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チャイムが鳴って、1時間目の授業が始まった。この時間は体育だ。朝から体育なんてだるいことこの上ないが、仕方がない。今日は50メートル走を測るらしい。先生が適当に二人組を作るように指示した。男子が一斉に俺を見る。やめろ、そんな血走った目で俺を見るな。なんでお互いに牽制し合ってる風なんだ? お前ら他に友達いるだろ。
「日女川ー、俺と組もうぜ」
おお斎藤、ナイスタイミングだ。普段は空気の読めない男だが、こういう時は本当に頼りになる。少しだけ笑って頷いた。
自分たちの番が来たので、もう一度靴紐の緩み具合を確認する。体育委員の笛の音で一斉にスタートを切った。風を切る感覚が気持ちいい。序盤は俺の方が速かったが、徐々に斎藤が追い付いてきた。もっと速く、もっとすばやく。がむしゃらに足を動かしゴールまで疾走する。
「日女川6秒6、斎藤6秒8!」
一気に押し寄せる息切れに思わず膝に手をついた。爽快な疲労に自然と笑みが漏れる。横では斎藤が地面に座りこんで気息を整えていた。
「日女川、お前やっぱ速いな。部活とか決めたのかよ」
「いや、外部で空手やってるからな。入る予定は無い」
ここで女子から歓声が上がった。目をやると、たった今蓮が走り終わったところだった。
「八王子、6秒5」
キャァァァァアーーーー!!!!!
女子が甲高い声で騒ぎ立てる。中には涙を流している奴や失神しかけの奴もいた。蓮は手の甲で汗をぬぐい、ジャージのファスナーを下ろしながら女子に手を振った。清爽な笑顔も同時に振りまく。女子の悲鳴がさらに高くなった。
「やばいな王子、かっこ良すぎだろ」
「仕方ないよ。蓮だから」
感嘆を漏らす斎藤に心から同意する。男子の誰かが愚痴を零したが、誰も反論しなかった。
「⋯でもちょっと目立ちすぎだな」
「ん? どうした?」
「なんでもない」
俺がこの時感じた不安は放課後すぐに的中することとなった。
♦♦♦
終礼が終わり、俺は先生に頼まれて資料を準備室に返すのを手伝っていた。教室に戻ると斎藤が切羽詰まった表情で駆け寄ってきた。
「おい日女川、さっき王子が上級生の連中に連れていかれたぞ!」
「また告白だろ」
「いや、ガラの悪そうな男だった」
「なっ!?」
「おい日女川!? 待てって!」
最後まで聞かずに教室を飛び出した。
くそっ! 油断した。いつか来るとは思っていたが、こんなに早いとは思わなかった。
人気の少ない4階の廊下に屋上、グラウンドの影に体育館の裏。思いつくところは片っ端から当たってみるが、全然見つからない。もしかしたらどこかの空教室を使っているのかもしれない。
こうなったら意地でも見つけ出してやる。手始めに今いる2階の教室から探そうとドアに手をかけたその時、窓の外から聞きなれた声が耳に届いた。
⋯っ!?
窓から身を乗り出すと、裏門の影、ゴミ置き場の近くに人影が見えた。
「⋯蓮?」
蓮だ! 顔は見えないが間違いない。
すぐに向かいたいが、階段を降りて正面玄関から回ると遠すぎる。
「⋯仕方ない」
俺は窓枠に足をかけ、そのまま身を投げ出した。
足全体に響く衝撃に一瞬息がつまる。頭上から先生の怒声が降ってきたが、構わず走り出した。
今は、蓮の方が大事だ。
♦♦♦
(蓮視点)
「うぜえんだよ、この男女が!!」
「ちょっとイケメンとか言われて調子乗ってんだろ!!」
三人の男に囲まれて蓮は裏門にいた。放課後いきなり呼び出され、身勝手な怒りをぶつけられて20分。蓮は端正な顔に愛想笑いを貼りつけたまま、先輩たちの怒声を浴び続けていた。
無論、腹が立っていないわけじゃない。でも耐えられない訳でもない。
それに、理不尽な怒りを向けられるのには慣れている。
「聞いてんのか、えぇ!!??」
「聞いてます。調子に乗るな、ですね?」
「ああ!? バカにすんなよコラァ!!」
「調子乗んなって言ってんだろうが!!」
そのうちの一人が大きく腕を振りかぶった。ああ、殴られるな。蓮はまるで他人事のようにそう思った。目を閉じ、襲い来る痛みに身体を固くしたその時、
「⋯⋯何やってんだよ、お前ら」
高校男子にしては高めの、でも落ち着いた艶のある声が響いた。
「⋯⋯⋯梓?」
幼馴染の少年が、男の腕を掴んでそこに立っていた。