書く目的。
日々思う事を書いています。
文章を書いている。
文章と言う事は、ただの文字の羅列ではなく、何かしらの意図に基づいた言葉の配置を意味している。
「嬉しかった!」「悲しかった…」「こういうのって苦しいよね」「世界は残酷なんだ」
人間の数だけ意識が存在し、それぞれが主張している。
上手い文章、面白い文章というのは、その「言いたい事」を巧みに伝える文章なんだと思っている。どれだけ強烈に読者に残せるか、そこが腕の差になる。
世界は進み、誰もが文章を書ける時代になった。PC、携帯、何ででも書ける。
文字は氾濫した。
書く、と言う事は、作者の意図を練り込んで読者に伝える事である。と考えている。
その方法は、直接的ではなく、物語を通して間接的に伝えられる。
私自身も、一作者として、一読者として、様々な作品を作り、読む。
そこにある作者の意図について、自慢でも何でもないが人一倍注意してみているつもりである。
そうして眺めていると、「作者は結局何を言いたいんだ?」という作品がとても多い。
或いは、手垢がべったり付いて、原形も分からない程のテンプレを、ちょっとアレンジして「新作です!」という内容。
こういう部分は、巧拙に関係なかったりする。巧くても駄作、表現は下手でも名作はある。それに気付いている人は少なからずいると思っている。
ところが、こういった巧拙という次元に辿り着かない文章があまりに多い。
「どう!?格好良いでしょ!」「残酷!残酷!」「萌え!」
心に何も残さない文章が増加の一途。
ところが、こういった文章が悲しいくらいウケる。
「超格好良い!」「グロい文章!すげえ!」「萌え!」
一過性。
読者はこういった文章から何を受け取るのか。多分、何も受け取ってはいない。
そしてまた同じような文章を求めて徘徊する。
そこに文章を書く意味があるだろうか。
私自身にも耳の痛い話です。




