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甘美な衝動  蓮side

キス⋯⋯されたのかと思った⋯⋯⋯⋯。



首筋が熱い。身体の中から燃え上がりそうだ。いっそ、そのまま燃え尽きて消えてしまった方が楽かもしれない。

さっきまで情けなく沈んでいた心臓が、今は痛くなるほど激しく拍動していた。





♦♦♦♦♦




私は小さい頃、母親に育児放棄されて育った。母を妊娠させた男は少し有名なモデルだったらしく、子供ができたと知られた途端捨てられたらしい。


生まれてすぐの頃はまだ愛情を注いでくれたようだった。だけど成長するにつれて母の態度はどんどん冷たいものとなり、いつしか暴力が混ざるようになった。


「お前のせいであの人に捨てられた」

「お前がいなければ⋯⋯⋯⋯」

「あの男にそっくりの顔、憎たらしい」



「気持ち悪い顔」




ごめんなさい、ごめんなさいお母さん。顔を隠すから、そばに寄らないから、いい子にするから、


だから、



私を、拒まないで。





私は前髪をのばして顔を隠した。幼稚園の先生に何度も切るよう言われたけれど、断固として拒否した。母に拒まれるぐらいなら顔なんて一生見せなくていい。


いつしか向けられる憎悪に適応するようになった。嬉しいとさえ思う時もあった。それが母から向けられる唯一の感情であり、母の中に私がいることの証拠だったから。



ある日突然家に知らない女の人がやってきて、「あなたのお母さんはもう、お母さんじゃなくなった」とか「今度からはおばさんと暮らすことになった」とか、色々と話し始めた。話の内容はよく聞いていなかった。聞くことができなかった。ただぼんやりと感じていた。


もう、母には会えないのだと。

私は一人だと。


次の日からその女の人の家に行った。女の人は母の妹で、名前を八王子律子はちおうじりつこといった。律子さんも旦那さんも私にびっくりするほど優しくしてくれた。あの人が嫌い罵った名前を呼び、頭を撫で、抱きしめてくれた。

だから私も迷惑をかけないようにいい子を目指した。言われたことは全部こなし、幼稚園ではいつも手本を演じる。だけど、前髪だけは切らなかった。


またこの顔を見て、捨てられるかもしれないから。



ある日、律子さんは私を新しい街へと連れていった。そして真新しい家の前で来年の4月からここに引っ越すのだと言った。私は特になんの感情も抱かなかった。どうでもよかった。新しい家を視察する律子さんと旦那さんのそばを離れて知らない街を歩いた。今住んでいるところよりも静かで落ち着きのある住宅街だった。


歩いていると公園に着いた。ブランコと滑り台があるだけの小さな公園。そこには同い年ぐらいの少年が1人、遊んでいた。



私は何を思ったのか、その子に近づいた。


少年は私を見ると明らかに不審そうな顔をした。私は咄嗟に顔を隠した。見ず知らずの子にまで気持ち悪いと思われたくない。でもその子は顔については何も言わず、一言だけ話した。


「ブランコしようぜ」




ブランコなんてやったことがないと言うとその子はいきなり笑い出した。「じゃあ押してやるから座れよ」と言って半ば強引にブランコに座らされた。生まれて初めてブランコに乗った。最初は怖くて身を固くしていたけど、すぐに慣れて楽しくなった。吹きぬける風が髪や肌を撫でてとても気持ちいい。だから思わず笑みが漏れてしまった。


すぐにブランコを止めるように叫んで、顔を手で覆った。少年が心配そうに覗き込んできた。


「どうした?」

「⋯⋯顔、見ないで」

「なんで」

「⋯⋯⋯⋯気持ち悪いから」



だから、見ないで。


嫌いな、私の顔を。




その子はしばらく黙っていたが、いきなり私の手を引っ剥がした。


「!!」


驚きに呼吸が止まった。恐怖と絶望が刹那のうちに心の大部分を占め、残った数割は言いようも無い虚しさで染められた。


知らない街で、知らない子にまで、私は軽蔑され、嫌われる。


そう思うと心奥が一気に冷え込み、楽しい気分が霧散して悲しさだけが残った。思わず自嘲の笑みが漏れて、さらに悲しくなった。


しかし彼は私の顔をじーっと観察すると、




「かわいいじゃん」



と言って、笑った。




⋯⋯⋯⋯え?



今、なんて?? 


私が、



可愛い⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯?





呆然とする私の顔を見つめ、何度も1人で頷いている。


「別に隠さなくていいだろ。可愛いのに」


「そ⋯⋯んな⋯⋯わけ⋯⋯⋯⋯」


「可愛いよ」


少年がまた笑う。



その時心の奥で凍り付いていた何かが弾け、溶け出すのを感じた。それは身体の中を駆け抜け涙となって目から零れ落ちた。


「お、おい。泣くなよ!」


彼が狼狽しているのを感じたが、涙は止まらなかった。止めることが、できなかった。


私がしゃくり上げながら目をこすっていると、その子はいきなりどこかに走り去り、すぐに戻ってきて片手を差し出した。



「ん」


顔を逸らしながら、ぶっきらぼうに言う。



⋯⋯⋯⋯? 何、これ⋯⋯



「花?」

「そう」



目の前に突きだされた一輪の白いマーガレットの花が、風にふわふわと花びらを揺らす。眺めたまま微動だにできない私に、彼は少し落ち着き無さそうに視線を彷徨わせると、意を決したように手を伸ばし、その花を私の髪に挿した。




「似合ってる」


照れたような優しい笑みが心に染みて、また涙があふれた。そんな私を少年は、戸惑いながら何度も何度も髪を撫でてくれた。


泣かないで、と。大丈夫だよ、と⋯⋯⋯⋯⋯⋯。





その瞬間から、私はその子に恋をした。







「ありがとう⋯⋯」


泣きすぎて腫れ上がった目をこすりながら精一杯のお礼を言う。その子が笑い、私も自然に笑みが漏れた。

その後律子さんが迎えに来るまで一緒に遊んだ。帰る時、不思議と寂しくはなかった。だって来年からは私もここに住むのだから。


手を振ってくれた彼に心からの笑顔を返す。女の子みたいに可愛い顔をしていて、少しぶっきらぼうだけど優しい少年。


また会えたらいいな。



帰ってすぐ、私は前髪を切った。





♦♦





その日から10年とちょっと。あの日君に救われたから今の私がいる。


変わらないね。目を合わそうとするとすぐに避けるところや、ぶっきらぼうなところ、髪を撫でてくれるところ。


本当は、とっても優しいところ。





私は、梓が好き。







これにて第1部は終了です。今後はいくつか閑話を挟んで第2部に移りたいと思います。読んでくださり、ありがとうございました!!

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