第12話
その時の青年は、身体中の神経が焼き切れ、既に痛みを感じることも出来ない状態だった。
出血は酷く、骨は砕け、四肢の大半が無惨に潰れている。辛うじて生命活動を続けているのが奇跡としか言いようのない状態で倒れながら、「彼」はそこに居た。
――死ぬのか。
薄れゆく意識の中で、彼は淡々と、機械的に今の自身の状態を確認する。
これまでに十一人の仲間の死を見届けてきた自分にも、とうとうその時が来たようだ。ここまで無様に生きながらえてきた割には、いざ死ぬ時となると存外呆気ないものだと自嘲の笑みすら浮かべたい気分だった。尤も頬の筋肉すら、今はピクリとも動かすことが出来なったが。
――これで、終わりだ。
微かに残っている曖昧な視覚情報から、彼は周囲の状況を確認する。
辺りの至るところに砕け散った瓦礫の破片が散らばっており、室内でありながらも仰向けに倒れた体勢から見上げる一点には天井の形がなく、自然のままの姿である緋色の空が剥き出しのまま浮かんでいた。
その無惨な有様は先ほどまでここが室内――「魔王城」の中だったとは到底思えない。五百メートル以上の高さに聳え立つ威容を誇っていた城の姿は見る影もなく、彼らの戦いによって崩壊したのだ。
まるでいつか見た怪獣映画のように、我ながら随分と派手に戦ったものだと青年は思う。
そこまで考えた次の瞬間、彼の瞳は暗闇を映した。
――もう、何も見えない。
プツンと、糸が切れるように彼の視界が消えたのである。
心臓の鼓動も感じられなくなり、間もなく意識そのものが闇に落ちた。それは勇者として六年間戦い続けてきた男としてはあまりに呆気の無い、「彼」の命が終わろうとする瞬間だった。
彼は自分が死ぬことに対して、何の感慨も沸かなかった。
勿論、心残りはある。妹のキズナのこと――最後に残る唯一の仲間である彼女を残して、兄である自分が先に逝ってしまったことは彼女に申し訳なく思う。
だが、これで良かったのかもしれない。
今や魔王軍はほぼ壊滅し、最後の敵である魔王にもこの手で深手を負わせた。その代償にこうして自らの命を差し出す結果となったが、そんなものは妹の命と比べれば安いものだった。
妹が死ぬぐらいなら、自分が代わりに死ぬべきだ。彼女はもう、自分が居なくても大丈夫だから。
彼女の力を持ってすれば、消耗した今の魔王を討つことは容易いだろう。自分の命が妹を救う結果につながるのならば、彼に無念など無かった。
だからこそ、彼は安心してその身を覆う死へと身を委ねたのだ。
生命活動を停止しかけた彼の身体を、青い光が包み込むまでは――。
「…………!」
今まさに彼の魂が土に還ろうとした次の瞬間、彼は呼吸を取り戻した。
心臓が再び鼓動を開始し、同時に全身に激痛が走る。
彼の身体の神経細胞達が一斉に蘇生し、痛覚を取り戻したのである。
その痛みは徐々に和らいでいき、並行して四肢の感覚も復活し始めてきた。
全身に力が蘇っていく――それは、奇跡と呼ぶにしてもあまりに都合の良すぎる事態だった。
――まさか!
身体中に生命力が戻り、傷が癒えていくのがわかる。その現象に心当たりのある彼は目蓋を動かせるようになったと同時に目を開くと、生命力と共に蘇った微かな視力を持って自身の手を握っている一人の少女の姿を認めた。
――キズナ!!
