08. クドコク
結局、どこからともなく小さな枕を引っ張り出してきたカストは、それを頭の下に敷いてカウンターで爆睡していた。そんな彼に腹を立てたミゥは、強引に彼に店の留守を押し付けると用事を済ませに外へと行ってしまった。
カストは、昼少し前くらに目を覚ました。カウンター上では、タワシがコロコロと転がって遊んでいる。そんな様子を起きぬけのぼぉーっとした頭で眺めていると、客が数組やってきた。その客達の相手を適当にこなして会計を済ませると、また店内には客が居なくなってしまう。まぁ、今の時期だとどこの店も混雑することはあまりなく、こんなもんだろう。
手持ち無沙汰になったカストは、扉を開け放ち店の前へと出た。そして、大きく伸びをすると首を左右へと倒して解す動作をとる。見上げた空は、今日もいい天気だった。
「ったく、マジ暇だぜ。ミゥのヤツ、人に店番押し付けてどこ行きやがった・・・」
肩にタワシをのっけて、半眼でそうぼやく。自分は、朝から店に来てほとんど寝ていたくせに。すると、楽しげな愛らしい声が耳に飛び込んできた。
「カストぉー!」
「おぅ、エミリア。」
「みてみて!たくさんとったの♪」
そちらに目を向ければ、パタパタと男女5人ほどの子供達がセントラルの東側から駆けて来る。その内の一人は、ジェームスの娘のエミリアだった。彼らは、カストの回りで立ち止まると、ハンカチやポケットいっぱいに採ったものを得意気に掲げてみせた。そんな彼らの顔に、カストは小さく吹きだした。どの子供も、口の回りに盛大にブルーべりジャムでも塗りたくっているような顔をしている。
「なんて顔してんだよ、お前ら。木の実か?それにしても、えらくたくさん採ってきたもんだな。」
「カストにもあげるね!」
子供達は、彼の言葉に嬉しそうに笑みを浮かべた。カストは、彼らに視線を合わせるようにしゃがみ込むと、エミリアの持っている大きく膨らんだハンカチに目を向ける。エミリアは、ハンカチを開きながらカストに向けて屈託のない様子で口を開いた。
店から追い出されて行くあてもなかった彼女は、神父の好意で家族三人教会の裏手においてもらっている。しかし、店からの立ち退きの様は、相当酷かったようだ。店の売り上げすらも強引に奪い取られ、ほぼ一文無しの状態であそこにいるらしい。
そんな訳で、日々の食べ物は、ほとんど神父の好意だった。しかし、日に日にエミリア達と同じような人々が増えて行く為に配給される食糧も減っているらしい。ここに居る子供達は、みなあの教会裏で一緒にテント暮らしをしている仲間だった。
満足に食事をしていない育ち盛りの彼らは、日々腹を空かせていた。そんな折、同じテント暮らし仲間の少し年長組の子供達から、森の中に食べられる木の実があることを聞いたのだと言う。
エミリアは、その小さな片手でハンカチの中身の木の実を鷲掴みにするとカストの手の平にのせた。それを見やっていたカストの表情が一瞬で険しくなった。立ち上がると、彼らに怒鳴るように声をあげる。
「お前ら、今すぐ食ったもん吐けッ!!!おいッ、エミリア!!」
「お腹がッ・・・いたいよぉ・・・」
しかし、エミリア達の様子がおかしい。苦しそうな表情でみんな膝を折って地面へと倒れて行く。
「エミリア!!しっかりしろ、ガキ共!!」
カストは、地面に倒れて小さく震えるエミリアの姿に切羽詰った様子で声を上げる。他の子供達もエミリアと同じように次々と倒れ込んで蹲っていく。その付近を歩いていた通行人が何事かと振り返った。カストは、肩にのっかていたタワシを掴むと店の中に放り込んで、扉を閉めながら口を開く。
「タワシ、ミゥの奴が帰ってくるまで店番してろ!」
そして、彼は、横渡る子供達を全員担ぎ上げると、脇目も振らずに駆け出したのだった。
