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2人の先輩に連れられてやってきたのは、裏庭の隅っこにある濃紺の垂れ幕が下がった怪しげなテントだった。全体に黒や銀で奇妙な刺繍が施され、どことなく甘い香のような匂いが漂ってくる。
『占い 賢者の家』
⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
やっぱり来るべきではなかった⋯⋯。すっごく不気味だ。占いのテントというよりむしろ邪悪な魔術師の隠れ家のようだ。心なしか周囲の空気も冷たく感じる。
「へえ⋯⋯、よくできてるじゃん」
「雰囲気出てるね」
禍々しい佇まいにすっかり気後れしている俺に対し、蓮と斎藤は目の前のテントに感心して目を輝かせている。よく分からない。一方暮野はというと、少し下がったところでテントを見上げ、無表情で固まっている。こちらもどういう反応なのか、いまいちよく分からない。
「さあ、姉御、兄貴! どうぞ入ってください! 俺たちのおごりっす!」
「あ、そちらのお友達の方も遠慮せずに!」
金パ先輩とゲジ眉先輩が上機嫌で手招きしてきた。
「ありがとうございます」
と頭を下げる蓮。
「どーもでーす」
こちらの軽いのは斎藤。
「え? 俺もいいんすか?」
少し顔を引きつらせながらも先輩たちに押されている暮野。
なんだなんだ。みんな入るつもりかよ。俺は全然入りたいと思わないから遠慮させてもらおう⋯⋯⋯⋯
「梓は入らないの?」
⋯⋯⋯⋯と思ったが、やっぱり入ることにした。
♦♦♦♦
誰から入るかはじゃんけんで決めた。その結果、切りこみ隊長は斎藤に決定。次に暮野、蓮と続き、俺は一番最後になった。みんなの様子を見てやばそうだったらダッシュで逃亡することにしよう。
始めに斎藤がわくわくした様子で入り、数分後、青ざめた顔で出てきた。顔面が蒼白で顔中を無数の汗が伝っている。どうした、何があった。すごく気になるが、結果は後で報告し合おうと約束しているので今はお預けだ。
次に暮野が入り、またまた数分後にテントから出てきた。こちらは顔の表情が全く変わらない。いつも通りのクールな暮野くんだ。なんでだろう、逆に不気味だ。
蓮が「おじゃまします」と礼儀正しく声を掛けて中へ入っていく。随分と長い。斎藤と暮野は2,3分で出てきたのに対し、もう5分ぐらい経っている。心配になり耳を澄ませるが、当然テントからは何も聞こえない。しびれを切らした俺がテント内に踏み込もうとしたその時、
「梓⋯⋯?」
蓮が出てきた。
「⋯⋯なに、してるの?」
「え??」
訝しげな声を浴びて、俺はたった今「賢者の家」に突撃しようとしていたことを思い出す。慌てて踏み出した一歩をひっこめた。
「次、梓の番だよ?」
「⋯⋯え」
「ささ、姉御! どうどお入りください!!」
「ちょっ、待て、うわっ!!」
まだ心の準備ができていないのに!!
ゲジ眉先輩に背中を押されてよろけるようにテント内に突っ込んだ。垂れ幕が下がり、視界が一気に薄暗くなる。両わきに飾られたろうそくの火に照らされて、暗闇の中にぼんやりと人影が浮かび上がった。
「ようこそ。日女川梓くん」
闇色のマントを深く被ったそいつは、透き通った水晶玉の前でニコリと赤い唇を裂けさせた。
「なんで、俺の名前⋯⋯」
「なあに。君は有名人だからね。知ってて当然だよ」
咄嗟に問うと、マントの人はおかしそうに笑った。女にしては低く、男にしては高い色っぽい声がテント内に響く。顔の半分以上を隠すマントと合わさって不気味な雰囲気が増した。背筋に悪寒が走った。
⋯⋯これ、やばいやつなんじゃないのか。
脳裏に斎藤の青ざめた顔が蘇り戦慄する。逃げ出そうかと思ったその時、マントの占い師が笑うのをやめた。
「さあて。おじゃべりはこのくらいにして、本題に入ろうか」
「は⋯⋯? 本題?」
「何を言ってるんだ。君は占いに来たんだろう?」
⋯⋯⋯⋯そうだった。雰囲気に呑まれて肝心の目的を忘れていた。俺は頭をフル回転させて占ってもらう事柄を探すが、全然見つからない。
「あのー⋯⋯。とても失礼な話なんですけど、俺、特に占ってほしいこととか無くて⋯⋯⋯⋯」
「そうか。無理も無い。君はまだ自覚していないようだからね」
「え?」
何を?
「君はこの数か月、突発的な苛立ちに悩まされているようだ。だが肝心の理由が分からない。考えても、さらに苛立ちが増すだけで結局掴めない」
⋯⋯⋯苛立ち??