湖のように透き通った青色の髪。その身体もまた青い光を放っており、その光は少女の手から伝って彼の体内へと流れ渡っていた。
触れる者全てに癒しを与える力。それこそが少女――彼の妹である「キズナ」がこの世界で得た「C.HEAT」能力、「生命の光」だった。
その名から想像される通り、「生命の光」とは使用者が対象とする生物に生命を分け与える力だ。この力を持ってすれば対象の四肢がなくても、完全に死亡していない限りはどんな状態の人間でも元の姿へと蘇らせることが出来た。
そんな反則的な力を持つ彼女が居たからこそ、勇者達は少人数でありながら世界の大半を牛耳る魔王軍とこの日まで渡り合えたのだ。彼女が居なければ、勇者達は七日と持たずに全滅を迎えていたことだろう。
――だが、その力は強力であるが故に、幼い少女が払うには高すぎる代償が必要だった。
それは彼女の命こそが何よりも大切な彼にとって、決して許されない代償だった。
『兄さんは……死なせない……!』
彼女の祈りに呼応して青色の光がさらに力を増していき、彼の身体の治癒速度がその光の量に比例して一気に跳ね上がっていく。
全身の痛みが和らいでいく中で、しかし彼の心中は死の間際とは比べ物にならない激情に覆われていた。
『や……めろ……』
彼女の力によって喉の機能を取り戻した瞬間から、彼は声を上げて彼女にその手を放し、光を止めるように促した。
この命を繋ぎ止めようとする「C.HEAT」能力、「生命の光」はこれ以上使ってはならないと。
『…やめ…てくれ……キズナ……』
『出来ないよ……兄さんを見捨てるなんて!』
『もう、いいんだ……俺は……お前さえ、生きていれば……』
『私の命は、もう少ないから……だから残った全てを、兄さんにあげる!』
『駄目だ……やめるんだ……!』
彼女の「生命の光」は、他の生命体に自らの生命を与える力だ。
それ故に、発動の度に自らの生命を消耗していく自己犠牲の力でもあった。
使えば使うほど、彼女自身の生命力が著しく低下していくのだ。そして限界を迎えれば、彼女は命を失う。
過去に何度かこの力を使ったことのある彼女の余命は、既にこの時点でも残り幾ばくと無い状態にあった。
だから彼女自身、この時を迎えるずっと前から覚悟を決めていたのだろう。「生命の力」の度重なる使用によって残り僅かしか生きられない自分の命を……どう使うか。
そして、彼女は選んだのだ。命の危機を迎えた兄を、残る最後の力で生き返らせることを。
まだ幼い妹に、そんな考えをさせてはいけなかった。だが彼女には、それが出来てしまった。
彼女は――キズナという少女は他人の不幸を誰よりも悲しみ、自分を捨ててさえも他人の為に優しくなれる人間だったのだ。
『ずっと、待ってた……今まで何の役にも立てなかった私にずっと優しくしてくれた兄さんの為に……何か、出来ること……』
『やめてくれ……これ以上はお前が……!』
『ここで、戦いに勝っても……私は長く生きられないから……だから、兄さんが……兄さんは、生きて』
彼女は兄の為に自らの命を犠牲にすることに対して、最後まで躊躇いを見せなかった。
兄だけではない。いつだってそうだった。
彼女は苦しんでいる者が居れば他の誰よりも命を削って、常に他者の為を思って戦っていた。
自分が地球に帰ることを目標とせず、異世界の人々を本気で救う為に戦い続けていた。
『ごめんね……兄さん』
もはや届かない叫びだとわかっていても、彼は妹に呼びかける声を止めなかった。
自らの死を受け入れられても、妹の死だけは受け入れられなかった。彼女を守る――それだけが、この世界で生きていく全てだったのだから。
――最愛の妹がその力で治してくれた喉から力を振り絞って、彼は狂乱の叫びを上げた。
……しかしそれすらも、全てが無駄に終わるしかなかった。
やがて彼女の放つ青色の光が淡くなって消え去り、彼が自分の意志でその身体を自由に動かせるようになった時、既にキズナという少女の生命は、この世から消えていたのだ。
怒り、悲しみ、あらゆる感情が綯交ぜになった彼の慟哭が、緋色の空に轟き渡る。
彼の頭の中で、何もかもが砕け散っていく。心が崩壊していく。
それは、「彼」のその後の運命を決定づける、生まれ変わった今でさえ記憶に残り続けている出来事だった。
――彼女は、自慢の妹だった。
強くて、優しくて、勇気があった。自分なんかよりも、彼女こそが最も勇者たる存在だったのだ。
