第2話
かくして始まった志亜の中学生活は、一年生の終わりまでは小学校時代と変わりなかった。
自己を確立させた後も志亜の自分嫌いは治らず、それ故に友人を一人も作らないまま、ただ孤独に学生の本分だけを全うする日々を過ごしていた。中学生としてはあまりに陰気な少女であったが、それでもいじめの標的になったことが一度もないのは常に好成績をキープしていたからだろうと志亜は思う。
運動面に関しても、仮にも前世は勇者であった志亜だ。加えて運動神経は父親から受け継いだのかそれなりに良く、寝不足による成長ホルモン不足から身長こそ小柄であるものの周りの足を引っ張ることもなく、他の生徒達からガリ勉と陰口を叩かれることもなかった。
志亜自身は全く気づいていなかったが、彼女は傍から見れば文武に隙が無く、小学生と見間違えるほど小さな身体以外にはこれと言った欠点の無い模範生だったのだ。
それも、自分嫌い故に気づかなかったことだ。
そしてこの世界が自分が思っているよりもずっと愉快なものであることにもまた、彼女は気づかなかった。
「貴方が双葉志亜ですね?」
三学期の期末テストが終わり、上位陣の成績が教室の壁に貼り出された廊下に一人佇んでいると、志亜は不意に誰かに呼び止められた。志亜が全教科満点という成績に喜びではなく安心を抱いていたところに掛けられた、やや刺のある女の声だった。
昨夜も前世の記憶のフラッシュバックの為に寝不足であった志亜は、その声に振り向くとクマの濃い両目で相手の姿を認めた。
――そこに居たのは、いかにもお嬢様然とした少女だった。
特徴的なのは絵に描いたような縦ロールヘアーだ。髪が伸びる方向に対して髪が螺旋状になっており、その形状はどこかドリルを彷彿させる。その髪型を毎日セットする労力は計り知れず、志亜には一目見た瞬間から彼女の身だしなみへの努力に尊敬を抱かずに居られなかった。
「志亜は志亜。貴方は?」
「……何ですって? 貴方は私の名前を知らないのですか?」
「クラスメイトの名前は記憶している。しかし、貴方は志亜のクラスメイトではない」
髪型を抜きにしても異様に整った顔立ちと言い、中学生離れした抜群のプロポーションと言い、一度見れば忘れない筈の濃い少女だったが、申し訳ないことに志亜には彼女と会った記憶が無い。そのことを正直に言うと、少女は信じられないと言いたげに目を見開いた。
「ふ、ふん! なら今から覚えておきなさい! 私の名前は城ヶ崎 麗花ですわ!」
「城ヶ崎 麗花……覚えた」
この縦ロールの少女の名前は、城ヶ崎麗花というらしい。これもまたいかにもお嬢様らしい名前だと、見た目と名前の一致から今後も忘れることはないだろうと志亜は記憶しておいた。
「……それだけですか?」
「それだけ?」
しかし、言われた通り名前を覚えた志亜に対して、麗花は不服そうな顔をする。その肩は苛立ちによってかプルプルと震えていた。
「な、何ですのこの人は……私はあの城ヶ崎グループ会長の娘なのですよ……? もっと他に言うことがあるでしょうに……!」
「それは知らなかった。謝る」
「いえ、そうではなく! もっと大きな反応を! 城ヶ崎……まさか、あの有名な!? っていう感じに驚いてほしかったのです!」
「?」
「……はっ!? 私は何を……」
「あ」
「な、何ですの?」
見た目通り良いところのお嬢様らしい彼女は、中々に愉快な性格のようだ。
無表情で彼女の顔を見つめる志亜は、ふと先ほどまで眺めていた成績の順位表を思い出し、気づいた。
「貴方は期末テスト二位の城ヶ崎さん?」
「悔しながらそうですわ! 今更お気づきになられたのですか?」
「貴方がそうだとは今知った。しかし、城ヶ崎麗花の名前はずっと意識していた」
「えっ?」
同姓同名の別人の可能性も考えていたが、やはりそうかと志亜は納得する。
壁に掲示された期末テストの順位表には、一番上には大きく「双葉志亜」の名前が、そして一つ下には「城ヶ崎麗花」の名前が書かれている。それは成績順位一位が志亜で、二位が彼女であることの証だった。
これは三学期の期末テストだけでなく、一学期、二学期と同じように続いた光景である。
「一学期も二学期も、志亜は貴方に追われていた」
「……そうですわ。勉強なんてしなくてもずっと一位だった私を、貴方は初めて負かした。そんな貴方に勝つ為に、私はこの一年間、プライドを捨てて勉学に勤しみました!」
一学期から志亜の名前が麗花の上にあり、二学期も三学期も志亜の成績は彼女のそれを上回っている。しかしその点数を見れば、麗花が学期を追うごとに学力を伸ばしていることは明白だった。
中学校に入学して以降未だ満点以外を取ったことのない志亜だが、彼女との差が縮まっていることは常に感じていた。
志亜は学力二位の城ヶ崎麗花に対して、その名前を意識していたのだ。