「でもそれは君自身が青いからだよ」
オーメンソルーターが笑った。声もなく、唇だけが笑みの形を作った。
「そんな青い君の今後を占ってあげよう」
「君はその理由になかなか気づかない。でも苛立ちは日に日に増していくだろう」
「二学期、君の前には強大な壁が立ちふさがる」
「それは回避不能だ。誰にもどうすることもできない」
「君はそれに立ち向かわなければならない」
「うまくいけば君は苛立ちの原因を突き止め、それを解消することができるだろう。だが、できなければ⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「君は、君の最も大切なものを失う」
♦♦♦♦
「日女川ーー、どうだった?」
テントから出るとすぐに斎藤が飛びついてきた。
「⋯⋯斎藤こそ、どうなんだよ」
俺はむさ苦しく抱き付いてくる体格の良い男を引っ剥がしながら、目を逸らす。斎藤はそんな俺に気付かず嘆きの声を漏らした。
「俺さ、成績のこと占ってもらったんだけど、このままじゃ留年間違いなしだって⋯⋯⋯⋯」
「お前の成績じゃあたりまえだろ」
確かこの間の期末テスト、世界史を除くすべてのテストが赤点だったよな。それはもう、超ワンダーでファンタジーな数字が羅列していた。なぜあんな数字が取れるのか不思議だ。蓮ですら慰めの言葉が見つからず絶句していた。ちなみに実際の点数は斎藤の名誉のために伏せておくことにする。
「俺は今後の野球部について占ってもらった」
暮野が落ち着いた声で言った。
「そっか。夏が終わると先輩方引退だものね」
「ああ。ちょうど今誰が次のキャプテンになるか揉めてるから、それも含めて占ってもらった」
なるほど。だから至って冷静だったわけだ。まあ暮野は元々滅多に取り乱すような奴じゃないから、大抵の話なら真顔で受け流すだろうけど。
「で、日女川は?」
「え?」
「え?じゃねえよ。何占ってもらったんだよ」
斎藤の声に我に返る。刹那テントの中での出来事が鮮明に思い出され、一気に血の気が引いた。
あんなめちゃくちゃなこと、言えるわけがない。
「⋯⋯成績」
咄嗟に嘘をついた。
「えーー? 日女川学年10番に入る秀才じゃん! 占う必要なくない?」
「うるさい。別にいいだろ」
早口で言うと、喚いていた斎藤が不満そうに唇を尖らせた。
「ちぇっ、なんだよ日女川の奴⋯⋯。いいよもう。王子は?」
話を振られた蓮は顔を上げると、にこりと笑って言った。
「成績のことだよ」
♦♦♦♦
金パ先輩たちと別れて再び校内をぶらつく。時刻は午後2時半。昼時を過ぎた中庭はずいぶんと人が減って落ち着いてきた。
「さーて、次はどこへ行こうか」
「模擬店」
「⋯⋯八王子、食べすぎじゃないのか?」
わいわいと騒ぐ斎藤たちを前に、俺はさっきのことを思い出していた。
『二学期、君の前には強大な壁が立ちふさがる』
『君は立ち向かわなければならない』
『できなければ⋯⋯⋯⋯』
『君は最も大切なものを失う』
くそっ⋯⋯⋯⋯。
思わず拳を握りしめた。
オーメンソルーターの言っていたことが全く理解できない。確かにここ最近謎の苛立ちに襲われていたが、それがなぜ大切なものを失うことに繋がる。第一、最も大切なものって一体何なんだ⋯⋯。
意味深に笑う奴の姿が脳内に再生され、吐き出せないもどかしさが胸を襲った。
「くそっっっ!!」
「梓?」
思わず叫んだ俺の方を、蓮が心配そうな顔で振り返ってきた。形の良い眉が寄せられるのを見て、咄嗟に言葉を言い繕う。
「なんでもない」
ごまかし笑いを浮かべるが、いまいち通用していないだろう。蓮がまた何か言おうとしたその時、
「あーーーー!! いいもの発見!!」
斎藤が叫んだ。
蓮の意識が俺から離れる。身体に籠った緊張感を吐き出して、救世主斎藤の指差す方に目をやり、
『ベストカップルコンテスト 飛び入り参加大歓迎❤』
⋯⋯⋯⋯猛烈に嫌な予感がした。
文化祭編もいよいよ大詰めですね。長かったです。
梓「てかさ、お前はオーメンソルーターに何か占ってもらったわけ?」
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
梓「ん? どうした??」
ふふふ⋯⋯⋯⋯
梓「は?」
ははははははははははは!!!!
なあにがオーメンソルータ―だ!! 名前ダサいんだよばーーーーか!!!
梓「!? い、いきなりどうした!?」
斎藤「やめとけ日女川。なんか今後彼氏ができるかどうか占ってもらって、見事一刀両断されたらしい」
梓「⋯⋯⋯⋯なるほど」