そんな妹の存在を、「彼」は自らの命が終わる最期まで愛し続けていた。
精神が崩壊し、心が完全に壊れてしまい仲間の名前さえ忘れてしまったその時でさえも、唯一妹のことだけは忘れなかったのだ。その事実が、「彼」がどれほど彼女のことを大切に思っていたのかを表していた。
キズナという少女は、本当の優しさを持っていた。それは懺悔の思いから来る双葉志亜の嘘の優しさとは違う、深い慈愛の心から来る本当の優しさだ。
だからこそ「彼」の記憶を受け継いで生まれた志亜――フィアは彼女のことを誰よりも尊敬し、「彼」だった頃と一切変わることなく愛し続けていたのである。
「キズナなら、どうしていた……?」
一人。漠然と川の水面を眺めながら、フィアはぽつりと独語する。岩の上に膝を抱えて座り込んでいる彼女の姿を、焼け野原となった「始まりの森」の自然が囲んでいた。
ここは、フィアが初めてペンちゃんと出会った場所である。それも現実時間ではほんの数時間前のことだと言うのに、随分と長く感じるものだ。
キラー・トマトとその元仲間達が立ち去った後、次に森を去ったのはスキンヘッドの男だった。
森を焼いた責任の一端を担う彼はその罪を償うべく、まずは迷惑を掛けたプレイヤー達に謝罪する為に町の集会所へと向かった。その結果多くのプレイヤー達から冷たい目で見られたり罵詈雑言を浴びせられることになるかもしれないが、彼もこればかりは庇われるわけにはいかないとフィアの同行を頑なに拒否した。
それでも彼の身を心配するフィアを見かねてか、ペンちゃんが「私のフレンドにボディーガードを頼んでおいたから大丈夫だよ」と、彼が町の中で再びPKに遭う危険が低いことを言い聞かせることで説得に当たった。そのフレンドは有名な実力派プレイヤーの一人であり、そいつが居る前では誰も下手なことは出来ないと言い切るペンちゃんの姿がフィアの目には何とも自信満々に映った。
そうして二人だけ森に残ったフィアとペンちゃんだが、ここで別れを切り出したのはフィアの方だった。
キラー・トマトとの対峙からフラッシュバックに襲われていたフィアは、一旦気持ちを落ち着かせる為にペンちゃんに「一人にさせて」と頼んだのだ。
それだけならばログアウトしてリアルに戻れば良いだけなのだが、フィアはその前にこの場所がどうなっているのか気になっていたのだ。フィアにはスキンヘッド達を恨む気は無かったが、あの綺麗な場所も燃やされているのかどうかその目で確認しかったのである。
ペンちゃんはその頼みを、渋々ながらも承諾した。尤も、彼女は別れたふりをしただけで今でも木陰に隠れながらフィアの姿を心配そうに見守っているが。明らかに元気を失っているフィアの様子を見て、ペンちゃんはどうしても放っておくことが出来なかったのだ。
フィアはそんなペンちゃんの動向を察していたのだが、それを咎める気は無かった。
悪い言い方をすればペンちゃんはフィアに対して嘘をついたことになるのだが、嘘にも善意の嘘と悪意の嘘との二つがあることぐらいはフィアもわかっている。ペンちゃんが優しいペンギンだと信じて疑わないフィアは問われるまでもなく前者の嘘として認識しており、フィアは寧ろ心配してくれてありがとうとペンちゃんの優しい心遣いに感謝していた。
そうして再び川の見えるこの場所を訪れたフィアだが、やはりそこも荒れていた。
緑に覆われ、小動物達が戯れている美しい自然の姿はそこになく、焼き払われた草むらの跡と、木の欠片や炭が流れている濁った川の景色だけがそこにあった。
「キズナなら、守れた……理解も、してあげられたのに……」
変わり果てた景色を眺めながら、フィアが呟く。
あの時、スキンヘッド達の暴走を見逃したのは、やはり間違っていたのだろうか。彼らにも事情があるからと止めなかったのは、優しさではなかったのだろうか。本物の優しさを持つ彼女なら、この自然を守る為に動いたのだろうかと、フィアは自問する。
……愚問である。フィアの知るキズナならば、自然を守った上で彼らのストレスを解消し、PKを楽しむキラー・トマトの欲望さえ穏便に満たす方法を導き出していたに違いない。
フィアに足りない優しさを見せて。
「フィアは……フィア。キズナじゃ、ない……」
今はっきりと言えるのは、フィアに彼女の真似は出来ないということだ。
嘘で塗り固められたフィアの優しさでは、精々が自分が盾となって思う存分斬られてあげることぐらいしか思いつかない。しかしそんな方法では根本的な解決になりえず、相手を理解したことにもならない。
