目を背けて、そして私は蓋をした
職場にて、あの人と出会ってしまった。同じ職場なのだから当たり前だが、それでも不意打ちをくらったかのように動揺してしまう。向こうは事務的に会釈をして、土日の間に溜まってしまった書類や手紙が詰まったメールボックスを確認している。数分もしないうちに彼は立ち去り、もたもたと作業をしていた自分が取り残される。
振り返って視線を落として、やはり、私はそれを確認してしまう。
突然私の視界から春色の女性とともに去っていった男の左手、そんなものを眺めて何の得になるのだろう。
思考を反すうさせて、いつもは働いているはずの回路を遮断する。
わからない、わかっていない、だから私は何も感じない。
相変わらず仏頂面で、人を寄せ付けない雰囲気の彼が去った後、彼のメールボックスを眺める。当然何もなくなったそこはからっぽで、視線をずらせば、何かがいっぱいになった私専用のメールボックスが見て取れる。
いつものようにそれを手に取り、眺めながら立ち去る。
仕分けしているようでまったくしていなくて、二三度頭を振って覚醒させる。
仕事を、始めなくちゃいけない。
ようやくいつもの通りに動き出した頭を、必死になって「どこか」へ逃さないようにしながら仕事に手をつける。
あの日、結局酔いつぶれた友人を運ぶのは私の仕事で、陽気に私たちを置いていった二人を恨みながらも、彼女を彼女の住処に運び込んだ。
立派に二日酔いになったであろう彼女から連絡があったのは翌朝だ。
お礼の言葉を素っ気無く感じてしまうのを、昨日の発言のせいにする。
ここまできて、私はまだそのことを気にしている。
彼女は、立ち直ったのかもしれないし、まだそうではないのかもしれない。他人の心の奥底まではわからなくて、それでも少しうらやましい、などといった感情を抱いてしまう。
振られてしまったとはいえ、あんな風になれるほどの恋を私はしたことがあるだろうか。
過去を思い返すまでもなく、恋愛と呼ばれるものの全ては、すでに霞がかかって、好きでも嫌いでもない歌手のプロモーション映像を見るかのように他人事である。
そこには、何の感情のかけらも見出すことができない。
それがただの過剰な自己防衛反応だ、ということを薄っすらと理解してはいるけれど。
チクリと痛んでいた何かが、ずきずきとした熱を持った痛みとなってぶり返す。
だから、私はまた知らんふりをしながら、それにふたをする。
「バレンタイン、ですねぇ」
「バレンタイン、ですなぁ」
子沢山の子煩悩である上司とは、どう考えても色気のある会話になりようがないせいなのか、フラットに世間話を楽しむことができる。
年齢とともに、相手が自分に対して要求しているものや、その動機が変化していくのは、私のような人間にとっては喜ばしいことであり、仕事も私生活もやりやすくなっている。それでも、この年齢ですら、まだそういう目でみる異性がゼロではない限り、こういう風な何の含みももたない人間、といったものはとてもとても貴重だ。
もちろん、それは私が異性として興味をもたれている、ということではまったくなく、どうしてもそういった評価基準から逃れられないということだ。マイナスの評価でも、私がそういった対象として価値を判断されている、といったことには間違いはない。自意識過剰と言われようともそういった視線、といったものがとても煩雑であり、言い換えれば鬱陶しいのだ。
私だとて、あの人はいい男だ、とか、色気がある、といった評価を異性に対してまったく下さない、といったことはないし、恐らく無意識下の値踏みはどんな人間だとしても行ってしまっているだろう。
だが、少なくとも年齢が上がるとともに、そういった舞台に上ることも少なくなっていく、はずだ。
「うちは関係ありませんからねぇ、あまり」
「まあ、義理チョコぐらいはもらえるんですよ、こうみえて。もっとも事務の女性からですが」
穏やかで、気配りの利く先生は、事務関係からはとても評判がよい。出張のたびに買っていくおみやげのせいなのか、確かにお歳暮関連のやりとりがない職場において、こういった機会に感謝の念をあらわすのには、ぴったりなイベントだろう。私はチョコレートではないが、先生の好きな日本酒を贈ることで感謝の意を示しているつもりだ。
「お若い先生方ならねぇ、こう、もうちょっと華やかなんでしょうが。うちの学生は、まあ、なんというか。真面目が一番というかんじですから」
どこまでも草食系から絶食系に近い学生たちを思い出したのか、先生が頭を振る。
どういう日かを忘れたふりをして、だけれども誰よりも気にしている彼らは、どこかぎこちない一日を過ごすのが恒例だ。そんな時代が自分にもあったのかしら、と、思うほどにはかわいいと思える。
あげられもしないチョコレートの包みを思い浮かべる。
自分にご褒美だ、と。
普段手に取ることもないような高級なチョコレートのそれを。
会話は学生に関する他愛もない会話へと変化し、そしていつものようにお互い仕事へと戻っていく。
そんな毎日に満足している。
そう、満足している。
自分に言い聞かせる。
延々と愚痴が吹き込まれた留守電を消去する。
定期的に愚痴が吹き込まれるそれは、まだ私の結婚をあきらめていない母親からのものだ。
彼女の自慢の「娘」だった私はもはや遠い存在となっている。教育ママよろしく、煽られるように私に誰よりも高学歴を望んだ母にとって、私が大学へと入学した頃が、自慢のピークだったのだろう。
田舎の同級生たちの誰よりも良い大学へ入学した私を、それはそれは誇らしげに語って回った姿を恥ずかしく思ったものだ。女の癖に、という陰口が聞こえはしたが、それとともに高学歴の嫁、というものほしさの縁談もちらほらとあったと聞く。色々こじらせている自分が言うのもあれではあるが、そういう心境は複雑すぎて理解しがたい。
その旗色が徐々に変化していったのは、私が三十路の声を聞き始めたころだ。地元に残った同級生たちは次々と結婚して子供を生み、そして都会へ行った彼らも伴侶を得た、という情報が出回り始め、母は狂ったように私に結婚を迫りだした。
博士課程へ進む私に、女の癖に、と言ったのは高学歴を望んだ母親自身だ。母の中では、大学で同じかそれ以上の学歴の男を捕まえて結婚して戻ってくる、というのがライフプランだったようだが、そんなものは知ったことではない。私はそういうものを当の昔にあきらめ、目を背け続けてきたのだから。
そんなことがあって、私は完全に母親とは精神的に疎遠となっている。
どこかで、親不孝かもしれない、という自問の言葉が響いているのだけれど。
メールの着信音で、目が覚める。
ビールを煽って、いつのまにか眠ってしまった自分に驚く。
机の上には綺麗な包装紙に包まれたチョコレートが置かれている。
結局渡せなかったそれを一瞥し、頭を振る。
メールは失恋をした彼女からで、次の飲み会の誘い文句がシンプルに記されていた。
都合の良い日をチェックし、返信をする。
私は、彼女たちとの付き合いが、やはり居心地がよいのだと。
少しだけほぐれた気持ちで、包装紙を破り捨てる。
スーパーで買うものとは比べ物にならないほど立派な箱に入ったチョコを口へ放り込む。
食べなれない、少し甘みの強いそれを嚥下する。
数百円で買える、駄菓子のほうが好きかも知れない。
私の中の気持ちに固く蓋をした。
私が、私のままでいられるように。
1の彼女の視点となっています。一応この話の主役?扱いです。