第22話
六メートル、五メートル、四メートル。重力に従って落下していく
ペンちゃんの目には、猛スピードで迫ってくる地面の姿が映った。
飛び込んだ穴の先から続く先は、高層ビルの上階から飛び降りるのと同じぐらいの高度である。そのまま地面へと墜落すれば、リアルであれば死亡する危険も大いにあるだろう。
モンスターとの戦闘が前提となる「HKO」におけるプレイヤーのアバターは、初期時点でも一定の肉体スペックが与えられている。しかし、それでも大ダメージを受けることは免れない高度だった。
そんな落下に対して、ペンちゃんはじたばたともがくように短い翼を羽ばたかせていた。
無論、そうすることで空を飛べるわけではない。単なる気分である。ペンギンは空を飛ぶ為ではなく、水中を泳ぐ為に進化した生き物なのだ。空を飛べるペンギンなどその時点でペンギンではなく、アイデンティティーの崩壊を意味する。故にペンちゃんがどれほど翼を羽ばたかせようと重力に抗うことは出来ず、頭の上にゴールデンカーバンクルを乗せたコウテイペンギンの身体はみるみるうちに地面へと迫っていた。
これに対し、「お前どうするつもりだよ!」と抗議するようにペンちゃんの頭をバタバタと連打するリージア。しかしペンちゃんとて、このまま何の抵抗もなく墜落していく気は毛頭無かった。
「そう焦るな。いけ、ジャイアント・ペンちゃん人形!」
高度が残り三メートルを切ったところで、素早くウインドウ画面を開いたペンちゃんは「アイテムボックス」を操作し、そこから一つのアイテムを取り出した。
それはやや太めにデフォルメされた、全長二メートルに及ぶ巨大なコウテイペンギンのぬいぐるみであった。
一目見るだけで柔らかな質感が窺えるそれは、鍛冶師であるペンちゃんが百パーセントの趣味であしらった特別製の一品である。敷布団に使うも良し、ソファーとして使うのも良し、或いは出くわしたモンスターの注意を引き寄せるのにも使えたり、その使用用途は多岐に渡る。
今回ペンちゃんがそのぬいぐるみを取り出した目的は、自らが墜落する衝撃を和らげる「クッション」としての起用にあった。
「そーれペンちゃんダーイブ!」
「キュー!?」
何分高いところからの落下であったが、ペンちゃんの自信作である「ジャイアント・ペンちゃん人形」はコウテイペンギンとゴールデンカーバンクルの衝撃を全て吸収してみせるだけの柔らかさと強度があった。巨大ペンギン人形の真ん丸の腹部に飛び込んだ瞬間、頭にしがみついていたリージアから驚いたような鳴き声が響いたが、その身体を負傷させることはなかった。
よっこらせとおっさん臭い台詞を吐きながらぬいぐるみの腹部から身を起こしたペンちゃんにも、そのHPに異常は無い。やはりクッションとしてこの巨大ペンギン人形を用いてみたのは正解だったと、ペンちゃんは自らの判断を自賛した。
「……うむ、流石私だ。こんなこともあろうかと作っておいた甲斐があった」
「チチッ、チーッ!」
「あ痛っ、そう怒るな。驚かせて悪かったよ……」
因みにこう言ったペンちゃんお手製のペンギン人形はアイテムボックスの中に七種類あり、それぞれ様々な用途で活用されている。
普段はハンマーを扱う鍛冶師であり、戦闘時には時々氷魔法を使い、本気を出した時は七つのペンギン人形を駆使して戦う――我ながらなんて謎キャラだと思いながら、ペンちゃんは己自身のプレイスタイルに苦笑する。
「さてと、フィアは無事かな……って、あれは……」
ジャイアント・ペンちゃん人形を回収し再びアイテムボックスに収めたペンちゃんが次に起こした行動は、一足先に穴に飛び込んでいったフィアの姿を捜索することだった。
あまり想像したくはないが、今のペンちゃんのように上手く着地出来なかった場合、無職故にステータスの低い彼女が死に戻りをする羽目になっている可能性は十分にあった。
しかしその心配の一方で、ペンちゃんには何となく彼女なら無事だろうという楽観的な推測を抱いていた。それにはあのキラー・トマトを相手に見せた彼女の動きが、ペンちゃんの頭に刻み付けられているからなのかもしれない。
……とは言うものの、彼女は幼い少女だ。やはり心配なものは心配である。
