第11話(紅)
しばらくクレナ編が続きます
聖地ルディア――フォストルディア最大の深さを誇るルディア渓谷の中心部に位置するその国は、外界から隔絶された位置関係である為に外部から干渉を受けることが少ない。さらに言えば聖地の周りには四六時中町の賢者による結界が張り巡らされている為、土地面積や総人口こそ心許ないものの、大国にも劣らない防衛力を誇っていた。
しかし先日、鉄壁の筈の結界は破られ、一人の召喚師の侵入を許してしまう事件が発生した。
突如として聖地ルディアに侵入してきた白い召喚師は町中で数多の召喚獣を召喚すると、その怪物達を手当たり次第暴れ回らせたのである。
多数の怪我人を出すことになったその騒動を鎮める為、聖地を守る騎士団がこれの撃退に当たったのだが……彼らが強力な召喚獣の相手をしている隙に召喚師に大聖堂へと入り込まれてしまい、その中に居た神巫女ロラ・ルディアスを攫われてしまう結果となった。
現場に居合わせていた神官達の証言によると、神巫女を攫ったのはフィクス帝国最高の召喚師ゼン・オーディスであるとのこと。
聖地ルディアにおける最重要人物が攫われたことに、国中は阿鼻叫喚の大混乱に包まれた。怒りに燃える民は当然のように神巫女を取り返す為に決起したのだが、表向きは穏便な解決を謀り、今は民の代表として聖地の最長老であるロサリオ枢機卿が神巫女の返還をフィクス帝国に呼び掛けている。
しかし、それに対するフィクス帝国の返答は知らぬ存ぜぬの一点張りで、そもそも自分達は聖地の神巫女など攫っていないなどという頓珍漢なものばかりだった。
神巫女の身柄を人質に、聖地ルディアという国家に対して何かを要求されるのであれば、まだ交渉の余地はあったかもしれない。しかし話し合いにすらならないフィクス帝国の対応に遂に民の怒りは臨界点を越え、表向きには話し合いを呼び掛けようとカモフラージュしているものの、裏では着々と神巫女奪還作戦の準備を進めていた。
その作戦の先頭に、聖地ルディアの「聖堂騎士団」が立っている。
場所は幻想世界フォストルディア。
聖地ルディアの首都「フィフス」。
本来ならば聖地の中心として恥じない美しい町並みが広がっていた筈のその場所には、オーディスによって送り込まれた召喚獣達による爪痕が刻まれていた。
そんな町の中で一際目立つのが、外見上は無傷の建造物である「ルディア大聖堂」だ。
まるで宮殿のような煌びやかさと壮大さを持ったこの施設は、かの神巫女が創造神ルディアから神託を授かる場所であり、創造神ルディアの石像が収められている。そのご利益にあやかろうと、その中には常から多くのルディア教徒達が参拝に詰めかけていた。
そして大聖堂の最深部にはかつてこの世界を邪神から救った真の勇者と二人の仲間が扱っていたと伝えられる「三種の神器」が眠っており、聖地ルディアでは「儀式」の際にのみその姿を拝見することが許されていた。
その「三種の神器」とはそれぞれ勇者とその仲間達が扱っていた伝説の武器の総称であり、名は「聖剣ヴァレンティン」、「聖槍バルディリス」、「聖杖サーフェイト」と言う。そして各々の台座に封印されたそれらの神器を抜き放った者こそが、創造神ルディアの名の下に栄誉ある称号を与えられるのだ。
聖剣を抜いた者は「神勇者」となり。
聖槍を抜いた者は「神騎士」と呼ばれ。
聖杖を抜いた者は「神巫女」となる。
故に聖地ルディアの民にとって「勇者」とは他ならぬ聖剣ヴァレンティンを抜いた「神勇者」ただ一人であり、フィクス帝国が都合よく異界から召喚してきた存在を勇者と呼ぶことはなかった。それどころか召喚魔法そのものを伝説の勇者を冒涜した唾棄すべき禁忌として嫌悪しており、召喚された者達のことはただただ横暴な拉致事件に巻き込まれた被害者として憐れんでいた。
