第19話
放課後。
この日は所属しているクラブの活動がなかった志亜は、特に寄り道することなく自宅へと帰宅した。
家内の掃除や外に干していた洗濯物を取り込んだりと家の手伝いを終えた後に愛犬のイッチーと戯れ、麗花との約束の時間が近づいてきたところで志亜は「HKO」へとログインする。
リアルの世界からVRの世界である「HKO」へのログインを可能にする装置は、ヘッドホンのような形で頭部に装着する「VRギア」のみ。重量もまたヘッドホンのそれとほとんど変わらず、発売当初の世間はこんな代物で前人未踏のVRMMO技術を実現出来るなどとは到底信じられなかったものだ。
この「VRギア」の使い方は至って簡単である。VRギアを装着した後で起動スイッチを押し、瞳を閉じて三十秒ほどその場に待機するだけだ。
たったそれだけのことで、プレイヤーはまるで夢の世界に落ちていくようにゲームの世界へと飛び込むことが出来るのである。
「ん……」
そんな簡単すぎる手順を踏んだ志亜が自身と同じ姿をしたプレイヤーキャラクター「フィア」として目を開くと、視界一面にはログアウトを行った始まりの町「ハーメラス」の商店街が広がっていた。
このように【Heavens Knight Online】のゲームをセーブデータの続きから再開する場合は、基本的にはセーブをした場所からそのまま始まるようになっている。街中でセーブをすればその街からゲームが始まり、ダンジョン内でセーブをすれば大抵はそのエリアからのスタートになる。もちろん「例外」もあるのだが、今回のフィアには当てはまらなかった。
「チチッ、キュー」
「ふふ、今日もよろしく」
ログインを行いプレイを再開したフィアの左肩には、ゴールデンカーバンクルがちょこんと乗っていた。フィアが昨日獲得したスキルによればどうやらログアウトしている間は「生命の泉」に帰り、再びログインした時には自動的にフィアの元へ戻って来るようになっているらしい。
ゴールデンカーバンクルはフィアとの再会に嬉しそうに鳴くと、フィアの頰に向かってその手触り心地の良い頭を擦り付けてきた。
そんな小動物と戯れながら、フィアはレイカとの合流を待つ。
レイカとの約束の場所は丁度この商店街に指定されている為、フィアがこの場から移動する必要はない。フィアがウインドウを開いてフレンドの「レイカ」へとログインの報告メールを送ろうとしたその時、横合いから目当ての人物に声を掛けられた。
「遅いですよフィアさん、待ちくたびれましたわ」
「ごめん、レイカ……」
「冗談ですよ。私も来たばかりです」
特徴的な縦ロールに束ねられた黒髪に、端正整った顔立ち、自信満々さが溢れ出た勝気な瞳を持ち、体格は女性として非の打ち所のない完璧なプロポーションに包まれた少女。フィアが振り向けば、まごうことなき城ヶ崎麗花の容姿がそこにあった。
尤もそんな彼女でも、何もかもがリアルの麗花と同じというわけではない。見れば髪に隠されている耳の先は尖っており、彼女の種族が人間ではなく「エルフ」であることが窺えた。
尤も種族の違いなどフィアにとっては大した変化ではなく、それよりも彼女が身に纏っている特殊な衣装の方が気になるぐらいだった。
「レイカ、服、変わった?」
「ええ。と言いましても、初期装備から魔法使い用の装備に変えただけですけどね」
彼女が身に纏っている衣装は当然那楼高校の学生服などではなく、いかにもファンタジーめいた造形の紫色のドレスである。頭には同じ色の三角帽子を被っており、その姿はさながら映画や絵本に出てくる魔女のようだった。
「とても、似合っていると思う。レイカは、何を着ても綺麗」
「ふふん、当然ですわ。しかしそう言う貴方の方は、最初の装備から何も変わっていませんね」
「ん、フィアは、これで大丈夫」