「志亜は貴方に抜かれない為に小学校時代よりも勉強をした。だから今回も一位になった」
「ええ、認めますわ! この度お会いするまで、双葉志亜がこんな方だとは思っていませんでしたが……この一年は私の負けです」
苦虫を噛み潰したような表情で悔しがりながらも、麗花は自らの完敗を認める。見た目とは裏腹に冷静な目を持っているようだと、口には出さないが志亜は彼女に対して好感を抱いた。
そんな彼女はキッと強気な眼光で志亜を睨み付けると、堂々たる佇まいから言い放った。
「ですが、次からは負けません! 城ヶ崎家の名にかけて、貴方だけは私が倒します!」
それは、麗花の志亜に対する挑戦状――ライバル宣言だった。
三学期が終わり、志亜達は二年生へと進級した。
この一年は小学校時代と比べて勉強量が増えた程度の変化だったが、最後の最後で彼女――城ヶ崎麗花と出会ったことはその後の志亜の人生にとって大きな変化となった。
「オーッホッホッ! 同じクラスになりましたね双葉さん! 私の威光を間近でご覧なさい!」
「あ、城ヶ崎さん」
二年生のクラス分けは、彼女と同じクラスになった。
それによって志亜には彼女と話す機会が増え、城ヶ崎麗花という少女の人となりを知ることになった。
クラスメイトに対して常に高慢な態度を振り撒き、大衆が抱くお嬢様のイメージをそのまま体現したように彼女の周囲には頻繁に麗花様、麗花様と声をかける取り巻き達の姿があった。
この学校には表立ってカースト制があるわけではないが、彼女には周りの人間を従える不思議な魅力があるのだろう。取り巻き達は誰かにそうするように命じられたわけではなく、自主的に彼女を崇めているようだった。
常に取り巻きに囲まれながら登校する縦ロールの美少女、城ヶ崎麗花。
しかし、彼女の性格は意外にも面倒見の良いものだった。
「双葉さん! 貴方はいつもいつも何ですのそのクマは!?」
「不眠症」
「何ですって!? お医者様にはお診せになられたのですか?」
「近所の病院、志亜は常連。これでも、昔より良くなった方」
「……そうだったのですか。しかし淑女たるもの、そんな目をしていてはいけません! 私がクマの消し方を教えて差し上げますから、放課後私の家に来てください!」
その日も前世のフラッシュバックに悩まされ、睡眠不足のまま登校した志亜は麗花に目の下のクマを見られ、彼女から心配をされた。
しかもそれだけに留まらず、麗花は淑女の嗜みとして目の下のクマを隠す化粧の仕方を伝授してくれたのだ。
そうして成り行きから志亜が初めて招かれることになったクラスメイトの家――麗花の自宅は概ね想像通り、当たり前のように執事や数人のメイドを雇っている豪邸だった。
家主の令嬢たる麗花の部屋に招かれた志亜は、その中で彼女から直々に化粧の手ほどきを受けた。
中学生の身で化粧をすることには抵抗のあった志亜だが、思いの外化粧自体は外面からはわからないほど薄く、それでいて目の下のクマは隠れる、志亜にとっては理想的なものだった。
鏡と向き合った自身の目の下からクマが消え去ったことを見て、志亜は素直に感心する。化粧でクマを隠すことは前世が生物学上男性だった志亜にとって、まさしく盲点だったのだ。
一方、クマの無いすっきりした志亜の顔を初めて目にした麗花は、鏡を見て驚愕に目を見開いていた。
「まさか……これほどまで……!」
「城ヶ崎さん、どうした?」
「貴方はっ! 今までなんて勿体の無いことを!」
「?」
何が勿体の無いことなのか、志亜には自分嫌い故に彼女の叫びの意味がわからなかった。
それから志亜は彼女に「不眠症が治るまでは必ずこの化粧をすること! 絶対ですからね!」と釘を刺されることになる。
その言葉の理由がわからず小首を傾げる志亜だが、数ヶ月間クラスメイトとして過ごし彼女の扱いを心得始めていた麗花に「ご両親に恥をかかせない為にもそうするべきです!」と言われては従わざるを得なかった。
毎日寝不足がわかる姿で登校することは、家での生活を疑われかねない。ひいては、親の教育を疑われかねない。
実際志亜は過去にそういった誤解を受けたことがある為、自らのクマを隠すことには賛成だった。
依然としてフラッシュバックは治らず寝不足の日々は続いているが、化粧を覚え、目の下のクマを隠すことが出来るようになってから、志亜は外面上は以前よりもすっきりした顔で登校するようになった。
しかし、それを期に妙に周りから浴びる視線が増えた気がするのは、麗花ほど上手く化粧が出来ず、不格好になってしまったからだろうか。そう思い志亜は麗花に化粧の出来栄えを訊ねてみるが、返って来たのは「時々薄っすらと残っていることもありますが、まあ概ね及第点ですわね」との言葉だった。
化粧に問題が無いならば、この視線は一体何なのだろうか? 志亜が疑問に思いながら数日が過ぎ、その日も周りの視線が気になっていた頃、彼女の身にそれは起こった。
