第8話(紅)
そこは人気の無い、取り潰された工場の跡地だった。
ここまでの道のりでは飛行魔法と同時に自分の姿を誰かに見られることの無いように認識阻害魔法を使ってきたクレナだが、そこは元から人の目がないまっさらな場所だった。
四方はドブ川に覆われており、そこら中に生えている雑草も伸び放題だ。廃墟になって随分時間が経っているだろうに工事の手すら行き届いていないそこは、夜中に肝試しでもしようと思わない限り好き好んで訪れる者は居ないだろう。
あまりにもあからさますぎて逆に罠を疑ってしまうほど、誰かが隠れるには打ってつけの場所だった。
「見つかった……? 気配は隠していたのに……」
召喚師の気配を追って飛び立ったクレナが辿り着いたのは、廃工場の建屋の屋上である。そしてそこには案の定、この場所の中で明らかに浮いた存在である不審人物の姿があった。
その不審人物はクレナが空から降りてきたことに気付くと、驚いたような声を漏らす。
まるで自分の気配隠蔽術が完璧とでも思っていたような反応を見て、クレナの頬が歪む。
しかし、同時に気づいた。この町に潜んでいた異世界フォストルディアの召喚師のことを、もしかしたら未来の自分達を召喚したあの性悪男なのではないかと疑っていたクレナだが……今回ユウシを狙ったのは、彼ではなかったのだ。
そのことが一目でわかったのは、目の前の不審人物の身長があの男とは違い140センチ程度と随分低く、その声もまた声変わり前の少年のように幼かったからだ。
……いや、その姿はまさしく少年のものだった。
年の頃は十二から十歳ぐらいであろう。小学生の白石絆と同じぐらいの身長であり、顔立ちも幼さを隠せない童顔だ。
この世界に溶け込んで潜伏する為か、町で市販されている簡素なパーカーを着込んでいた不審人物は、しかし肌や髪の色、目の色が日本人のものではなかった。
――金髪碧眼の、白人の少年である。
いざ召喚師を殺そうと戦意を高めて飛び出した矢先、出くわしたのがこのような子供とは思いがけない展開である。
しかし気配の元を感知し間違え、人違いを犯したという線は無いだろう。
あの時感じた気配は間違いなくこの場に居る少年から発せられたものであり、今も彼の身体からは通常の地球人ではあり得ない膨大な魔力が感じられた。
「……いちおう、かくにんする。さっき、しょうかんまほうをつかったのは、おまえ?」
彼がどう答えようとクレナが取る行動は同じだが、自らの戦意をさらに昂らせる為にクレナは彼の正体を訊ねた。日本語がわからないのならばそれでも良かったが、金髪碧眼の少年は紅の双眸に睨まれながら数拍の間を置くと、観念したように答えた。
「……はい。僕の名前はロア、ロア・ハーベストと言います」
ロア――すぐにこの世から消え去るであろう少年の名前を頭の片隅に入れながら、クレナは内なる魔力を高めていく。
殺意の眼差しで彼の姿を睨んでいると、今度は召喚師ロアの方から訊ねてきた。
「僕の方からも聞かせてください。貴方は……貴方は一体、何者なんですか?」
こちらの正体を問い掛ける言葉。それは予想通りと言うべきか、クレナにとってはつまらない質問だった。
「さっきの人も凄い素質でしたが、貴方の魔力はあまりにも桁違いです。貴方は……どうして貴方のような人が、この世界に居るんですか?」
彼ら召喚師にとって異世界召喚とは、多少の準備は要るがこの地球から勇者となりうる適性を秘めた無抵抗な人間を狙い、自分達の世界に召喚していくだけの簡単な作業だ。
魔力の覚醒した勇者であれば対抗することも出来るのだろうが、素質はあってもまだ覚醒していない地球人ならば簡単に送り飛ばすことが出来る。異世界召喚とは本来、地球人に邪魔される筈のない作業なのだ。
しかし彼にとっては何もかもが簡単に思い通りになっていたところを、クレナは二度も妨害した。
得体の知れない者を相手に恐怖を感じている少年の様子に、クレナの表情から思わず笑みが零れる。
そして魔力を持っている者が相手ならば、地球の人々を相手にするように普通に喋る必要も無いだろうと、クレナは自らの声にちょっとした「操作」を施すことにした。
『そんなに意外か? この世界に、お前の邪魔が出来る人間が居て』
「!?」
