第8話
彼らに向かって勇気を振り絞って吐き出された言葉は、至ってシンプルな謝罪の言葉だ。
思わぬ行動にペンちゃんは呆気に取られ、数拍後、冷静になった後で呟いた。
「……なんでフィアが謝るんだよ」
目尻を下げ、今にも泣き出してしまいそうな表情で頭を下げているフィアの姿に、ペンちゃんは首を傾げる。
彼女の謝罪は大きな誠意の程が窺える見事なお辞儀であったが、ペンちゃんにはそもそも彼女が頭を下げる意味がわからなかったのだ。
三人のマッスル達も同じことを考えているようで、唐突に現れたかと思えば前置きなく謝罪してきた少女の姿を前に、それぞれ困惑の表情を浮かべていた。
「おい! てめえら、こんな小さなガキに何しやがった!?」
「俺は知らねぇぞ! 俺は女子供には手を出さん!」
「俺もだ……と、とりあえずお前、頭を上げてくれないか?」
「……フィア、頭を上げる?」
「あ、ああ、まずは話をしないことにはな……」
中学生であるかも怪しい小さな少女を前にあたふたする世紀末トリオとは、何とも奇妙な光景である。
これは中々見られるものではないと思ったペンちゃんは無言でウインドウを開くと、「スクリーンショット」という名の撮影機能を使って目の前の光景をこっそり記録しておくことにした。
そんなコウテイペンギンのいとも容易く行われる畜生行為を他所に、頭を上げたフィアと三人のマッスル達が対話を始めた。
「えーっと、そう、あれだ。俺達には今初めて会ったばかりのガキに頭を下げられる覚えなんて無いんだが、お前は一体何のことを謝っているんだ?」
「フィアは、貴方達の戦いを、見ていた。でも、止めなかった……ごめんなさい」
「……ああ、そういうことか」
謝罪の理由は、彼らの行為を目にしておきながらも見て見ぬふりをしたことだ。
確かにそういう言い方をすれば、フィアにも否があると言えなくもない。あの時自分が止めていれば、森の惨状も彼らの後悔も全て未然に防ぐことが出来た筈だと。
そう話すフィアの表情は、森を焼いた張本人である彼ら以上に悲痛なものだった。
「いい大人が、しょうもないところを見られちまったな……」
しかし彼ら三人もまた、自分達が過ちを犯した責任を少女一人の身に押し付けられるほど外道ではなかった。
「フィアって言ったな? 嬢ちゃんは悪くねぇよ。残念だが、その謝罪は受け取れねぇな」
「嬢ちゃんは見て見ぬふりをしたことを謝りたいんだろうが、俺達こんな見た目だしな。近づけないと思うのは当たり前だよなァ……」
「ひゃは、今こうして出てきただけでも大したもんだぜェ」
自分達の責任は全て自分達だけのものだと、マッスル達はフィアの謝罪を当然のように受け付けなかった。
その誠意の表し方の一つとして、彼らは両膝と両手を地に着け、深々と頭を下げた。
日本人特有の最上級謝罪法、「土下座」である。
「怖がらせて悪かったな、嬢ちゃん。俺達の方こそこの通りだ。すまなかった……」
「俺達も土下座だぁー!」
「ひゃっはー!」
まず最初にリーダー格のスキンヘッドが土下座をすると、後続のモヒカン達も彼に習って次々と頭を下げていく。
頭の高さ、姿勢と言い、何度も人前でやり慣れているような実に堂の入った綺麗な土下座だった。
木陰からそのやり取りを見守るペンちゃんは彼らの潔さに思わず感心し、直接土下座を見せられたフィアと言えば何を思ったのか、彼女までも地に頭を着けようとしたぐらいである。
「フィアも土下座……」
「やめるんだ!」
「そうだ! 俺達も流石にそこまで落ちぶれちゃいねぇ!」
「ひゃっはー! 美幼女の前でする土下座は最高だぁーっ!」
「ショウ! お前は黙っていろ!」
もちろん二回り以上も歳の離れた幼女に土下座をさせることは彼らの矜持が許さなかったようで、フィアの土下座は全力で阻止されることになった。良識的な対応だが、もしそうしなかったらペンちゃんが飛び出して彼らの頭をハンマーで吹っ飛ばしていたところだ。
しかし先の鮮烈な暴れっぷりには警戒していたが、こちらが思っていたより彼らは幾らかまともな人間だったようだと、ペンちゃんは彼らに対する警戒心を薄めた。
フィアの方も彼らから同じことを感じたらしく、フィアは不思議そうに小首を傾げながら呟いた。
「……みんな、あの時と違う」
