第3話
前世の自分は異世界に召喚された。
勇者として多くの魔族と戦い、殺戮を行った。そして、復讐者となった後は人間さえ殺した。
死んでいった仲間達だけではない。前世の自分が殺した魔族や人間達の姿もまた、幾度となく志亜の脳内にフラッシュバックしていたのだ。
赤の他人である麗花に信じてもらえる可能性は限りなく低いが、志亜は前世の自分のことを、その罪を記憶している限り話そうとした。
しかし麗花はそれを遮り、自身の言葉を紡いだ。
「この際だからはっきり言わせてもらいますわ! 貴方はどうにも自分のことを客観的に見るのが苦手なようですから!」
「……家族からもよく言われる」
「そうでしょう! だから私が言いますわ。身内びいきを一切抜きにした、貴方の客観的な評価を!」
客観的な評価――それは言われてみれば、志亜には他の誰かに面と向かってされたことがなかったものだ。
家族からの評価はどうしても身内びいきと言った個人的な主観が入ってしまいがちであり、通信簿に記載される担当教師からの評価などもまた決まって当たり障りの無いものだった。
故に志亜は麗花からどう言われるのか興味があり、その胸に妙な緊張が走った。
――そしてしばし流れる沈黙を破り、麗花が激白した。
「ぶっちゃけると貴方、とても素敵なんですよ!」
屋上から天へと昇って響き渡る、彼女の出した客観的な評価だった。
そのあまりに予想外な言葉に思考が凍りつき、志亜はフリーズしたコンピュータのように固まった表情で彼女の言葉を聞いていた。
「頭は良いのに妙に常識が無くて! 眠たそうな目をしているのに全く眠らなくて授業中もずっと集中していて、でもやっぱり眠たそうに見える姿がどこか可愛らしくて! 身長は小学生みたいに小さいですが、容姿は私に引けを取らないぐらい整っていて! 私が目の下のクマを隠すメイクのやり方を教えてからはびっくりするほどさらに綺麗な顔になって! どうせ貴方は最近増えた視線がどう言う意味なのかわかってないのでしょう! あれは単純に貴方に見惚れているだけです! 最近貴方に告白しようとする愚か者を私の取り巻きで何度追い払っているか知っていますか!? 二十はくだらないですわ、あのロリコン共め! 「志亜ちゃんを膝の上で寝かせ隊」なんていうファンクラブがあることも、貴方は知らないでしょうね!」
「あ、ぁ、ぁぅ……」
予想だにしない麗花の豹変ぶりとあまりにもあんまりな客観的評価に志亜の思考回路はパンクし、変な言葉が漏れてしまった。
そんな志亜に対して麗花は幾度も試験成績で負けている鬱憤を晴らすように、畳み掛けるように続けた。
「貴方は毎日朝早く登校しては教室を綺麗に掃除していますね? そのおかげで、私達はいつも気持ちよく授業を受けています。用務員のおじさま方も感謝していましたよ。そして成績はいつもトップなのにそれを引け開かさないで、貴方は周りの方々が教えを乞えば下心のある男女も問わず、懇切丁寧に優しく教えています。貴方の教えを受けた生徒達が貴方のこと何と言っているかわかりますか? 天使ですわ天使! みんな貴方のことを虫も殺せない生きた天使扱いしているのですよ! ちょっと頭のおかしい方も居ますが、貴方はそれほど周りから注目され、感謝されているのです! この私を差し置いて!」
「そんな……」
早口でまくし立てる麗花の言葉に、そんな馬鹿な、と反論を抱く志亜。
彼女の言うことはどれも事実だが、志亜としては本当に、日常生活の一部として当たり前に行っていたことだ。聖人君子や天使扱いなど分不相応どころではなく、自分が天使ならば他の人間は全員神様になると思っているぐらいである。
しかしそれは偽りなく、赤の他人である麗花から見た客観的な双葉志亜の人物像であった。
それから十数分――全てを語り終えた後、数拍の沈黙を置いて、少々気まずそうな顔で麗花が言った。
「……少し、無駄なことを喋りすぎましたね。まあとにかく、貴方は客観的に見て、それほど評価されているということです。謙虚や鈍感なのは大いに結構ですが、行き過ぎては反感を買うことを覚えてください。特に私は、そういうの大嫌いです」
「そう、か……」
自分嫌いから派生した行き過ぎた謙虚は、他の人間に対して反感を買う。
確かにそうだ、と志亜は思う。