真っ先にフィアの安否を気遣い、最初に落ちていったレイカのことはナチュラルに思考から省いているペンちゃんであった。
「チチッ」
「お、居たか?」
探し回ること程なくして、上の方向を仰ぎ見たリージアの声でペンちゃんは目的の人物を発見した。
高さは地表から2メートルほど上の場所。そこには岩の壁に槍の先端を突き刺し、その柄を両手に持ってぶら下がっているフィアの姿があったのだ。
「無事、みたいだな……」
クッションを使って衝撃を和らげたペンちゃんとは違い、彼女はペンちゃんのショップで購入した「シルバースピア」を付近の壁に突き刺し、それをブレーキにすることで墜落自体を防いだのだろう。
見た目は幼女幼女したおっとりした少女だが、ペンちゃんはその光景から彼女の内なる強さを改めて目の当たりにした
しかし購入したばかりの武器を、モンスターと戦うことに使う前にこういう使い方をするとは……鍛冶師としては興味深い光景だった。
「フィア」
「ん、ペンちゃん……?」
「下りれるか? 待っていろ、今クッションを用意するから」
「大丈夫」
ぷらーんぷらーんと雲梯のように槍の柄にぶら下がっていたフィアは、その柄を両手に掴んだまま両足を使って岩の壁を蹴ると、その反動で槍を引っこ抜きながら地面へと落ちていった。
リアルならば怪我の危険もある高さだが、そこはゲームの補正か。二メートルの高さから着地したフィアは足元が多少よろけたものの、特に外傷はなかった。
「よっ、とと……」
「ありがとう、ペンちゃん」
「キュー」
「リージアも、ごめんね……」
着地の際によろけたフィアの身をペンちゃんが支えると同時に、リージアが自然な動作でペンちゃんの頭からフィアの左肩へと飛び移っていく。
そんな二匹に気を配るフィアの目は、レイカを助ける為とは言え先走った自らの行動を申し訳なく思っているようだった。
「レイカ、は……?」
「いや、見ていない。死に戻っていなければだが、お嬢さんは先に行ったんじゃないかな」
フィアと合流したことで心に余裕が戻ったペンちゃんは、今一度周囲を見回しこの場所の造りを確認する。
火の光が無ければ周りが見えなかった上のフロアとは違い、狭い一本道ながらもここは妙に明るかった。
岩壁に覆われた一本道の先に続く前方からは薄っすらと光が射し込んでおり、それはこれまで進んできた洞窟の道程においては見られなかった変化である。
「行ってみるか」
「……うん」
墜落で即死でもしていなければ、レイカはこの道の奥へと進んでいったのだろう。そう判断したペンちゃんとフィアは、薄っすらと見るその光に導かれるように移動していく。
そして、彼女らはたどり着いた。
「おお……」
「わあ……」
それは思わず、一同揃って感嘆の声を漏らしてしまう光景だった。
狭い通路を抜けて彼女らが着いた場所――そこは各所に散らばっている石灰岩や鉱石によって彩られた、広々とした鍾乳洞だったのだ。
下手をすれば、小さな村ほどの大きさがあるかもしれない。それほどの広さがある鍾乳洞の真ん中には美しい地底湖の姿があり、上からは小さな滝が水しぶきを上げて流れ落ちていた。
岩に覆われた天井を見上げれば各所に穴が空いており、その隙間から射し込む太陽の光がこの場所を神秘的に照らしている。薄っすらと見えた光の正体は、この光だったのだろう。
まさに大自然の美しさを凝縮したような、天然自然が生み出した絶景がそこにあった。
「とても、綺麗……」
「……そうだな」
もはや絵画のように見える幻想的な鍾乳洞の景色に圧倒されながら、ペンちゃんとフィアは横並びに歩く。
それから間もなくして、ペンちゃん達は見つけた。
縦ロールヘアーの少女が彼女の武器と思わしき、一本の魔法杖を振るおうとしている姿を。
「あ……レイカ!」
フィアの友達であり、捜索目的の人物であるレイカその人である。
彼女の無事を確認したフィアは安堵の表情を浮かべるが、その表情は今の彼女が陥っている状況を把握した途端、一転して引き締まったものに変わる。
彼女は今、この鍾乳洞で一体のモンスターと戦闘している最中だったのだ。
「あれは……まさかっ!?」
彼女が戦っているモンスターの姿を目にした瞬間、今度はペンちゃんが動揺を露わに声を上げる。
黒と白の体毛に、人の胴ぐらいの体長と長いくちばし。