モンスターと戦っている時は世紀末も真っ只中と言わんばかりのはしゃぎようであったが、今こうして自分と向かい合っている彼らは至って落ち着いた様子であり、過ちを悔いる良識もあればフィアからの謝罪を善しとしない誠実さもある。
どちらが本当の彼らなのか、フィアには測りかねている様子だった。
そんな彼女の反応は尤もだと、スキンヘッドの男は土下座を解いて立ち上がると、苦笑を浮かべながら言った。
「言い訳になっちまうが、俺もみんなも興奮しまくってたからな……一度思う存分暴れてみて、頭の中がスッキリしたんだよ。みんなでブラック企業勤めの労働生活……ゴホンッ、リアルでの鬱憤をゲームで晴らそうとしていたんだが、冷静になってみると虚しいだけで何の意味も無かったってわけだ」
「ひゃははは! 社畜だ! サビ残だ! 接待だぁー! 月火水木金月火水木金月火水木金うわあああああっ!」
「そ……そんな中でも今日は定時で帰れて、珍しく同期のみんなとゲームする時間が取れたから、ついはしゃぎ過ぎちまってなァ。今更、何の言い訳にもならんが……」
なるほど、とリアルの世界では立派な社会人であるペンちゃんは彼らの事情を聞いて納得する。
確かにこの「HKO」での爽快な戦闘は、日頃のストレスを解消するには良い気分転換になる。ペンちゃんもまた彼らほどはっちゃけはしないが、そう言った目的でログインを行う日は何度かあった。
リアルでは周りから束縛される日々を送っているからこそ、ゲーム内では何にも縛られることなく傍若無人に振舞いたい。彼らの場合はやりすぎであるが、その気持ち自体はわからなくもないのだ。
見たところ学生であるフィアにはどの程度まで彼らの気持ちを読み取れているかはわからないが、それでも彼らの事情を聞いたフィアはじっと彼らの目を見つめながら、数秒間考え込む素振りを見せた。
そして、彼女は彼らの瞳に訊ねる。
「みんな、一生懸命、モンスターと戦っていた?」
あの時、自分の価値観を一方的に押し付けてはならないとフィアは言った。彼らは一生懸命モンスターを倒していただけで、頑張った結果被害が出てしまうのは仕方の無いことだと。
だからこそ、フィアはあの時彼らに何も言わずに立ち去ったのだ。
しかしそれがフィアの勘違いで、この森の惨状は彼らが必死でモンスターを倒そうとしていた結果生まれたものではなく、始めから森を焼き払う為に行ったことだとすれば……おそらく、次に来るフィアの言葉は変わっていただろう。
その点では、彼らの返答は彼女の望み通りと言えた。
「一生懸命、か。まあ、確かにある意味では一生懸命だったと言えなくもないが……俺達がやらかしちまったことは事実だろ。わざとじゃなければ何をやってもいいわけじゃない」
「一生懸命は、いいこと。でも、自然壊す、いけないこと」
「そうだ。お前の言う通り、俺達はいけないことをした……」
「ああ、なんであんなことをしてしまったんだァ……」
表情は凛としているが、彼女の言葉はたどたどしく、震えてもいた。
厳ついマッスル達を相手に上目遣いに訴える姿は、精一杯の勇気を振り絞った必死の抗議に見えた。
何ともいじらしく、同情せずには居られない。彼女の人柄をある程度知ったペンちゃんには、その姿が演技とは違う真なる姿であることを疑わなかった。
マッスル達の心にもまた、彼女の訴えは染み入ったのであろう。
「……猛省する。もう二度としないよ」
スキンヘッドの男がフィアの前で土下座ではなく片膝を着くと、まるで騎士の宣誓のように彼女に誓った。どうやら彼女の身から溢れる健気オーラを間近に当てられたことによって、彼の中で妙なスイッチが入ってしまったらしい。
すっかり浄化されてしまったスキンヘッドの善人顔を木陰から眺めていたペンちゃんは、「あっ、墜ちたな」と彼の心情を速やかに察した。
そして彼女との対面で変化がもたらされたのは、スキンヘッドの彼だけではなく。
「なあショウ……嬢ちゃんを見てたら、俺達も頑張らなきゃって勇気が湧いてこないか?」
「ひゃはは、そうだな。覚悟を決めたぜ。明日こそ俺は、あのクソ上司にガツンと言ってやる!」
「ふっ、カッコつけんなよ、お前だけそっちに逝かせねぇ」
「そうだ。俺達も一緒だぜ、ブラザー」
「お、お前ら……! 俺はいい同期を持ったぜ……!」
