第10話(紅)
ロア・ハーベストの姉は、聖地ルディア一の賢者だった。
類い稀な才能と努力によって若干十六歳にして「神巫女」の座に上り詰めた彼女は、フォストルディアの創造神ルディアの神託を得ることが出来る唯一の民だった。
創造神ルディアから直々に授けられた神託は、常に聖地ルディアの人々の救いになった。
神託を得た神巫女の言葉によって聖地の民は未来予知染みた危機感知を幾度となく繰り返すことが出来、それによって地上の大半が魔王軍に支配された中でも彼らの小国は無傷で生き延びることが出来ていた。
しかしその神巫女の力は、地上最大の大国であるフィクス帝国に目を着けられることとなった。
それまでも魔王軍討伐の為という建前から聖地ルディアはフィクス帝国の使者によって執拗に神巫女の協力を要請されてきたものだが、ルディアの長は頑なに協力を拒み続けていた。
彼らの崇める創造神ルディア自身がフィクス帝国への協力を是としていなかったのも理由の一つだが、それを差し引いてもルディアの民は誰一人としてフィクス帝国を信用していなかったのだ。
魔王軍という世界の危機に、国境を越えて団結する。そんな言い方をすれば一見感動的であり、人類の為に聖地と帝国が組むのも正しく聞こえるかもしれないが、ルディアの民にはどうしてもフィクス帝国の在り方が受け入れられなかった。
地球という異世界から子供達を召喚し、隷属の呪いを掛けて自分達だけの為に利用していることを。
修練を積んだ神巫女は召喚されたばかりの地球人とは違い、呪いに対する耐性がある。故に地球の民のように成す術もなく隷属させられる可能性は低かったが、それでも勇者召喚という前科のあるフィクス帝国に大切な神巫女を預けることなど出来る筈がないというのが、聖地ルディアの民共通の意見だった。
フィクス帝国側からしてみれば、取り付く島もない交渉の難航である。しかしその状況を破ったのは、フィクス帝国の召喚師による強行だった。
「……あの日、ルディアの結界を破って、僕達の前にゼン・オーディスが現れ、姉上を攫って行ったんです」
恐怖に震えたロア・ハーベストの声は、ボロボロの姿で地に伏した彼を見下ろしているクレナに対してのものか、それともゼン・オーディスに対するものか。……恐らくは後者であろう。
交渉に応じないのなら、無理にでも攫って行くまでと――哀れなことに、彼の姉である神巫女は未来のクレナ達を召喚したあの男にまんまとしてやられたらしい。
『横暴さは、相変わらずか……』
元々聖地ルディアとフィクス帝国の国力は圧倒的にフィクス帝国が上であり、本来であれば勝負にすらならない差がこの二国にはあった。それでもフィクス帝国が聖地ルディアに手を出せなかったのは聖地ルディアの裏に存在する創造神ルディアの存在が大きい。
流石の大国も、魔王軍と同時に神を相手にしたくはなかったのだろう。だからこそ、国力に差がありながらもその時に至るまで積極的に打って出ることはしなかった。
しかしその創造神が実際に起こしている行動は思念体の状態で神巫女に対して神託を与えることだけで、魔王軍にはもちろん、帝国相手にも手を出したことがない。
手を出したくとも出せないのだ。
聖地ルディアの民が崇める創造神ルディアという神は遥か昔に起こった戦いによって、肉体を失ったと伝えられている。
だからこそ、フィクス帝国は神巫女の拉致という強行に踏み切ることが出来たのだろう。
神ならば人間が想像もつかないような方法で天罰を与えてくるのではないかと恐れていた帝国も、今の創造神に直接手を下せる力が無いと気づけば行動は早かった。
神はこちらに天罰を与えることは出来ない。ならば、後のことは神巫女を攫ってしまいさえすればどうにでもなると。
神巫女を人質に利用して創造神ルディアに神託を強制するもよし、聖地の民を人質に利用して神巫女を服従させるもよし。あわよくば地球からの召喚勇者のように隷属させることが出来れば万々歳だと……ロアの語るフィクス帝国の外道さ加減にはいっそ清々しく思え、クレナは怒りや呆れを通り越して感心を抱いてしまっていた。
『お前の姉が攫われたのは、いつだ?』
「こっちの時間では、三週間ぐらい前のことです……」
『お前がこの世界に来たのは?』
「その、三日後です」