「まあ、貴方のことですから何か理由があるのでしょうが……」
日常生活では見ることのないであろうレイカの新しい姿をじっと見つめた後、フィアは率直な感想を言い放ち、レイカはそんなフィアの言葉に満更でもなさそうな反応を返した。
リアルの世界であればコスプレにしか見えないような格好だが、このハーメラスの中世ヨーロッパめいた街並みやレイカ自身の美貌も相まってか、その姿に対する違和感は皆無であった。
「それで、その子が貴方の仰っていた?」
「うん。……大丈夫、レイカは優しい人だから」
挨拶も程々に終えると、レイカの眼差しがフィアの肩に乗っているゴールデンカーバンクルへと向かった。
毛並みの整った尻尾をフィアの首元にマフラーのように下ろしながら、カーバンクルは初対面の人物であるレイカの視線を警戒するようにフィアの髪へと隠れる。
そんな小動物を安心させるように声を掛けると、カーバンクルはピクリと耳を動かしながら控えめに顔を出してレイカの姿を見上げた。
まるで現実の動物そのものと言った反応に感心すると、レイカが膝を屈めて目線を合わせながら呟く。
「あら、可愛らしい。リスに似ていますが、本当に宝石が埋まっているのですね」
そう言って右手を差し伸ばそうとするレイカだが、つぶらな瞳に見つめられた彼女は一定のところでその手を止め、口惜しそうな表情を浮かべて腕を下ろした。
そんな彼女の反応に、思惑を察したフィアが問い掛けた。
「レイカ、触りたい?」
「え、ええ、まあ……」
レイカもまた家では何匹もの猫を飼っており、動物好きな少女である。
そんな彼女がこのように現実ではまず見ることの無い新しい小動物を見れば、その毛並みを見て思わず撫でたくなるのは道理だった。
まるでペンちゃんと初めて会った時の自分のような反応に頬を緩めると、フィアは肩に乗るカーバンクルと目を合わせ、その思考を察知した。
「キュー」
「いい? レイカ、大丈夫だって」
「そ、そうですか、ありがとうございます。よしよし……しかしフィアさん、その子が言っていることがわかるのですか?」
短く鳴きながらフィアの髪から全身を出してくれたカーバンクルの頭を指先で撫でながら、今のフィアの様子を見てレイカが訊ねる。
特に抵抗も無く為されるままに撫でられている今のカーバンクルを見る限り、フィアの言う通りレイカの手を拒んでいないことは間違いないだろう。
しかしその小動物の意志を、まるで言葉を聞いたかのように対応したフィアの姿が、レイカには不思議だったのだ。
そんな尤もな疑問に、フィアが答える。
「スキルを、取ったから」
「ああ、なるほど」
フィアがそう言うと、ウインドウ画面を開いて自らのプレイヤー情報を惜しげも無くレイカに晒す。
そこにはフィアが現在保有しているスキルポイントの量と、習得したスキルが記載されていた。
《現在のスキルポイント 20P
【異種対話 Lv1】 異種族とのコミュニケーション能力
【生命の騎士の祝福 Lv???】 5の天上騎士フィフスから与えられた祝福》
言葉がわからない小動物とコミュニケーションを取る為の「スキル」を、フィアは昨日のイベントクエストで獲得したスキルポイントを使って習得したのである。
そんなスキルの補正もあり、フィアは実際に言葉が聴こえるわけではないにせよ何となくこのゴールデンカーバンクルの意思を察しやすくなっていたのだ。
200Pものスキルポイントから、180Pを注ぎ込んで習得したのがそれである。これ以外にも各ステータスを伸ばすスキルや武器を用いた必殺技的なスキル、倒したモンスターを味方にする「テイム」と言ったスキルも幾つか選ぶことは出来たのだが、フィアはそれらには目もくれずこの【対話】というスキルを習得した次第だ。