一転して滑舌が滑らかになったクレナの声に、ロアが目を見開く。
彼女が今しがた使った魔法に、彼は驚いている様子だった。
「翻訳魔法も使えるんですか……」
『魔法を使いこなせるのがお前達だけだと思うな。お前達なんて、特別な存在じゃない。道端の虫にも劣る塵芥だ。そんな奴に、私達地球人を見下す資格は無い』
「見下してなんて、そんなこと……」
『私はお前達を見下している。頭を踏み潰して上から見下ろして、思い切り嘲笑ってやりたい。奴隷にして、散々こき使った後で殺してやりたいぐらいだ。お前のような子供でも、関係ない』
自分の声に魔力を乗せることで、言語の異なる人種とのコミュニケーションを円滑に行えるようにする「翻訳魔法」。それは読んで字のごとく、術者の話す言葉を相手の理解しやすい言語に変換する魔法である。言語どころか世界すら違うフォストルディアの生活では、おそらく最も重宝した魔法であろう。
異世界人であるロアの言葉をクレナが理解出来るのも、彼がこの魔法を使っているからだ。
そしてクレナもまたこれを使うことによって、劣化した情けない喉でもこの熱情をぶつけることが出来る。しかし「それならば何故今までこれを使わなかったのか」と疑問を抱くだろうが、それには単純かつ明快な理由があるのだ。
翻訳魔法で訳した言葉は、一定水準以上の魔力を持たない者には聞き取ることが出来ないのだ。
それ故に魔力を持たないこの世界の人々との会話では、生の言葉でしかコミュニケーションを取ることが出来なかったのである。
クレナの翻訳された冷酷な言葉を浴びたロアは、気まずそうに顔を伏せながら言葉を紡いだ。
「……始めは、信じられませんでした。トラックを破壊された時も、貴方の力を試す為に差し向けたキラーマンティスをあんな風に倒された時も……何かの間違いなんじゃないかって思いました」
『自慢のおもちゃを壊された気分はどうだ? だがお前達が壊してきたものは、あの程度ではない』
「……恨まれる理由は、いくらでもあります。確かに僕は、決して許されないことをしています」
『自覚があるのか?』
「人攫いに協力するような真似をして、いい気なもんですか……」
『召喚師のくせに善人ぶるな!』
やはり最初に白石兄妹を襲ったのも、あのキラーマンティスをけしかけてきたのもこの少年らしい。
ならば是非も無い。
彼がクレナの言葉に対して申し訳なさそうに目を伏せていたことや、陰鬱な空気を漂わせて悲痛な表情を浮かべていたこと意外ではあったが、クレナには彼が今何を思い何を感じていようと知ったことではなかった。
『もういい』
今から殺す人間を相手に、長々と会話をしても仕方が無い。
簡潔な言葉で会話を打ち切ったクレナは翻訳魔法を解除し、この全身に昂らせた魔力へと意識を注ぐ。
紅蓮の炎がクレナの身体を覆った次の瞬間、浄化の炎で象った身の丈ほどの大きさの紅の剣が、この右手に生成される。先日の戦いで、キラーマンティスを斬り裂いた武器である。
「しゃべりはおわり。しね」
炎の剣を振りかぶったクレナが、今度は翻訳魔法を掛けていない素の声でもう一度殺意を浴びせる。
しかしそんなクレナと対峙して、何を思ったのか彼は両手を上げて叫んだ。
「っ……ちょっと待ってください! 僕の話を聞いてください!」
「わらわせるな」
命乞いなど、聞くと思っているのだろうか。いくら見た目が幼い少年だろうと、クレナの心は彼の細首を掻っ捌くことに何の躊躇も戸惑いも無い。
対話というものは、お互いが対等な立場になって初めて成り立つものなのだ。
「この間のことは謝ります! だから、お願いです……! 僕の話を聞いてください!」
炎の剣を持った右腕を振り上げ、いつでも彼の身体を目掛けて振り下ろせる体勢になったクレナに対して、彼は厚かましくも戦闘行為の停止を訴える。
その光景はさながら、怯えながらも勇気を出して暴漢を説得しようとする幼子のようだった。
召喚師風情が、妙なことを言うものだとクレナは吐き捨てる。彼はその口からクレナに対して、「謝る」などと言った。彼も翻訳魔法を使っているだろうに、その発言はまったくもって理解できなかった。
「あやまる? なにを? ユウシをまきこんだことかッ!」
召喚師という存在は、どれだけコケにすれば気が済むのだろうか。