意思疎通を円滑にする為、引き続き翻訳魔法を掛けた言葉でクレナはロアから必要な情報を聞き出していく。
彼の話を信じるとすれば、彼がこの地球にやって来たのは最初に白石兄妹を襲ったのと同じ日だったようだ。
未来のクレナの記憶と力がクレナの身に宿る前に彼が来なかったのは、不幸中の幸いだったと言えるだろう。
『今までに召喚した人間は? 何人フォストルディアに送り飛ばした?』
「いません……僕が訪れたこの町には、貴方がいたので……僕が使おうとした召喚魔法は、全部貴方に阻まれましたから」
「ざまあない」
「……本当に、すみません」
幸いなことに、この地球において彼の手によって異世界召喚された被害者は出ていないらしい。
クレナが主に警護に当たっていたのは白石兄妹の二人だけだが、他の適正者達の身が無事であることに一先ず安堵する。個人的な感傷から守る者に対して優先順位を着けているクレナだが、誰も召喚されないに越したことはないと思っているのもまた確かだった。
他の召喚勇者達もみんな……良い人達だったと、未来の記憶には残っている。
『いいだろう。協力してやる』
「え……?」
若くして死んでいった勇者達の姿を脳裏に浮かべながら、クレナは翻訳魔法を乗せた言葉で言い放つ。
これまでの冷徹なクレナの態度から望み薄だと思っていたのだろう。その言葉がクレナの口から紡がれた際のロアの反応は意外そうで、呆気に取られたものだった。
何の為にここまで情報を聞き出したと思っているのか。理解の悪い彼に対して、クレナは再度告げる。
『協力してやると言っているんだ。お前の目的に』
「ほ、本当ですか!?」
彼の目的はフィクス帝国の性悪召喚師、ゼン・オーディスによって攫われた姉を取り戻すこと。白石兄妹を狙ったのも、かの帝国に立ち向かう為にはどうしても彼らの桁外れの資質が必要だったから。彼の話を簡潔にまとめれば、至ってシンプルな話だった。
同じゼン・オーディスという召喚師に拉致された者同士、ロアの姉には同情する部分もあるが、クレナがこうして協力すると手のひらを返した理由は勿論、彼の為でも彼の姉の為でもない。
散々踏んで痛めつけてやった筈が、無邪気にもあどけない表情に喜びの笑みを浮かべたロアの姿が何となく気に入らなかったクレナは、そんな彼に対して釘を刺すように忠告した。
「かんちがい、するな」
地の声で言った後、翻訳魔法を掛けた言葉で続ける。
『お前達の為に協力するんじゃない。私が協力するのは、ユウシ達を守る為……あの召喚師の息の根を止める為だ』
白石兄妹の異世界召喚を防ぐ為には決して外すことは出来ない、明確な宿敵――それがゼン・オーディスという帝国最高の召喚師だ。そんな彼と対面出来る機会が降って来たことに、クレナは確かな喜びを感じていた。
そう、クレナがロア・ハーベストに協力すると決めたのは、全て打算的な判断である。
憎しみを拗らせておかしなことになっているであろうクレナの表情を見て、ロアの喉元から息を呑む音が聴こえてくる。そんな彼に対してクレナは高圧的な口調で言い放った。
『恥知らずにも私を利用しようと言うんだ。それなりの対価は貰うから、そのつもりでいろ』
「……はい……僕の命でも、どんな対価でも支払います。だから、お願いします」
我ながら契約を持ちかける悪魔になった気分だと、クレナは苦笑する。
そんなクレナの言葉に対してロアは、傷だらけの姿で両手を地面につけ、再び頭を下げた。
「姉上を助けてください!」
涙ぐみながら、絞り出したような声で彼は懇願する。
二度目の土下座を通して語られた彼の思いに、クレナの心は決して揺れたわけではない。
しかし今度は彼の下げた頭に、この足を振り下ろすことはしなかった。
『……助けてやるよ、アカイクレナは「勇者」だからな』
彼の真摯な姿を間近に見下ろしながら、クレナの顔はどんな笑みを浮かべていたのだろうか。
少なくともそれは、彼女が守ろうとしている白石兄妹に見せられるものではないだろう。
その時のクレナが抱いていた感情は「勇者」というよりも「魔王」の方が近く、引きつくほどに冷酷で残忍なものだった。
フォストルディアからの異世界召喚を阻止する為に、ロア・ハーベストという思わぬ手駒を得た。