「なるほど。そんなスキルもあるのですね……フィアさんらしいと言うか」
コミュニケーションの一点を視野に入れたそれは、戦闘に役に立つものではないだろう。
しかし数あるスキルの中から初めて自分が選んだスキルとしては、何とも彼女らしい判断とレイカは納得した。
「うふふ……家の猫より、大人しくていい子ですね」
「うん、とても穏やか」
それはそうと、彼女が「フレンド」になったというこのはカーバンクルは大人しいものである。
モンスターとは思えない柔らかな手触りと小動物的な可愛らしさに、レイカは思わずまどろみを感じた。
「結局、名前は付けたのですか?」
そんなレイカは今日、学校で会った志亜からこのゴールデンカーバンクルのことを聞いている。その話題の中で、レイカはこのゴールデンカーバンクルに何か名前を付けてあげたいと志亜から相談されたことを思い出した。
ゲームのお供キャラの名前で真剣に悩む彼女の姿は、不器用で真摯な性格が出ていたものだ。
「考えた……でも、気に入るはわからない」
「そうですか。なら直接聞いてみてはどうですか?」
「……うん。じゃあ、言う」
一応レイカも適当に考えてきてはいるが、このゴールデンカーバンクルがフィアに懐き、フィアと行動を共にしたいと言ったのだからその名前は彼女が自分で決めた方が良いだろう。
そんな思いでレイカはフィアによる命名の瞬間を見守っていた。
自らの肩に乗る小動物の姿をじっと見つめながら、数拍の間を置いてフィアがその名を呼ぶ。
「リージア」
彼女が言い放ったのは、どこか中性的な響きを感じる名前だった。
「リージア? 意外なネーミングですね。由来は何ですの?」
「フリージア。とても優しい、黄色の花」
「ああ、フリージアの花ですか」
普段ぽわぽわしている彼女がどんな名前を付けるのかとレイカは興味があったが、今回名付けようとしているその由来はフリージアという南アフリカに咲くかの花にあるらしい。
フリージアとはアヤメ科フリージア属の半耐寒性球根植物の一種であり、またはフリージア属の総称に当たる。日本では別名として「菖蒲水仙」や「浅黄水仙」、あるいは非常に甘い香りを放つことから「香雪蘭」などとも呼ばれている。
「花言葉は確か赤いのが純潔、白があどけなさ、黄色が無邪気でしたね」
フリージアの花言葉は咲いた花の色によって異なり、白いフリージアは「あどけなさ」、黄色のフリージアは「無邪気」を意味する。赤や紫色はそれぞれ「純潔」や「憧れ」を意味し、フリージア全般としては「期待」という花言葉が有名であるが、命名対象であるゴールデンカーバンクルの体毛から考えると、フィアがどの花言葉を意識しているのかは何となくわかった。
「この子は穏やかで、無邪気。だから、考えた」
由来は「無邪気」を意味する黄色のフリージア。
人を前にしても一切敵意を見せないこの穏やかな小動物には、その表現が一番適しているようにフィアは感じたのだ。
「リージアって……呼んで、いい?」
彼女なりに真剣に考えたことが窺えるこ洒落たネーミングを、レイカは及第点だと評価する。
しかしゴールデンカーバンクルのつぶらな瞳を恐る恐る見つめるフィアは、まるで悪戯がバレた幼子のように頼りなく見えた。
カーバンクルはそんな彼女の伺いに快く肯定するように鳴くと、その小さな手で撫でるようにフィアの頬をペタペタと触った。
「ふふ……ありがとう」
「まあ、普通に良い名前でしょう。私が考えてきたのが無駄になって何よりです」
「レイカは、なに?」
「金之助」
「……レイカ、この子は女の子」
「あら、そうでしたか」
ともかくゴールデンカーバンクル改めリージアは、フィアがつけてくれた名前に喜んでいる様子である。
不器用な少女の新しいフレンドとの関係は、人外とも良好なようだった。