二人のモヒカンもまた幼い身でありながらも暴虐なマッスル達の前に出て、最後まで目を逸らすことなく対話に臨んだフィアの勇気に感動し、その心に影響を受けたようだ。
彼らのリアル事情がどうなろうとペンちゃんには知ったことではないが、何やら社畜脱出に向けて結束を固めたらしく、彼らは絆を深めたようだ。
そんな三人の姿にフィアの表情は緊張を解くと、うんうんと頷いて安堵の笑みを浮かべた。
「みんな、仲間、仲良し。フィアも、嬉しい」
その時である。
「ゴハッ……!?」
モヒカンの一人の口から、血を吐くような呻き声が漏れた。
しかしそれは、フィアの浮かべた天使の如き微笑みに悶絶したわけではない。
物理的な衝撃による苦悶――その声を漏らしたモヒカンの身体には、背中から胸に掛けて一本の矢が貫通していた。
「ッ!? ショウ! どうしたショウ! 何が起こった!?」
モヒカンの男が一人ドサッとうつ伏せに倒れ伏したところで、一同はようやく突如として起こった出来事に反応を見せる。
リーダー格であるスキンヘッドの狼狽えた言葉に、モヒカンはひゅーひゅーと苦しげに呼吸を漏らしながら、力なく言葉を紡いだ。
「ひゃは……い、因果応報って奴だな……」
――その言葉を最後に、モヒカンの肉体は青白い光の粒子となって飛び散り、この世界から消滅した。
それは、VRMMO【Heavens Knight Online】における、プレイキャラクターの「死」である。
敵から受けたダメージによって体力――HPが0まで減らされた時、そのプレイキャラクターは「死」を迎え、一時的にゲーム内から消滅する。
尤も、この世界で死んだからと言って現実に居るプレイヤーがどうにかなるということはない。ただプレイキャラクターを死なせたプレイヤーは「デスペナルティ」としてその場から強制的にログアウトされ、再ログインまで二時間の時間を要し、他には精々ゲーム内の所持金が幾らか減らされるだけだ。
逆に言えば二時間さえ待てばプレイヤーは再ログインすることが出来、プレイキャラクターも復活する。このゲームでの「死」は、所詮その程度の重さに過ぎないのだ。
戦闘についてもそうだ。ダメージを受けたところで演出として服や身体にある程度傷が付くだけで、痛みは無いし、血も流れない。先ほど死んだモヒカンが苦しそうにしていたのは彼のロールプレイによる紛らわしい演技に過ぎず、実際には「てへっ、やられちまったぜ」ぐらいしか考えていなかったりする。
――しかし運が悪いことに、この場にはフィアという少女が居た。
「あ……」
かつて異世界に「本物の」勇者として召喚され、血なまぐさい戦乱の世界を戦い抜き、誰よりも人の「死」に触れてきたフィアが。
「あ……ああ……」
言葉を、心を通わせてきた多くの仲間達を……ことごとく目の前で失ってきたフィアが。
「ああああ……っ」
――ゲーム内であっても、「死」という現象を目の当たりにしてPTSDを発症し、「前世」の記憶を想起してしまうのは至極当然のことだった。
脳裏に浮かぶのは、今の彼のように目の前で死んでいった人々の姿だ。
そこは、かつて「彼」が訪れた異世界の街道の一つだった。空からは既に青色が失われ、淡い太陽の光が街を照らしていた。
街からは、至るところから黒い煙が上がっていた。夕方の黄昏の空をバックに、街を覆いつくさんばかりの煙がたなびいている。
煙の中で、小さな閃光が走る。
街中で戦う、「勇者」と「魔王軍」の攻撃だ。流れ弾を受けて破壊された街の中を、「彼」らが進んでいく。
戦っている人間は「彼」ら「勇者」だけではない。街に住んでいた一般市民達も混乱に乗じて、「敵」である「魔王軍」を相手に攻撃を仕掛けている。
フィアが目を見開く。もう何度目になるかもわからない、「彼」の記憶のフラッシュバックだった。
(これは、あの時の……)
魔王軍に支配されたとある都市の解放戦。「彼」を含む召喚勇者達全員がその場に動員され、魔王軍と戦った頃の記憶だ。
記憶の中では、「彼」が怒りの形相で剣を振るっていた。
一心不乱に戦い、「彼」は敵という敵の首を掻っ裂いては踏みつけていた。その姿に人らしさは無く、まるで敵を殺すだけの機械のようで――
(違う……! フィアは、違う!)
