明が拙いこともあるのだろう。志亜の言葉を聞いたクレナは虚を突かれたように柳眉をひそめると、怪訝な表情で志亜の目を見つめ返す。
「志亜といったな……私には、お前の正体がわからない。私のきおくに「双葉志亜」なんて子はいなかった」
「クレナ、さんも……志亜と一緒?」
「なにが?」
「前世の、記憶を持っているの?」
彼女のこれまでの口ぶりから、志亜は紅井クレナという少女の素性を掴みかけていた。そう思ったのは「彼」の知っているキズナやロラ・ルディアス達のことを、彼女も知っている様子だからだ。だからこそ彼女は、異世界の情報を知っている志亜のことが解せず、怪しんでいるのだろうと。
だとするのなら……と、志亜は微かに期待を込めながら訊ねた。
彼女もまた前世の記憶を持って、この世界に生まれてきた人間なのではないかと。
初めて対面した、志亜の同類かもしれない存在。
しかし紅の少女が示した反応は、志亜に対してより一層強く不審を抱くというものだった。
お前は一体、何を言っているのだ――と、そう首を捻るようなクレナの表情だった。
「この子は、未来の自分から記憶を受けついだのではないのか……」
「クレナさん……?」
頭痛を抑えるように額を手を当てるクレナの姿を、志亜は不思議そうに見つめる。
その様子は志亜の望んだ返答を返すわけでもなく、ただただ疑問を膨らませてしまうという望まぬ形となった。
……何か、彼女と志亜の間で認識の齟齬があるのかもしれない。
首を傾げる志亜に対して、紅井クレナが溜め息をつきながら踵を返す。
そんな彼女は志亜に背を向けながら、妙に大きな態度で命令した。
「……ついてこい。お前の話は、くわしく聞く必要がある」
志亜は意志に対して言葉がたどたどしく、コミュニケーションが得意な方ではない。お互いを知るにはもう少しまとまった時間が必要だと思ったのだろう。クレナの放ったその言葉は、場所を変えて話し合うことを意味していた。
志亜の方も異存はない。このまま立ち話をしているのも待たせているイッチーに悪いし、志亜からしても彼女には聞きたいことが山ほどあった。
――「HKO」の製作者だと語る彼女はおそらく、「彼」の居た異世界のことを知っている様子だから。
もしも彼女が彼と同じ境遇だとするならば、志亜とは違い、かつての記憶を覚えているのだとすれば……志亜が真実を知る、最大の手掛かりであった。
「待って」
「なんだ?」
だからこそ、志亜はスタスタと先へ進んでいく彼女を呼び止めた。
「一度、家に帰る。イッチーを帰して、お母さんに伝えてくる」
「…………」
長い外出になるかもしれない。そう思った志亜の今の思考は、まず最初に常識的な判断が浮かぶ程度には冷静だった。
「……調子がくるう」
そんな志亜のぽややんとした態度に、クレナが毒気を抜かれたように溜息をついた。
一時帰宅後、イッチーを家に置いてきた志亜は母に連絡を入れるなり再び外へ出る。
表札前で律儀に待っていたクレナは言葉もなく先導して歩き出すと、何処かへと向かい始めた。
「どこへ?」
ついてこい、と彼女は志亜にそう言った。
ということは、彼女の向かう先に志亜の求める何かがあるのかもしれない。そう思った志亜が訊ねると、クレナは振り向かないまま無愛想に答えた。
「SOLOの本社だ」
「えっ……」
「少し、歩く」
世界的に爆発的な業績を上げていながら、不自然にも公表されていないゲーム会社「SOLO」の本社。
彼女はそこへ、志亜を案内してくれるというのだ。
「クレナ、さん」
「……なに?」
「ありがとう」
「は?」
「志亜は、探していたから。行ってみたいと、思っていた」
渡りに船、というにはあまりにタイミングが出来すぎている。不可解な点はあったが、それを承知の上で志亜はクレナに礼を言った。
彼女の存在自体怪しさ満点と言っても過言ではないのだが、それでも志亜は紅井クレナという人間を信じたかったのだ。
ほとんど話したこともないのに……奇妙な感覚だった。
「先に言っておく」
そんな志亜の真っ直ぐな目を受けて、クレナは呆れたように溜め息をついた後、一つ忠告するように返した。
「あの場所へいくことでお前は、今のお前の人生を変えかねないほどの衝撃を受けるかもしれない。それでも、知りたいか? あのゲームの真実を」
双葉志亜という少女の人生――何一つ不満のないこの人生に、大きな変化を促すかもしれない出来事。
今の志亜の選択は、それに挑むということでもあるのだ。その言葉に志亜は、ただ一言「わかってる」と返した。
「うん、志亜は大丈夫。だから、知りたい」
ただならぬ真実が待っていることは既に気づいている。覚悟も決めている。
最大の不安もまた……先日の友人とのやり取りで解消されている。
知るのが怖いという気持ちはもちろんある。しかし志亜は、それ以上に前に進みたいと思っている自分が居たのだ。
「それはきっと、志亜にとっても大切なことだと思うから」
――この先にあるのは、双葉志亜が双葉志亜であることの証明……その決着をつける対面だ。
そのことを志亜は、疼くような胸の中で確かに予見していた。
――天阜嶺市。