どこか愛嬌を感じるその「鳥」の姿は、コウテイペンギンであるペンちゃんとよく似ていた。
「ちょっ、この……チクチクと鬱陶しいですわね!」
「レイカ、大丈夫?」
「あ、あらフィアさん、丁度いいところに」
ペンギンによく似たモンスターはレイカに対してくちばしの乱打を浴びせ、チクチクとその先端で突いている。
当のレイカの様子を見る限りあまり威力は無さそうだが、そんなモンスターを相手に手持ちの杖を振るってしっしと追い払おうとする彼女の表情は言葉通り鬱陶しそうに見えた。
そんな彼女は自身に向かって心配そうに駆け寄ってきたフィアに対して飄々とした反応を返すと、丁度良い頃合いだとばかりに高らかに叫んだ。
「これまでモンスターが出てきませんでしたからね。この機会にお見せしましょう、私の実力を!」
そう叫んだレイカが、右手に携えた杖を高々く振り上げる。
その瞬間、彼女の杖の先端に向かって紫色の光が集まっていき、大きな力の玉として生成された。
相手モンスターを葬り去る、必殺の一撃。そのつもりで今解き放たれようとしたレイカの魔法は――横合いから割り込んできたコウテイペンギンによって不発に終わった。
「先輩をいじめるなー!」
「へぶ!?」
ペンちゃんがペンギンに似たモンスターを庇い、魔法発射態勢に入っていたレイカの身体を体当たりで突き飛ばしたのである。
横合いから襲い掛かってきた思わぬ妨害を諸に喰らったレイカはいっそ清々しいまでに勢い良く地面を転がっていき、それを見たフィアが「あ……」と震える眼差しでペンちゃんを見据えた。
「ペンちゃん、どうして……?」
「ハッ……つい……」
「ペンギンスァン! オンドゥルランギッタンディスカー!?」
どうしてレイカを攻撃したのかと困惑するフィアと、妙に滑舌の悪い叫びを上げながら立ち上がる割と元気なレイカ。
レイカの方は割とどうでも良かったが、フィアを悲しませる気は無かったペンちゃんとしては居た堪れない状況である。しかし、それでも今のペンちゃんには譲れない思いがあったのだ。
「突き飛ばしたのはすまん。しかしペンギンとして、先輩がやられるのを黙って見逃すわけにはいかんのだ!」
「せんぱい? ペンギン……その子も、ペンギン?」
「ああ、その鳥の名前はオオウミガラス……私達ペンギンの大先輩だ。現実じゃ、とっくに絶滅している生き物だけどな……」
「オオウミガラス?」
レイカが対峙していたペンギンに似た鳥型のモンスター――その正体を、ペンちゃんは知っているのだ。
名前はオオウミガラス――かつて、現実の地球にも存在していた鳥類の動物である。
チドリ目ウミスズメ科。全長は約80cm、体重は5kgに達する大型の海鳥で、ウミスズメ類の中では抜きん出て大きな身体を持つ。ペンギンと同じで腹の羽毛は白く、頭部から背中の羽毛はつやのある黒色があり、くちばしと目の間には大きな白い斑点が広がっている。
空を飛ぶことは出来ないが泳ぐことが得意であり、元祖ペンギンとしても扱われている絶滅生物の一種である。
今目の前でこちらを威嚇しているモンスターの姿は、ペンちゃんがいつか図鑑で見たことのあるそのオオウミガラスの姿と完全に一致していたのだ。
そのことを話すと、感心したようにレイカが呟く。
「現実で絶滅した生き物をモデルに、モンスターをデザインしたのでしょうか。カーバンクルも似たようなものですが……」
「ぜつめつ、せいぶつ……?」
現実では既に絶滅しているオオウミガラスであるが、ペンちゃんがこうも素早くこのモンスターの正体を看破することが出来たのは、単にペンギンに似ているからというわけではない。
「それがな……! オオウミガラス先輩には聞くも涙、語るも涙の話があるんだ……君達も聞いてくれ!」
「絶滅した、話……?」
興味本位で調べたことがある、オオウミガラスにまつわる絶滅の話……そのあまりの壮絶さに、過去にペンちゃんは涙したものだ。
それは幼い少女であるフィアに聞かせるには刺激が強く、残酷な話かもしれないが……いや、理解しているからこそ、ペンちゃんは彼女らに語りたかった。
決して目にすることは出来ないと思っていたオオウミガラスの動く姿を見て興奮しているのもあったが、それでも語らずには居られなかったのだ。