彼の方からすればクレナというフィクス帝国に対抗する戦力が手に入り大助かりと言ったところであろうが、クレナからしても彼のことは目的を果たす為の道具に過ぎないと思っている。
ゼン・オーディス打倒という意味では、確かにクレナ達の間で利害は一致している。しかしクレナが彼に協力すると決めた最大の理由は、彼という異世界人がこの地球にやって来たと言う事実そのものにあった。
『それで、お前はどうやってこの世界に来たんだ? 世界の間を移動するレベルの召喚魔法は、並大抵の人間が扱えるものじゃない。お前にそんな力があるようには見えないが』
放っておけば土下座の体勢のまま延々と惨めな姿を晒していそうだったロアを見かねて、クレナは彼を立たせた後にそう問い質す。
その質問は、クレナにとっては彼の姉の素性などよりも、遥かに重要な話だ。
地球とフォストルディア――その二つの世界は次元の壁によって隔てられており、本来ならば自由に行き来することは出来ない筈なのだ。例外としてそれが出来るのは召喚師大国であるフィクス帝国のゼン・オーディスクラスの召喚師ぐらいなもので、見たところこの少年に彼ほどの力は無い。
聖地ルディアの神官見習いという立場が正しければなおのこと、彼に自分自身を異世界に召喚させるなどという高等魔法が使えるとは思えない。
そんなクレナの言葉を肯定し、ロアが語る。
「はい……僕はフィクス帝国の召喚師ではありませんから……本当のところ僕の召喚魔法は、僕自身が近くにいなければ使えないぐらい影響力が低いんです」
『お前の話が嘘じゃないなら、あの稚拙な召喚魔法は姉が攫われた後で習得したんだろう。おかげで二人を攫われずに済んだとも言えるが……』
彼の魔法陣は稚拙な出来栄えで、オーディスのものと比べれば随分と脆く壊れやすいものだったように思える。思えばその時点で、彼がフィクス帝国の召喚師ではないと見抜ける要素はあったのかもしれない。
彼はクレナの質問に対して最初は召喚師を自称していたが、召喚魔法を嫌悪する聖地ルディアの民であるならば召喚魔法を覚えたのも最近のことだと察せられる。
「姉上のいない僕達の力では、どうしてもフィクス帝国に太刀打ち出来なかったから……貴方のような強い力が必要だったんです……」
「それは、さっききいた」
自分の無力さに嘆くようなロアの言葉を地の声で冷たくあしらい、クレナは話を本題に戻す。
そしてクレナは面血を切るようにおもむろに自らの顔を彼の目先数センチ手前のところまで近づけ、『私はお前が、どんな手を使ってここに来たのか聞いているんだ』と、まるでヤクザが威圧するように圧迫した空気を放ちながら問い質した。
そんなクレナの切迫に対してロアは、心なしか顔色を赤くしながら怖じ気づいたように顎を引いて答えた。
「ぼ、僕がこの世界に来れたのは、姉上が連れ去られる前にくれた「魔道具」のおかげなんです」
「まどうぐ?」
魔道具――彼の口から放たれた固有名詞に、クレナは彼の目先から顔面を離しながらその単語の意味を思い出す。
魔道具とは、その名の通り魔法の力が込められたマジックアイテムのことだ。使用者の能力に拘わらず一定の効力を発揮するそれは、未来のクレナも何度か目にしたことがある。その種類は魔力を利用した地球で言うところの電化製品のようなものもあれば、拳銃のように誰でも人を撃ち殺せる武器として扱われていたりと様々だ。
「ステータス・オープン!」
ふとそんな時、ロアが唐突に右手を振り上げながら何かの呪文を唱えると、光と共にどこからともなく五枚の札が現れた。
それは、彼がクレナとの戦いで見せた札と同じものである。五枚の札を手に持った姿を怪訝な表情で眺めていたクレナに対して、ロアがその札を表にして差し出してきた。
「これが、その魔道具です。僕は魔術の込められた札……のようなものだと思っていますが、これに魔力を込めることで未熟な僕でも強力な魔物を召喚獣として召喚し、使役することが出来るんです」
「これは……」
彼が見せたそれはフォストルディアに数ある魔道具の中でも、未来のクレナが見たことの無い魔道具だった。
一枚一枚が手のひらサイズのカードの形をしているその札の表側には、正方形で囲われた枠の中にそれぞれ異なる魔物の絵が描かれており、その下にはこの地球の言語とは違う文字でテキストが書き綴られている。