真紅を宿したクレナの目が大きく開かれ、殺意がさらに昂っていく。
「っ……!」
クレナは右腕を一気に振り下ろすと、彼の身体を目掛けて縦一文字に炎の剣を叩きつけた。
その攻撃を焦りの表情を浮かべながら反応したロアが、バックステップを踏むような動きで後方に跳躍する。
大振りに放った一閃は空を裂く恰好になったが、その勢いのまま下に叩きつけられた炎の剣は二人の足場となっていた廃墟の建屋を一撃で崩壊させていった。砕け散っていく瓦礫と共に、地球の重力がクレナとロアの身体を数メートル下の地面へと落下させていく。
「た、助けて、ワイバーン!」
その瞬間、クレナは彼の右手にどこからともなくカードのような札が出現したのを確認した。
それは全部で五枚ぐらいか、落下しながら彼は自身の手札として展開したその中の一枚を天に掲げると、光の粒子と共に札の中から猛スピードで一体の竜が飛び出してきた。
――竜である。長い首と鋭い牙、細身ながらも引き締まった肉体を持ち、トカゲのような尻尾が生えている地球外生物。その背中からは、オオワシをも遥かに凌ぐ巨大な翼が生えている。
ワイバーン――ロアがそう呼んだ飛竜の怪物は落下していく彼の身体を背中に乗せると、そのまま急上昇して上空に舞い上がっていった。
得意の召喚魔法によって、異世界から自らのしもべを呼び寄せたのであろう。あのカードのような魔術の札は、それを瞬間的に行えるようにする為の媒介に見える。
どうやら彼は、未来のアカイクレナが戦ったことのある召喚師達とは少し気色が違うようだ。
だが。
「にがさない」
彼による異世界召喚は、ここで止める。もう犠牲はたくさんだ。
ワイバーンに乗った彼に対抗するようにクレナは飛行魔法を発動すると、紅蓮の翼を羽ばたかせて上空へと躍り出る。崩れ落ちる廃墟を後にして、二人は白昼の空へと舞い上がった。
「そうか、あの人は貴方の……くそっ、どうしていつも……!」
追い掛けるクレナの姿を背後にしながら、何やら彼が呟く。
自分が召喚しようとした白石勇志という人間がクレナにとって大切な人間だと知って、憐れんでいるつもりなのか。それとも召喚師らしく、他人の人生を弄ぶことに喜びでも感じているのだろうか。
いずれにせよ、そんな彼の姿を見たところでクレナが彼を逃がす選択師一瞬も存在しなかった。
「それでも、助けなきゃいけないんだ……! 封鎖結界っ!」
ワイバーンの飛行速度を超えたスピードで徐々に距離を詰めていくクレナを見て逃走は不可能だと判断したのか、彼は旋回するなり自らの魔力を解放する。
瞬間、クレナは自分の魔力がこの町から一斉に人の気配が消えたことを感知する。彼が「封鎖結界」を張って人払いを行い、時空から切り離したこの世界に自分とクレナだけを閉じ込めたのだ。
クレナだけを結界に閉じ込めなかったのは、今ここで戦う決断をしたからと見て良いだろう。彼は再び自らの手に五枚の札を出現させ、その札のうち二枚を天へ掲げた。
「来て! キラーマンティス・マザー!」
ワイバーンに続いて召喚された二体目の怪物は、先日クレナと彗を襲った魔物よりもさらに大きいキラーマンティスだった。
空で召喚されたことによってカードの中から羽根を広げながら飛び出してきた怪物は、クレナの姿を見るなり親の仇のような猛烈な勢いで鎌を振り下ろしてきた。
クレナはその一撃を炎の剣の刃面で受け止めた後、返す一太刀を持って速攻で怪物の首を跳ね飛ばそうと剣先を滑らせる。しかしその瞬間背後から新たな気配の出現を感知し、クレナは咄嗟に身を翻して高度を下げた。
その判断は正しかったらしく、クレナが先ほどまで居た場所にはフォーク型の鋭利な魔槍を突き出している悪魔の姿があった。
「スカル・デーモン!」
全身が白骨に覆われた人型の怪物が、クレナに対して赤く輝いた両目を向けるなり「ゴッゴッゴッ」と解読不能な言語を口溢す。無骨な姿ながら、その表情が笑っているものだということは未来の記憶からわかった。
キラーマンティス・マザーはキラーマンティスの群れの頂点に君臨する怪物であり、スカル・デーモンは死後の世界を司る白骨化した悪魔の怪物だ。どちらも凶悪かつ強力な力を持った魔物であり、フォストルディアの魔物の中でも討伐困難とされている存在だった。