ロラ・ルディアスは聖杖サーフェイトを抜き、神巫女として認められた聖地ルディアの少女だった。
当時十歳にして聖杖の封印を解いてみせた見目麗しい神巫女の誕生に聖地の民は揃って歓喜し、彼女を通して半世紀ぶりに与えられた創造神からの神託に彼らは酔いしれた。
その神巫女は、今や十六歳。少女の美しさは六年前よりもさらに磨きが掛かり、神巫女という立場を抜きにしても彼女に対して懸想する者は後を絶たない。そしてそんな影響力のある人物が攫われたとなれば、それを許した聖堂騎士団の責任はあまりにも重かった。
ルディア大聖堂には聖堂騎士団団長、ガルダ・ノンストの執務室がある。
自らの無能さをこれでもかとばかりに追及してくるおびただしい量の報告書を無言で整理しながら、ガルダの耳にこの執務室の扉を叩くノック音が聴こえた。
その直後に扉の向こうから「マキリスです」と名乗る男の声が聴こえると、ガルダは短く「入れ」とだけ伝え、入室を促す。
そうして執務室に入って来たのは、紫色の長髪を頭の後ろで束ねた色白の美青年だった。
「団長、各地で活動していたルディア教徒の召還が完了しました。諜報部隊も今夜には戻ると報告が」
簡潔にもたらされたマキリスという青年――聖堂騎士団副団長である彼の報告に、団長であるガルダは前髪を掻き上げながら目を瞑り、数拍の間を置いて彼に問うた。
「そうか……戦力になりそうなのは?」
「300人程度です」
「俺達を合わせて、500人ぐらいか」
「彼らの士気の高さは団長がよくご存知でしょう。加えてフィクスの引きこもり共とは違い、我々は実戦慣れしている。多少の数の差など跳ね返してみせますよ」
「だが相手はあのフィクス帝国だ。数の暴力には、それこそ伝説の勇者様でもなきゃ太刀打ち出来ねぇよ。何も正面から戦争するわけじゃねぇが……すまねぇ、俺の責任だ」
「団長……」
力無く吐き出されるガルダの言葉は、粗野な顔立ちに見合わず覇気が無い。それもその筈で、彼らが決行する神巫女奪還作戦の成功率はあまりに低く、失敗した際に予想される人的被害も桁違いに大きいからだ。
今回の作戦は間違いなく、魔王軍からの防衛線以上に過酷な戦いになるだろう。その負け戦を強いることになったのは、騎士団長として神巫女を守り切れなかった自分の責任だとガルダは力無く嘆く。
そんな団長の思いを知ってか知らずか、副団長のマキリスは端麗な顔立ちを引き締めながら言い放った。
「それでも民は、神巫女様を取り戻す為なら全力を尽くします。この私も同様、命を賭してあの方を救い出す所存です」
「……わかってる。ああ、わかってるさ。神巫女様を助けるってのに、団長が弱気じゃいけねぇよな……」
戦力の差は如何ともしがたく、成功率は限りなくゼロに近い。
だがそれでも、聖地の民は神巫女を取り返すことに異存は無かった。だからこそガルダは目の前で神巫女を攫われるという致命的な失態を犯した今でもまだ、こうして騎士団長の位に就いており、執務に取り組むことが許されていた。
戦いになれば力が要る。その力として今日まで騎士団を引っ張って来たガルダの存在は、人々から求められていたのだ。それには彼自身がこれまでに多くの功績を残してきたことと、民の怒りが攫われた騎士団ではなく、攫ったフィクス帝国の方に集中しているのが大きい。
それ故に上からガルダに与えられた指示は事件の責任を取って首を斬ることではなく、騎士団を率いて何が何でも神巫女を奪還しろというものだった。失態の裁きについては創造神ルディアの判断に委ねよというのが、大量の報告書と共に与えられた彼の処分だった。
尤も当のガルダとしては創造神が許すにせよ許さないにせよ、作戦が終わった後の自分はこの大聖堂から消えるだろうと思っている。