自分よりも出来る人間が、「自分は大したことがない」と言う。そんな相手に対して、なんて謙虚な方だろうと賞賛する者も確かに居るだろうが、皮肉と受け取られて反感を買う可能性は大いにあった。
志亜は目尻を下げ、申し訳ない思いで頭を下げた。
「……城ヶ崎さんは、立派な人。これは皮肉、違う。皮肉だと思ったなら、ごめんなさい」
「皮肉だなんて思っていませんわ。そもそも貴方がそんな回りくどいことを言えるとは思えませんからね。そしてこの私が立派なのは当然ですわ。悔しいですが、結果を出している以上そんな私よりも貴方は優秀なのです……これは揺るぎません!」
今まで勘違いを招く言動をしていたことに謝罪する志亜だが、麗花は元より彼女の意図を読み取っていたらしい。
そのことで彼女のことをやはり立派な人だと再認識する志亜は、彼女の為にももう少しだけ自己評価を改めてみようという気にはなった。
ただもう一つだけ、志亜には彼女に訊ねたいことがあった。
「城ヶ崎さんは……」
「……何ですか?」
胸に走った緊張の痛みは、双葉志亜として生まれてから初めて感じた――対人関係への不安だった。
「城ヶ崎さん個人は、志亜のことをどう思っている?」
何故そんな質問を彼女にしたのか、この時の志亜にはわからなかった。
友人を作る気の無い自分にとって、彼女もまた赤の他人に過ぎない。そんな彼女からどう思われようと、志亜には自分の家族が関わらない限りはどうでも良い筈だった。
――だが志亜の心は今、はっきりと不安を感じている。
それは今まで機械的に人生を送っていた志亜の中に生まれた大きな変化、それでいて人として当たり前の……「嫌われたらどうしよう」、「嫌われたくない」という他者との共存、友好を求める感情だった。
「まったく、貴方という人は……一度しか言いませんよ?」
志亜の抱えている不安を理解してか、麗花が僅かに息を詰める。
身長差の関係から自然と上目遣いに見上げられる志亜の視線に対し、麗花は周囲に気配が無いことを確認した後で言い放った。
「貴方はこの私が、いつか越えなければならない壁……そして……」
言い放たれたのは、最初に出会った時に言ったものと同じ意味を込めたライバル宣言。
しかし次に言い放たれたのは、志亜にとっては初めて聞く――麗花の本心だった。
「この学校では唯一ありのままの私で話せる、危なかしくも気の置けない友人……と言ったところですね」
彼女の言葉を一言一句逃さず聞き届けた志亜は、その瞬間、胸の内から不安が取り除かれた。
出会ってから今まで、麗花は一度も口に出していなかったが……彼女はその心では志亜のことを「友人」と思って接していたのだ。
「せ、せいぜい光栄に思いなさい! 貴方は私の取り巻きではなく、友人なのですからねっ!」
言った後で恥ずかしくなったのか、好きな異性を前にした乙女のように顔を赤らめながら、彼女は縦ロールを揺らした。
その姿は、その言葉は――前世から今世に至っても尚延々と縛り続けていた志亜の心の闇を浄化し、バラバラに砕いていくものであった。
「……ありがとう、麗花」
この時、彼女は志亜に対して、志亜が志亜として生きるに当たって不要なものを壊し、必要なものを与えてくれたのだ。
そのことに志亜は感謝し、初めて彼女の名前を呼んだ。
今後彼女との関係を構築していくに当たって、よそよそしく苗字呼びをするべきではないと判断したのだ。
そんな志亜に対し、麗花は呆れ顔で笑みながら言った。
「現金な方ですね、志亜さんは」
「自分でも、そう思う……」
あれだけ恐れていたことだ。
自分にはその資格が無いと、ずっと思っていた。
失うのが怖かった。
守れる自信が、自分には無かったから。
そして自分の無力さで大切な人を苦しめてしまうのが、耐えられなかったから。
今でもその考え方の根本は変わっていないが、それでもやっぱり、欲しいものは欲しいと――至って人間らしい自分の気持ちに、志亜はようやく気づいたのだ。
――生まれて初めて友達を作ったその夜、志亜は久しぶりに快眠することが出来た。
悪役令嬢チックな少女、城ヶ崎麗花と友人になった志亜は、彼女と接している中で今までに知らなかった彼女の一面を知ることが出来た。
麗華は基本的には見た目通りのお嬢様だが、本来の性格は案外フリーダムである。思い至ればそれは、これまでにも何度か片鱗を見せていたことだ。