志亜達の住んでいる那楼市の隣に位置するこの町の人混みは、都会と言えるほど賑やかではないが田舎と言えるほど静かでもない。程良い人口とそれなりに澄んだ空気が美味しい、居心地の良い町だった。
そんな町には幾つかの観光スポットがあるのだが、中でも人気なのが町の中心にある「天阜嶺絆遊水族館」の存在だった。
県内一の湖である「琴吹湖」が一望できる高台に建設されたこの水族館は、今から三年ほど前にオープンされたものでありまだ歴史は浅い。しかし水族館では魚だけではなく多種類のペンギン達が飼育されており、精力的に開催されるペンギンショーやその他数々のイベントは子供達にも評判が良く、一定の人気を博している。
その人気ぶりと言えば可愛らしいペンギンの姿を見る為に県外からこの水族館を目当てに訪れる観光客もそれなりに多く、市の活性化に一役買っていた。
クレナに連れられて乗り込んだバスに揺られること約一時間、志亜が案内されたのは、何故かその水族館だった。
「ペンギンが、いっぱい……」
コウテイ、マカロニ、フンボルト、イワトビ――各所の水槽には多種多様なペンギン達の姿があり、彼らの華麗な泳ぎに志亜の心が癒されていく。
VRゲームではコウテイペンギンのペンちゃんとフレンド付き合いをしている志亜だが、この現実世界で見るペンギンもやはり可愛らしかった。それこそ、時間も忘れてずっと眺めていたいぐらいである。
しかし、志亜には自分がここに連れられたことの意味がわからなかった。
「どういう、こと?」
目立つ容姿に衆目を集めながら、堂々とペンギンコーナーを歩き進んでいくクレナに志亜は訊ねる。
ペンギン達の姿には確かに癒される。しかし、彼女は「SOLO」の本社へ行くと言っていた筈だ。
ゲーム会社へ向かった筈が、到着したのはペンギンと遊べる愉快な水族館である。目的と自分達が今いる場所がどうしても結びつかず、志亜は困惑の目でクレナの横顔を見上げた。
「言った通り、SOLOの本社だ」
志亜の質問に短く答えると、クレナは「関係者以外立ち入り禁止」と表記されたスペースへと向かい、係員の青年に呼び止められる。
しかし懐から一枚のカードを取り出し、それを見せるなり係員の青年は畏まった態度で引き下がった。
この水族館に無料で入場した際も、行列に並ぶこともなく同じカードを見せていたことを思い出す。
おそらくあれは、クレナがこの水族館にとって何らかの特別な立場であることを示す証明書のようなものなのだろう。その光景に志亜は察すると、道を開けてくれた係員に頭を下げながらクレナの後に続いていった。
「クレナさんは、水族館の関係者?」
「……一応、そういう立場になるか。正確には、「奥」の関係者になる」
「奥?」
観光客で賑わうペンギンコーナーとは打って変わり、不気味なまでに人気の無い通路を歩きながらクレナが語る。
そしてその足は、突き当たった壁の前で立ち止まる。
「行き止まり?」
一本道の先に突き当たった白い壁。他に進む道はなく、どうするつもりかとクレナの様子を窺う。
壁を前にしたクレナには特に動じた様子もなく、懐から先ほど係員に見せたものと同じカードを取り出した。
「……面倒なしかけをつくる」
鬱陶しげに呟いたクレナが、カードを表の面にして壁と密着させる。
その瞬間、「ピンポーン」と緊張感を削ぐ電子音が鳴り響き、目の前の壁が左右に開いた。
「エレベーター?」
一本道の突き当たりにあった白い壁は、一定の手順で開閉させることの出来るエレベーターだったのだ。
まるでダンジョンの隠しエリアのようだ。麗花であればそう呟いていたであろう感想を同様に志亜も抱き、思わぬ光景にポカンと口を開けた。
そんな志亜に対して、先にエレベーターの中へ入ったクレナが言う。
「いくぞ」
「あ……うん」
志亜が入室したことを確認すると、クレナは手元のパネルを操作し扉を閉める。
すると程なくして一瞬の浮遊感が走り、エレベーターが下へ向かっていることに気づいた。
「この絆遊水族館は、表向きにはペンギンが売りの、少しごうかな水族館にすぎない」
地下も随分と下へ向かっているのだろう。しばし続く手持ち無沙汰な時間の中で、気だるげに壁に寄り掛かりながらクレナが語り出す。
この「天阜嶺絆遊水族館」に隠されていた、ほんの一部の者しか知り得ない真実を。
「だが、関係者だけが入ることのできる地下室……そこに、いつまでたっても頭の中が子供の社長が作り出した、無駄に壮大なつくりをしたエリアがある」
心底うんざりしているような珍しい表情を浮かべたクレナの言葉は、この施設の「本当の姿」に関しての説明だった。
そしてその言葉を聞いて、志亜はようやく彼女の意図を理解した。
「あ……」
「そうだ、ここがその場所だ」
彼女に案内された先にあったのはペンギンと遊べる水族館だった。
それと同時に、目的地でもあったのだと。
「ここが、ゲーム会社「SOLO」の本社……皇ソロの居場所だ」
地下へ向かうエレベーターが停止すると、気の抜ける電子音が鳴り響き、扉が開く。
その瞬間、志亜はジト目で呆れを表すクレナの横で驚愕に目を見開いた。
隠れた秘密の地下に広がっていたのは――ものの見事に「秘密基地」としか言い表しようにない空間だったのだ。
 