騎士団の若手は副団長のマキリスを筆頭に順調に育っており、最近では神巫女の弟である神官見習いが加入を前向きに考えていたりと明るいニュースがある。尤も今こうしている間にも神巫女の身に何かがあったらと思うと、どんな吉報も胸糞悪くなるのだが。
神巫女ほどの力が余程のことで屈するとは思えないが、正直な話ガルダの頭には「作戦なんて知ったことか!」と単身で帝国に乗り込んで大暴れしてやりたい気持ちに溢れていた。
その気持ちを騎士団長としての理性で必死に抑えながら、ガルダは副団長に次の話題を振った。
「あれから、ロアから何か連絡はあったか?」
「いいえ」
「流石のアイツも、異世界からテレパシーは送れねぇか」
神官見習いのロア・ハーベスト。以前から大聖堂に努めており、騎士団員と面識のあるかの少年は、神巫女であり姉であるロラから託された魔道具を使い、彼女を救うために救世主への協力を求めて独断で異世界に渡った。
そう、全ては彼の独断である。
神巫女が次元渡りさえ可能にする魔道具を持っていたこと自体、ガルダはその時まで知らなかったのだが、部下の報告によるとその時のロアは姉を攫われてどうすることも出来ない状況の中でひたすら魔道具に祈り、誰でも良いから姉を助けてくれと懇願していたらしい。
その祈りは裏を返せば、ガルダ達聖地ルディアの大人が頼りにならないという実情の現れでもあろう。人に頼るばかりで子供に頼られることも出来ない自分に対して、ガルダの心は情けない思いしかなかった。
「目的の為、無関係な「チキュウ」の民に協力を仰ぐ。これでは、フィクス帝国と同じですね」
「まったくだ……」
チキュウ、という他所の世界の部外者に助けを求めに行った彼に対して辛辣な言葉を吐き捨てるマキリスに、ガルダが苦笑する。
確かにあの少年が取った行動は教義に反し、聖地ルディアの民として考えられないものであったが……自分の無力さを棚に上げて彼の思いを否定することは、ガルダには出来なかった。
どんな手を使ってでも姉を救いたい。その真っ直ぐな気持ちは、素直に尊いものだと思ったのだ。尤もあの子供は人懐っこそうに見えて口下手なところがあり、チキュウで余計な諍いを起こしていないか心配であったが。
「だが、あのガキは責められねぇさ。悪いのはオーディスの野郎に歯が立たず、むざむざと神巫女様を攫われた俺だ。これが終わったら歴代尤も無能な騎士団長として晒し首になるだろうから、後のことは頼んだぞ」
「野蛮な粛清を、ロラ様とルディア様は望みませんよ。それに……私に騎士団長を継ぐ意志はありません。私の目的は、今でもただ一つです」
「ああ? お前、まだ神勇者を目指して……」
作戦中に戦死するにせよ、作戦後に裁かれるにせよ、どう転んでも自分の死は避けられないと見ているガルダは、今の内に後任を決めておこうと副団長に話を進めようとする。
バンッ!と音を立てて勢い良く無造作に執務室の扉が開かれたのは、その時だった。
「団長……と副団長っ! こんなところで何やってんだよ団長!」
声変わり前の幼い少年の声が、彼らの鼓膜を揺らす。
くすんだ金髪とそばかすが特徴的な聖堂騎士団の最年少騎士、ガルダの部下であるトムだった。
「いきなりどうしたトム?」
「ロアが帰って来たんだ! チキュウ人を連れて!」
「なに?」
「ほう……」
ロアと同じ年齢の少年の言葉にガルダが眉を顰め、マキリスが感心げに息を吐く。
三週間ほど前に魔道具で異世界に旅立ったロアが、その目的通り救世主を連れてこの聖地に帰って来たのだという。
不言実行と言えば聞こえはいいが、事が事なだけに実行する前に自分に言ってほしかったと……行動力が変な方向にあり過ぎる弟分に対してそう思いながらガルダは執務室を後にし、屋外へと向かった。