「好きです! 付き合ってください!」
クラスメイトである男子生徒の一人から、放課後に校舎の屋上へと呼び出されての出来事である。
志亜としては生まれて初めて受けた、異性からの告白だった。
これには普段無表情、無感動な志亜も心から驚いた。
しかし志亜の口から出たのは告白に対する返事ではなく、何故こんな根暗なちんちくりんにという自己否定からの疑問であった。
「趣味が悪い。私より良い人は星の数ほど居る」
「違う! 俺は志亜ちゃんじゃなきゃ駄目なんだ!」
「でも、志亜は貴方を知らない。知っているのは志亜のクラスメイトであることと、名前だけ」
「じゃあ友達から始めよう! そうだそうしよう!」
趣味の悪い男も居たものだと思ったものだが、告白してきた男子生徒は中々に情熱的な心の持ち主であった。顔立ちも悪くはなく、彼ならば自分以上の交際相手など幾らでも見つかると思ったほどだ。
志亜も勇気を持って告白に踏み出した彼のことは、嫌いにはなれなかった。
ただ友達から始めようにも、志亜には友達を作ることに自体に強い拒否感がある。
フラッシュバックするのは多くの仲間を、友達を作った前世の自分――「彼」の姿だ。
多くの友を持っていた彼はそれらを一度に失うことの悲しみを、苦しみを知っていた。
志亜は「彼」ではなく、双葉志亜として生きることを決めた。しかし前世の後悔から生まれた歪んだ友人観は、この期に及んでもまだ治っていなかった。
「っ……友達は……失うのが、怖い。だから貴方とはなれない。ごめんなさい」
「え? それってどういう……」
「ごめんなさい……」
「あ……あの、志亜ちゃん?」
誰一人守ることが出来なかったという「彼」の罪は志亜にとって何よりも重く、自分には交際するに当たって友達から始める資格すら無いと志亜は思っていた。
決して「あんたなんかと友達になりたくない!」という意味で彼を拒絶しているわけではない。これもまた自分嫌いをこじらせた結果であり、意を決して告白をした少年にとってはあまりにも不幸な出来事だった。
そういう意味では女の趣味が悪いという点は、客観的に見ても正しかったのかもしれない。
「オーッホッホ! その子と友人になれる殿方なんてこの学校には居ませんわ! 諦めて下がりなさい!」
「げえええっ! 悪役令嬢!? 悪役令嬢がなんでここに!?」
「誰が悪役令嬢ですか!」
傍目からは中学生の男子が小学生の女子を困らせているようにしか見えない二人の間に割り込んできたのは、珍しく取り巻きがいない城ヶ崎麗花の姿だった。
唐突な彼女の登場に腰が引けた少年はこの度の告白が実らなかったことに落胆しながらも、最後に「時間を取って悪かったね」と志亜に頭を下げ、爽やかな笑顔で屋上から去っていった。
「……ありがとう」
客観的に見れば、彼は交際相手として落ち度はなかったのかもしれない。しかし彼の為にもどうしてもその気になれなかった志亜は、事態を比較的穏便に解決させてくれた麗花に対して礼を言う。
すると麗花はふんと鼻を鳴らしながら、優雅な口からこう返した。
「勘違いしないでください! 私は貴方が告白の断り方に困っているのを見て助けに来たのではありません! この私が居る屋上で騒ぎを起こされては堪りませんからね! 良いですか? 私はあの方に連れていかれた貴方を心配してわざわざ助けに来たのではありませんからね!」
「わかっている。志亜にそんな価値は無い」
「――ッ!」
彼女の言葉に、言われるまでもないとばかりに志亜は言い捨てる。
自分など勝手に困らせておけばいい。ただ彼女は彼女自身の為にそうしたのだと、志亜はそう思っていた。
こんな自分には、彼女が救いの手を差し伸べるほどの価値は無い。
――貴方は志亜にとって家族でも、友人でもないのだから。
志亜がそう、普段通り抑揚の無い声で言い放った時だった。
「ああ~もう! いい加減! 自分を卑下するのはおやめなさいっ!」
麗花が怒鳴り、志亜の肩を掴んだ。
「貴方がそう言う度に、貴方の後ろを追い掛けている私の立場はどうなると思うのですか!? 貴方は私にとって唯一の競争相手……そう、ライバルなのです! そんなライバルに価値が無いのでしたら、この私まで無価値になってしまうではないですか!」
「しかし、志亜は……」
過剰に自分を卑下するところは貴方の悪いところだと、以前も家族から言われたことがある。
それを同年代のクラスメイトから面と向かって言われたのはこれが初めてであり、志亜は無表情の下でほんの少しだけ動揺していた。
だが、事実なのだ。志亜が志亜として生きようと、双葉志亜という人間がみすみす友と妹を死なせた罪深き「彼」の生まれ変わりであることも、他の人間とは違って価値の無い「二度目」の人生を送っていることもまた、全て紛れもない事実だった。
志亜からしてみれば、これで卑屈にならない人間の方がおかしいのだ。