翻訳魔法を両目に掛けたクレナはフォストルディアの言語と思わしきそれを解読すると、その内容に思わず目を疑った。
【キラーマンティス・マザー
・カテゴリ
幻想
・ステータス
攻撃力210 NPコスト20
・特殊能力
5%のNPを支払うことで、キラーマンティス・レギオンを一体召喚することができる】
【スカル・デーモン
・カテゴリ
幻想
・ステータス
攻撃力250 NPコスト25
・特殊能力
NPコスト15以下のモンスターを全て破壊する】
「なに、これ……」
描かれた絵はどれもロアが召喚し、クレナに葬られていった魔物達の姿だった。そしてその絵の下に書き綴られていた文字を読み解いた時、クレナは何故だか目まいを催した。
なんだ、これは……なんだ? と――言葉の意味はわかるのに、理解が追いつかない。そんな如何とも言い表しづらい心境に陥ったのだ。
「これは、どこかでみたことが……」
ロアが魔術の札と称した五枚のカード――それは言語こそ違っていたが、クレナの頭にはどこかでこれを見たことがあるという既視感があった。
そしてしばらく熟考して、その既視感の原点を思い出す。
そうだ、この「カード」は兄さんと、兄さんの友達が小さい頃、よく遊んでいた……
【次元幻馬 ―ディメンション・ホース―
祈り込めし時、次元幻馬は異界へ渡る鍵となる】
「これです! 誰か僕に力を貸してくださいって、僕がこの札に祈った時……この札から出てきた天馬が、僕をこの世界へ連れて行ってくれたんです」
クレナが五枚のカードに描かれていた内容を全て確認した時、最後に目に映ったペガサスのような馬の絵が描かれたカードを指してロアが語る。
異世界人である彼がこの地球に来れたのは全て、姉の神巫女から貰ったこのカードの力だったのだ。
しかしクレナの心に襲い掛かって来た衝撃は、そのカードの造形がこの地球において既存するものだということだった。
「カードゲームの、カード……」
「えっ?」
『……いや、なんでもない』
巷では、トレーディングカードゲームという遊びが若者の間で流行っていると言う。
中でも日本のあるゲーム会社が開発した「T.A.Sノベルクリエイターズ」というカードゲームは爆発的なヒットを生み出し、七年前に誕生して以来今では世界で最も売れているカードゲームとしてギネス記録にも登録されている。
ルールはお互いにキャラクターの描かれたカードを出し合い、そのステータスを競っていくと言うクレナの兄彗いわく一般的なトレーディングカードゲームと同じらしいが、最大の特徴はVR技術を生かした……と、その話は今は置いておく。
クレナが目まいを覚えたのはそのカードゲームに使われているカードと全く同じ造形のものが、魔道具としてロアの手に握られているということだった。
地球に存在するカードゲームのカードと同じ造形をした魔道具――その関係を、ただの偶然と切り捨てられるほどおめでたい頭はしていない。
『お前の姉は何者だ? 名前は?』
……彼は、この魔道具を連れ去られる間際、姉から渡されたと言っていた。
そこに思い至った時、クレナはフィクス帝国に連れ去られたロアの姉について初めて興味を抱いた。
虚偽は許さないと示したクレナの眼差しに睨まれながら問われたロアは、自身の姉の名前を明かした。
「ロ、ロラですっ! ロラ・ルディアス……ルディアスというのは神巫女に与えられる名前で……」
そしてクレナはその名前を聞いた瞬間、その後に続く彼の声が聴こえなくなった。
畳み掛けるような情報のラッシュは、まるで彼がクレナに頭を踏みつけられた仕返しをしているのではないかと疑ったほどである。
それほどまでに彼の口から放たれた人物の名前は、ゼン・オーディスに劣らずクレナにとって意味のあるものだったのだ。
「ロラ……? まさか、そんな……」
「……姉上のこと、知っているんですか?」
未来のクレナの記憶を受け継いだクレナの心が今、激しくぐらついているのがわかる。
そう、その名前の人物もまた、未来のクレナにとって縁の深い存在だったのだ。
ロラ・ルディアス――それは、「魔王」が愛した女性の名前。
戦乱に塗れた幻想世界フォストルディアにおいて、実現不可能と思われていた人類と魔族の和平をあと一歩のところまで達成しかけ……クレナ達の前で悲劇的な最期を遂げていった偉人の名前だった。