日本の町々とは明らかに違う、中世トルコを彷彿させる幻想的な町並みを見下ろしながら、クレナとロアは聖地ルディアの空を旋回していた。
正確には、「クレナとロアを乗せた天馬が」であるが。
次元幻馬――ロアがそう書かれたカードゲームのカードのような札に祈りを込めた瞬間、カードの中から膨大な魔力の奔流と共に、翼の生えた白い一角獣が姿を現したのだ。
ペガサスのような姿をしたその天馬はクレナを前にすると、ロアの指示を受けるよりも先にクレナの前で身を屈め、その背中に乗るように促した。動物的な勘で力関係を察知したのか、それともユニコーン的な処女信仰なのか……理由はわからないが、カードから召喚された幻獣は妙にクレナに懐いた。
そしてロアと共にその背中に乗り込んだ時、天馬は翼を広げて飛び上がり、クレナの視界は一変した。
眩い閃光に飲み込まれ――気づいた頃にはこのフォストルディア、聖地ルディアの上空へとワープしていたのである。
クレナ達が事もなげに地球とフォストルディア、二つの世界を移動した瞬間だった。
両次元を渡る方法という、未来のクレナと勇者達がどれだけ探しても見つからなかったものがこうも呆気なく見つかってしまったことに、クレナは胸中で複雑な思いを抱える。
しかし、次元移動に掛ける時間が予想以上に短く澄んだことは僥倖である。地球に残していった白石兄妹のことは依然クレナの使い魔達が見張っている為、これほどの速さならこの世界からでも即座にあちらに駆けつけることが出来るだろう。
尤もその為には、前提としてこのカードをクレナが常に携帯しておく必要があった。
『この召喚獣は、私が預かる』
「あ、はい……その魔術の札は姉上の物なので、僕から許可は出せませんが……確かに、いつでも帰れるようにクレナさんが持っていた方がいいですね」
『この世界に私を置き去りにしようとしないのは、一応の誠意はあるようだ』
「いや、だって……そんなことしたら地獄の果てまで追い掛けてきそうじゃないですか」
『見抜いていたか。少しだけ好印象だよ』
「……ぜんぜん嬉しくないや、はは……」
クレナがこの世界に居る間、あの二人がロア以外の誰かから召喚されないように、次元渡りに必要な次元幻馬のカードをロアの手から半ば強引に受け取る。
ロアの方もこの魔道具をクレナが預かること自体に不服は無いらしく、思いのほか大人しく引き下がってくれた。
「いい、ほけんになる」
両次元を渡る手段を手に入れたことは、二人を守る上で最良の保険になる。仮にもし二人がフォストルディアに召喚されても、これさえあれば召喚された場所まで追い掛けることが出来るからだ。
次元幻馬のカードをブレザーの内ポケットに収納した後、クレナは改めて下方に広がる聖地の町を見下ろす。
ここは聖地の首都「フィフス」だったか。中世のような町並みの中心で、城のように大きく聳え立っているのは聖地ルディアの大聖堂だろう。優美なその姿は、未来のクレナの記憶に存在するものと完全に一致する。
ただ目につくのは、大聖堂以外の町の至るところに爆撃の跡のような大穴が点々としている風景だ。
『荒れているな』
「あれは、オーディスが召喚した召喚獣達が暴れ回った痕です。召喚獣は騎士団のみんなが撃退したのですが、その隙に姉上が……それにしてもクレナさんは、ここに来たことがあるんですか? もしかして僕と同じで、次元を渡ってきたとか……」
『一緒にするな』
「は、はい」
自身の名前については、あの後ロアに教えておいた。仮初とは言え一応は協力関係になる以上、その必要があると思ったのだ。
紅井久玲奈という純粋な日本人の名前を持つクレナがフォストルディアの内情に妙に詳しいことに対しては、おそらくロアも怪訝に感じているところであろうが、立場も立場である為か深く詮索をしてくることは無かった。