血に染まった「彼」の顔を映したところで、フィアは首を振ってソレを否定する。
あれは、あんなものは自分ではないと。今の自分は双葉志亜であり、「彼」ではないのだと。
しかしそんなフィアの思いを嘲笑うかのように、「彼」の醜悪な記憶は頭の中へと鮮明に映し出されていった。
何度夢に見ても、フィアが「彼」の記憶に慣れることはない。
次に映し出されたのは、その戦いが終わった後の光景だった。
任務を果たした「彼」の足元には一面中に赤い血が広がっており、四肢をちぎられた町民達の遺体が転がっている。
遺体の中には、まだ十歳にも満たっていない少年の姿もあった。
『お兄ちゃん達は、僕達を守ってくれるよね! だってお兄ちゃん達は魔王をやっつける、チキュウの勇者なんでしょ?』
生前の少年と交わした言葉の中で、フィアが覚えているのはそれだけだ。いや、それだけでもよく覚えているものだと思う。
楽しかったこと、嬉しかったことなどはほとんど覚えていないというのに、そう言った都合の悪いことばかりはフィアの頭の中で鮮明に残っている。
遺体となった少年と生前に言葉を交わした「彼」の記憶は、今ものうのうと生きているフィアに対して「お前はあの子を守れなかったんだ」と冷たく責め立てるのだ。
子供達は、「彼」のことを信じていたのに。
魔王軍から自分達を救ってくれると、最後まで信じていたのに……。
(……っ!)
血まみれの少年の遺体が開いている虚ろな瞳は、まるで何かを求めるように、すがるように虚空を見つめていた。
戦いが終わったその街は、ただ静かだった。
辺りに「勇者」以外の存在は無く、街はただ柱のように立ち上る灰色の煙が、夕空の下で風に流されていくだけだった。
『兄さん……』
無力に立ち尽くす「彼」に、一人の少女が寄り添う。
湖のように透き通った綺麗な髪を振り乱し、彼女は今にも遠くへと消えてしまいそうな「彼」を引き止めるように背中から抱き締めた。
――彼女の名は、キズナ。
最終的には自分の名前も共に戦った仲間も、憎き怨敵の名前すらも忘れてしまった「彼」とフィアが、今でも唯一覚えているのが彼女の名前だった。
彼女こそが「彼」のたった一人の家族――彼が全てを捨ててでも、その手で守りたかった最愛の妹だ。
『お願い……戻ってきて……!』
壊れかけの黒き勇者と、そんな彼を支える青き勇者。
青き勇者が、涙の雫を落としながら願った。
『兄さんだけは、いなくならないで……!』
――そのフラッシュバックを最後に、フィアの意識は現実へと引き戻される。
目に見えるのは先ほどと変わらない、三人組に焼き払われた「始まりの森」の景色だ。
しかしそこには、モヒカンを撃ったと思われるフィアにとって見覚えのない少年の姿が加わっていた。