記憶に残るキズナという少女は、敵である魔族とすら分かり合うことの出来る子だった。
戦いではなく話し合いで向き合い、一時は彼女のお陰で魔王軍との和平すら開きかけたのだ。……結局はその努力も、人類側の凶弾によって無に還ったが。
しかし自分の為ではなく、誰かの為に生きる。今世の家族に自分の存在を受け入れられたあの日から誓ったそれが、今のフィアにとって行動原理の基盤だった。
そんなフィアの考える理想の人物像が「彼」の妹であるキズナだったのだ。しかし自分では彼女の持つ「本当の優しさ」には近づくことが出来ないと、理想と現実の差を実感し途方に暮れていた。
だが、それでも。
「フィアは……優しくなりたい」
キズナのようにはなれなくても、優しい人間になりたいと思う。
否、優しくならなければならないのだ。
それこそがフィアにとって、自分が二度目の人生をのうのうと送らせてもらっていることに対するせめてもの償いの気持ちだった。
「ん……」
その時である。
川の水面を見つめるフィアの視界を遮るように、黄金色の物体が現れた。
ゴールデンカーバンクル――ペンちゃんいわくこの始まりの森に生息する希少モンスターの姿だ。
モンスターには見えないリスのような小動物的な姿を見て、フィアは緊張を解きながら目を細める。つぶらな瞳でこちらを見つめるゴールデンカーバンクルに対してフィアは頬を緩め、今は居ない誰かに向かって言いたかった言葉を贈った。
「おかえり」
警戒心の無さと人懐っこさから、おそらくこのゴールデンカーバンクルはフィアが撫でさせてもらったのと同じ個体だろう。スキンヘッド達に狩られていなかったことに安堵し、フィアは笑みを浮かべた。
するとカーバンクルはフィアの言葉に応えるようにキッと短く鳴くと、すばしっこい足取りでフィアの周りをぐるぐると走り回った。
「……どうしたの?」
敵意は相変わらず感じない。と言うことは、これは何らかの攻撃の動作とは違うだろう。
その奇行はおそらく、自分に何かを伝えようとしているのではないか? フィアには動物の言葉がわからないが、何となくゴールデンカーバンクルの仕草からそう推理した。
フィアが岩の上から腰を上げるとカーバンクルは旋回を止め、フィアの元から二メートルほど離れた位置まで走るなり足を止めて振り向いた。
「フィア、着いていく?」
その動きがまるで自分に着いてきてほしいと言っているように感じたフィアは、その推測に従ってゴールデンカーバンクルの元へと近寄る。
するとゴールデンカーバンクルがまた二メートルほど離れた位置まで走って足を止め、チチッと鳴きながらフィアの居る方へと振り向いた。
やはり、自分をどこかへ誘っているのだろう。そう思ったフィアはカーバンクルの案内に従い、移動を開始した。
カーバンクルは非常に警戒心の強い希少モンスターで、プレイヤーと遭遇すれば脇目も振らず逃走していく臆病なモンスターとして有名だ。
戦闘力は低いがいかんせん逃げ足が速く、それ故にこの辺りでは最も討伐が困難なモンスターでもある。
そんなゴールデンカーバンクルが自らプレイヤーの前に姿を現し、あろうことかプレイヤーを先導して何処かへ連れて行こうとしている姿は、にわかには信じ難い光景だった。
少なくとも、ペンちゃんがこのような光景を見たのは初めてである。
「あれは……何かのイベントか?」
目に映るその異様な光景に、ペンちゃんは考える。
この「HKO」には集会所で受注する通常の「クエスト」とは別に、冒険の中でプレイヤーが特別な条件を満たした際に自動的に発生する「イベントクエスト」というものがある。
目の前の光景もまたその一種なのだろうと推測するが、それだとしてもこのようなイベントは聞いたことがない。
ともかく何処かへ向かうフィア達と一定の距離を保ったまま、ペンちゃんは彼女達を追い掛ける。この先もしも物騒なことがフィアの身に襲いかかったらと思うと不安であったし、何より未だ見たことのない事象に興味があったのだ。
故にペンちゃんは、フィア達から一瞬足りとも目を離さなかった。
しかし――。
程なくして、ペンちゃんはフィア達の姿を見失うことになる。
まるで神隠しに遭ったように、フィアとゴールデンカーバンクルの姿が音もなく始まりの森から消え去ったのである。
思いがけない現象を前に、ペンちゃんは茫然と立ち尽くした。