そんな二体の魔物を従えながら、ワイバーンに乗った召喚師ロアがクレナを見下ろしながら言い放つ。
「僕は貴方と戦う気はありません! 聞いてください! どうか貴方に、お願いしたいことがあるんです!」
「は?」
「こんなこと言って、勝手すぎると思っています……それでもどうか、僕と一緒に来てほしい場所が……貴方にどうしても、助けていただきたい人が居るんですっ!」
「…………」
三体もの強力な召喚獣を召喚したことで、対話が出来る土俵に上がったつもりなのだろう。ロアが必死の形相で叫び、クレナに訴えかける。その内容は、あろうことか懇願だった。
一体この少年は自分の命を狙う敵を前にして何を言っているのかとクレナは訝しんだが、彼の表情は真剣そのものだ。適当なことを喋って時間稼ぎをしているだけにしては堂に入りすぎているその言葉に、クレナは思わず足を止めてしまった。
気を抜いたわけでは断じてないが、クレナは再び自らの声に翻訳魔法を掛けて問い質した。
『来てほしい場所だと? それは、フォストルディアのことか?』
「は、はいっ! 僕は召喚師としてその世界からやって来て、貴方のような強い人を捜していたんです!」
フォストルディア――かつて未来のアカイクレナ達が召喚された異世界の名前を出せば、ロアが驚いた表情を浮かべる。
なるほど、何か訳ありのような口ぶりはそういうことかとクレナは理解する。
この少年召喚師は先ほど、自分と一緒に来てほしい場所があり、助けてほしい人が居ると言った。
その来てほしい場所と言うのは彼の故郷である異世界フォストルディアで、助けてほしい人というのは……そこに住んでいる人々のことであろう。
勇者である勇志達がまだ召喚されていない今、あの世界の情勢は魔界から侵攻してきた魔王軍によって劣勢に置かれている筈だ。
故に、召喚師である彼は動いたのだ。
強い人を捜していたというのは魔王軍と戦う為には相応の戦力が必要であり、勇志達を召喚しようとしたのと同じ理由であろう。
彼は今にも泣きだしそうな顔をしながら、要するにこう言っているのだ。
――この紅井クレナに、自分達の為に、魔王軍と戦え、と。
「ふ、ふふふ……」
それを理解した瞬間、堪えられない笑みがクレナの口から漏れていく。最初から殺す気満々で彼と対峙していたつもりだが、それでも見た目幼い少年を手に掛けるのは少しだけ抵抗を感じていたのかもしれない。この頭にあるのはあくまでも未来の自分が経験してきた記憶に過ぎず、今ここに居る自分自身が経験したことではないのだと改めて思い知らされる。
しかし、今この時を持ってそんな感情は完全に無くなった。
今のクレナはまるで記憶にある未来の自分と同じように、完全にクリアになっていた。
「ふざけるなよ、こぞう」
紅蓮の炎と共に翼を羽ばたかせながら、私は急加速を持って「敵」の元へと突っ込んでいく。
自分でも驚くほどに、その身体はハヤブサよりも速く動いてくれた。
その動きに唯一反応することが出来たスカル・デーモンが槍を構え、主を守るように急迫するクレナの前へ飛び出してきた。
しかしその動きさえ、今のクレナにはスローモーションに見えた。
『異世界召喚が……』
一瞬にも満たない交錯の中、クレナはデーモンの胸を目掛けて炎の剣の切っ先を突き刺すと、その一閃は血しぶきを上げて背中まで貫き通していく。
激痛に驚愕する悪魔の姿に獰猛な笑みを浮かべたクレナは、敵の胸を貫いた剣の柄を捻りながらその身体を高々く待ち上げた。
自分より何倍も大きな巨体を天へ掲げながら、クレナは召喚師に見せつけるように叫ぶ。
「そんなにすきかああああっっ!!」
魔法に頼る必要すらなく、クレナの喉から出てきた初めての大声がこの空に響いていく。
それと同時。
貫いた炎の剣からおびただしい業火が放たれ、スカル・デーモンの身体を内側から焼き尽くしていく。
断末魔を交えた爆発が目の前に広がっていき、砕け散っていく怪物の肉片と紅蓮の光が結界の中で拡散していった。
いつの世も悪魔を殺せるのは、神か聖者か天使か、同じ悪魔だけだ。
天使でも神でもないこの時のクレナは言うまでも無く、人を超えた力を持つ悪魔そのものだった。
御大将系女子流行れ




