偶然
「やっぱやめようって。僕がこういうの苦手だって、ヨッシー知ってるでしょ」
「だからこそだよ馬鹿。それに俺だって一人は怖えよ」
日付が変わってしまいそうな夜。空に雲は少なく、月光の下を、二つの声と二つの明かりが並んで歩く。
山下智也と三河良美は、木々に囲まれた道を、電灯片手におそるおそる進んでいた。
元々夜遊びなんて柄じゃない高校生二人がこうしている訳は、今日の放課後に三河が発した一言が始まりだった。
「なんかさ、俺の家の近くに廃墟があるらしいんだわ。今夜一緒に行ってみねえか?」
「馬鹿なのか?」
夜に廃墟へ行くだなんて、山下にとっては、嫌いな納豆を我慢して食べる方が何倍もマシなくらい嫌な行為だ。
「行くわけないから。そもそも肝試しがしたいなら、僕じゃなくて女の子を誘えばいいじゃないか。加奈とかさ」
「肝試しよりは探検って言葉が合ってる。だからお前を誘ってんだよ。女なんか誘ってみろ、絶対うるさくなるに決まってる」
「そもそも何で夜なんだ?」
「雰囲気」
「だったら一人の方が更に良い雰囲気になるだろ。頑張って」
「報酬は、可愛い女の子が盛りだくさんの雑誌」
「今夜の何時に集合だ?」
こうして懐柔された山下は、渋々(しぶしぶ)の中にワクワクを作りながら三河について行き、今に至る。
ただ一つ、三河の誤算だったのが、この冒険が予想以上に怖いことだった。こんな風に、夜に出歩くこと自体初めてだし、雰囲気をぶっ壊してもいいからもっと人を呼べばよかったと後悔し始めているくらいだ。
それでも、ここまで来たからには引き返せない。いざとなればトモを置いて逃げよう。
そう思いながら進んでいると、小さな柵を見つける。その先へ明かりを向けると、うっすらと建物が見える。
「ヨッシー。この柵に付いてる板の文字、読んでみなさい」
「えーっとなになに。『立ち入り禁止』って書いてあるな」
「まぁ当たり前だよね。それじゃあもう帰」
「ここで帰るわけにはいかないよな。進むぞ」
「マジかよぉ……」
山下が明らかに嫌そうな態度と声を出すが、それを無視して柵を越える。その後に山下も続く。なんだかんだ言いつつも、ちゃんとついて来てくれるあたり良い奴だ。女々しい所は好かないけどなと三河は思った。
目的の建物の元へ辿り着くと、二人の恐怖心は更に高まった。
廃墟という名に相応しく、見ているだけで心臓は早くなるし、微かに吹く風の音も合わさり、今にも何かが出てきそうだった。
「こ、今回はここまででいいんじゃないかな? 中の探索は明日の昼にしようよ」
「あ、あぁ、そうだな。ここまで来れただけで充分だよな。俺もトモもよく頑張ったよ」
さすがの三河も限界らしく、心に妥協が生まれ始めていた。
三河は、鼓動が早くなっている自分の心臓に手を当てる。
今日の救いは月明かりが綺麗な事だな。こんなんじゃ、中に入ったら気絶してしまうんじゃないだろうか。そう思うと変な笑みが出る。
最後に、自分たちを照らしてくれた月を見て帰ろうと、空を見上げた三河の瞳に、
『何か』が映った。
その『何か』は屋上の縁に座っていて、脚をプラプラと遊ばせていた。
それは、にわかには信じられないようなもので、思わず持っていた電灯を空へと向けてしまう。照らされたそれは、電灯に気付き、三河の目の届かない陰へと隠れてしまう。
今まで持っていた恐怖心をどこへ置いてしまったのか、気が付くと走り出していた。
「……え? ちょっ! ヨッシー!?」
山下の呼びかけを聞かず、廃墟へと入る。視界の左に階段を見つけると、一直線にそこへ向かう。
階段を一段飛ばしで上がっていき、すぐに屋上へと続く扉に着く。
錆びついたノブを回し、身体ごと扉を開く。
そこで待っていたのは空と月、それだけだった。
辺りを見回すが、この二つ以外には何も見つけられない。
数秒もしないうちに、後ろから足音が聞こえてくる。
「いきなり……どうしたのさ。怖くても勢いがあれば……大丈夫ってこと? 勘弁してほしいよ……」
荒い息を混じらせながら山下が言う。三河はついさっき自分が目にした光景を思い出し、尋ねる。
「ここに何かいるのを見たか?」
「何かって、何さ」
「黒と白の……何か」
「なんだそれ。目の錯覚……いや、まさか幽霊!?」
恐怖心が戻ったのか、山下がキョロキョロし出す。
いや、幽霊じゃない。
三河は、さっきまでとは違う心臓の高鳴りを感じ、思う。
あれはまるで、羽を休めている天使のようだった