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蓮⋯⋯⋯⋯?
何やってんだあんなところで。まさかまた呼び出されたとか!? 慌てて駆け寄ろうとした俺は、話し声を聞いて踏みとどまった。
「梓に、謝ってください」
廊下に蓮の落ち着いた声が響く。は? 俺? なんで⋯⋯??
俺は蓮たちから見えないよう、廊下の隅に身を潜めた。顔を少し出して様子をうかがう。
「だーかーら、なんで俺たちが謝らないといけないわけ?」
「日女川が悪いんじゃん」
⋯⋯⋯⋯よく分からないが、俺のことで蓮と上級生が揉めているらしい。1人は金髪をツンツンさせて耳に大量のピアスを開けている。もう1人は海苔を貼りつけたようなゲジゲジ眉毛をしていた。
俺何か悪いことしたっけ? 確かにこの間はカラオケ店で”梓スーパーでんじゃらす・ギャラクシー・ストリーム(命名:八王子蓮)”(←例のごちゃ混ぜドリンク)を斎藤に振るまい危うく失神させかけたり、斎藤の髪に葉っぱが付いていたので「とってやるよ(爽やか笑顔)」と言って取らずにさらに上から虫を乗っけたり、俺の部屋で昼寝し出した斎藤の顔にヴィジュアル系もびっくりの芸術的メイクを施したり⋯⋯⋯⋯⋯。あれ? よく考えると斎藤にすっげえ色々やってるわ。ごめん斎藤。お詫びに今度”特製ビーフカツ定食”でも奢ろう。
⋯⋯⋯⋯えっと話が脱線した。なんだっけ?
俺がトリップしている間に蓮と上級生はかなりヒートアップしてきていた。
「梓は良い人です。謝ってください」
「あのなあ! しつこいぞてめえ!!」
「何度でも言います。謝ってください」
「うざいなマジで、死ねよコラァ!」
「謝ってください」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らす先輩に対して、冷静に淡々と返す蓮。声こそ落ち着いているが、ああいう時の蓮が実は一番怒っているのを知っている。どっちかが手を出さないかハラハラしてきた。できることなら蓮が折れてこの場が平和に終わることを望む。⋯⋯ま、無理だろうけど。
「あー、まじで何なのお前!!??」
「何度も言わせんじゃねえよ!! あんなひ弱なオカマ男に謝るなんて死んでもごめんだぜ!!」
⋯⋯⋯おいコラ待てコラ。誰がひ弱なオカマ男オンナ顔ちび助だ。謝らなくていいから今すぐ死んでくれ。
ゴホン。俺が熱くなってしまった。落ち着け梓。今飛び出していったら確実に人を殺めてしま⋯⋯⋯⋯じゃなかった、我慢している蓮の努力が水の泡だ。
俺の中で理性と本能のキャットファイトが繰り広げられている間に、男の一人が蓮に近づいた。
「お前もさ、騒がれていい気になってんだよな? はっ、何が王子だよ」
「あんなかっこ悪い幼馴染を持って大変だねー、王子」
上級生の不愉快な笑い声が廊下中に響き渡る。蓮は口をつぐむと俯いた。
「どうした~? 負けを認めたのかな王子?」
「ギャハハハ、もうその辺にしてやれよ、泣いちゃうぜ??」
蓮に近づいた男が、彼女の肩に手を置いた。蓮の肩がびくつく。
!!!!????
は? 何してんのお前??
そんな下碑た顔で、腕で、笑い声で、蓮を汚していいと思ってんのか。
理性がはじけ飛び、俺が飛び出しそうになったその時、
「手を、離してください」
冷たく、威圧の含んだ声が、廊下に響いた。
さっきまでバカ笑いしていた男たちが、ぴたりと硬直する。蓮はそのまま自分の肩に置かれた腕を掴み、振り払った。
「分かりました先輩方、もう充分です」
「⋯⋯は? 何が分かったって?」
下を向いていた蓮が、ゆっくりと顔を上げた。その目を見て、男たちが怯んだのを感じた。
「あなた方が人間以下であるということがです」
蓮の整った桜色の唇から、毒が吐き出される。
「な⋯っ!?」
「もうただで謝って欲しいなんて言いません。ただし、私と勝負してください」
勝負⋯⋯⋯? いきなり何を言い出すんだ蓮は!!
猛烈に嫌な予感がする。
普段滅多に感情に流されることの無い蓮だが、1つだけ例外がある。
「な、何でだよ」
「5月半ばにある、球技大会。そこの南カップで勝負してください」
それは友達への侮辱。
蓮の言葉を聞いた男たちが、嘲笑を漏らした。
「はあ? 正気かよ。言っとくけど俺らのクラス、俺らも含めて現役バスケ部が6人もいるんだぜ?優勝最有力候補って言われてんだよ」
「でも、勝ちます」
そう言って蓮は笑った。自信に満ちた王者の笑みを浮かべて。
「勝ったら梓に謝罪してください」
その笑顔に一瞬意識を奪われた男たちは、顔を真っ赤にしながら怒鳴った。
「上等だてめぇ、俺らが勝ったらお前の裸の写真撮ってばらまいてやる」
「分かりました」
蓮は男たちに「失礼します」と言って頭を下げると、俺の隠れてる方へ向かってきた。後ろから連中が「逃げんじゃねえぞ」とか喚いていたが、蓮は振り返らなかった。
ーーーーーー
「あ、梓」
俺の存在に気づいた蓮が、気まずそうな表情をした。
「お前、とんでもない約束してくれたな」
「うん。ごめん」
「ごめんじゃねえよ!! 負けたらどうするんだよ!?」
カッとして叫ぶと、蓮は叱られた子犬のように目を泳がせ俯いた。
違う。こんなことが言いたかったわけじゃない。蓮が怒っていたのは俺のためだ。それにこれは蓮が決めたこと。俺が口出ししていい問題じゃない。
「ごめん⋯⋯」
しゅんとした蓮に思わず手をのばす。だがその手が髪に届く前に、蓮が顔を上げた。
「梓」
「ん、うん? な、何?」
行き場所のなくなった手を慌てて引っ込める。蓮は俺の目を真っ直ぐ見つめてはっきりと言い切った。
「絶対に勝つから」
ああ、この目だ。
何事にも動じない凛とした眼差し。蓮がかっこいいのは顔立ちだけじゃない。性格も、態度も、思いも、すべてがこの世も誰よりもかっこいい。
⋯⋯⋯⋯それに引きかえ俺は、なんて情けない男なんだろう。
蓮を見ていると時折、胸の中に例えようのないドロドロしたものが広がって真っ黒に染まっていく。醜くて、目を背けたくなる感情。
そんな内心を知られたくなくて、表情の裏に隠した。
「放課後の練習、少しだけなら付き合ってやる」
「いいの?」
「といっても、お前の方が上手いけどな」
「そんなことない」
隣で蓮がいつも通り笑った。