例えば口調。基本的には淑女然とした丁寧な言葉遣いだが、感情が高ぶると中々に淑女らしからぬ言葉を遣う。
しかしそれは家族や志亜のような友人に対する時だけらしく、対外的にはやはり絵に描いたようなお嬢様だった。
そしてこれは友人になってから志亜が最も驚いたことだが、彼女の趣味である。
外見からは俄かに想像し難いが、麗花は空いた時間にはゲームセンターに通い詰めているゲーマーだったのだ。
「オーッホッホッホ! どうしました志亜さん? 志亜さんともあろうものが動きが止まって見えますわよ! オーッホッホッホ!」
「……初心者相手に、それはない」
放課後、初心者の志亜を相手に格闘ゲームを始め、これまた試験で勝てない鬱憤を晴らすように志亜の操作キャラクターを一方的に叩きのめしていく姿はまさに「悪役」令嬢のその物だった。その姿が取り巻きに囲まれてクラスを取り仕切っている時よりもずっと生き生きとしているように見えるのは、きっと気のせいではないだろう。
しかし何戦かして志亜が操作に慣れ始めればその実力差は徐々に拮抗していき、やがて麗花が一敗を付けられるまでには大した時間は要さなかった。
「んなっ!? もう一回! もう一回ですわ!」
「構わないが、結果は同じだと思う」
「何ですって? この城ヶ崎麗花に向かってええ!」
学業のライバルは、知らず知らずの内にゲームのライバルにもなっていた。
しかし彼女に振り回されることによって必然的に志亜の中で「ゲーム」というやや不健康的ではあるが趣味らしい趣味が見つかり、彼女の人生はこれまでよりも格段に充実したものとなっていった。
そんな二人が、中学三年生になった頃のことだ。
――二十一世紀の半ば、この世に史上初の「VRMMO」が生まれた。
異世界で送る、ファンタジーな冒険の日々。
前世で体験したそれは、どれもろくなものではなかった。
リアルとゲーム、前世を含めて両方の異世界ライフを送ることになるとは、よもや誰も思うまい。
『VRでも負けませんからね! 志亜さん!』
同時期にプレイすることになった唯一の友人の挑戦的な言葉を思い出し、志亜がふっと微笑を浮かべる。
幻想的な仮想現実の世界を舞台にしたこの「VRMMO」というゲームは当然のように一大ブームとなり、多くの人々を熱狂させた。
そのあまりの人気ぶりは発売から一年を過ぎた今でもなお衰えず、志亜も高校一年生となった今になってようやく購入することが出来たほどだ。
「異世界で悲しいことは、もうたくさん……」
仮想現実の空気に触れた志亜は、近くにあった岩場に腰を下ろし、漠然と空を見上げながら呟く。
現実の世界の空は蒼く、前世の「彼」が生涯を終えた異世界の空もまた、澄み渡る蒼色をしていた。
そして、この仮想現実の空に浮かぶ色もまた「蒼」であった。
志亜が個人的に好きな色は黒だ。黒は全てを塗り潰し、自分が隠したいもの隠してくれるから。
しかし一番綺麗だと思っている色は、この空の色であるスカイブルー。そこに小難しい理由は無く、ただ純粋にそこにある蒼が綺麗だと思った。
そんなことを考えながら感傷に浸る志亜は、澄み渡る蒼穹に向かって宣言するように呟いた。
「今度は、楽しいことを探してみる」
この世界で何を見て、何をなすのか。
それはきっと、未来人でもなければ誰にもわからないだろう。
ただ志亜はこの第二の人生で「彼」としてではなく、「双葉志亜」として生きることを決めた。
前世の異世界は空想よりもおぞましい血生臭い世界であったが……ここは人が人を楽しませる為に作った、現実であって現実でないゲームの世界だ。
ならばゲームらしく、空のように純粋な心で楽しんでみよう――存在ごと掠れていきそうな儚い笑みを浮かべながら、志亜はそう心に決めた。
【レイカさんからメッセージが届きました】
ピリリッと電子音が鳴り響くと同時に、志亜の目の前に透明なウインドウが出現する。
――楽しもう。こんな自分を認めてくれた、物好きな友達と一緒に。
腰掛けていた岩から立ち上がり、志亜は冒険に出かける。
前世の記憶がフラッシュバックする脳内では、天に昇ったかつての仲間達がそんな彼女の旅立ちを満面の笑みで見送っていた。
――これは、前世の記憶を持つ自分嫌いの少女と悪役令嬢チックな少女達が織り成す止まらない物語である。