Rinarがあるセントラルには、幸いな事に立派な病院が建っていた。カストは、そこへ駆け込むと受付けにいた他の客を押しのけ、女性の看護師に捲くし立てるように子供達の事情を話した。しかし、突然の事に状況を呑み込めない看護師は、ぽかんとこちらを見上げるだけだった。
カストは、その様に苛立たしげに踵を返すとすぐに受付けを後にする。そして、荒々しくドアを開けて診察室へと入った。ちょうど、中年男性の問診を行っている少し白髪の交じった男性医師の姿を見つけた。二人は、驚いてこちらを見やっている。
カストは、医師の傍に駆けよると、事の事情を簡潔に説明し、先のこの子供達を診ろと声を荒げた。医師は、すぐに近くの看護師に声をかけると簡易ベッドを子供達の人数分用意させる。そして、そこに彼らを寝かせるとすぐさま診察を始めたのだった。
カストは、一時その様子を黙って眺めていたが、何も言わずに診察室を後にした。待合室に出たカストは、手近な所に腰をかける。待合室には、まだ数人待っている人々がいた。そんな彼らに、先ほど受付けにいた看護師が急患が入ったことを告げ回っている。
カストは、腰につけている小さな革のポーチから煙管を取り出す。それは、胴が二つに別れる組み立て式で彼の愛用品だ。カストは、煙管を銜えると、煙草が入っている火皿の横で軽く指を鳴らす。すると、煙草に小さな火がついた。腕に彫っている紋章術のおかげで、ちょっとした魔法なら呪文も詠唱無しでこの通りだ。
カストは、そのまま煙管の空気を吸うと口の端から深く息を吐き出した。口から出てきた真っ白い煙が待合室の中空へと消えてゆく。その様に、待合室の中に居た看護師が慌ててやってきた。
「ちょっとアナタ、ここは禁煙ですよ!今すぐッ・・・」
「あの子達を運んできたのは君かね?」
少しヒステリック気味に声をあげかけた看護師を遮って、診察室から先ほどの初老の医師が出てきた。彼は、カストの姿を見つけると彼の傍に歩み寄る。カストは、煙管を口から離すと医師を見上げた。
「ああ。ガキ共は、どーなんだ?」
しかし、医師は、表情を暗くすると口を開く前に小さな間を落とした。その様に、カストの眉が怪訝そうに歪む。
「胃の中のものは吐かせたんだがね。まだ気が抜ける状況では・・・」
「クドコクの毒は、モリュの投薬で何とかなるだろーが。大して難しい治療じゃねーだろう?」
「詳しいんだね。それが、モリュ草がないのだよ。」
「あぁ??ここは、病院だろーがッ!!なんでそんなポピュラーな薬草置いてねーんだよ!!ふざけんなッ!!」
「うっッ・・・」
カストは、立ち上がるとそのまま医師の胸倉を掴み上げる。その様に、待合室にいた人々は一斉に外へと逃出していった。
クドコクは、小さな丸い形状の実が葡萄の房のような塊になっている鮮やかな紫色の木の実の一種だ。森や野山などで、よく低木になっているのを見た事がある人は多いだろう。その実からは、甘く良い香りが漂ってくるが、毒を含んでおり食べれば全身に痺れがおきる。ある一定以上の量をとってしまえば死に至る事もある程だ。
クドコクは、どこにでもある植物なので、これが食べられないものだという事は誰でも知っている。しかし、まだ知識の浅い子供が、木苺の類と誤って口にする事も多い木の実だ。だからこそ、その治療薬として、大抵の毒に効力を持つモリュ草が使われる。病院や薬屋でこの薬草を置いていないどありえない話だ。
カストは、奥歯を噛むと医師を掴み上げている腕に無意識に力をこめた。医師が苦しげに顔を歪ませる。それを驚いて見やっていた看護師が、慌ててカストの腕にしがみつくように手を絡めると声を上げた。
「先生ッ!!や、やめて下さい!!現在、この街では次々に色んな店が閉店してて物が手に入りにくいんです!だから、薬も・・・」
「!?」
(例の地上げ屋か・・・)
カストの脳裏をミゥの店で会ったアイパッチの男達の姿が過ぎる。どうやら、カストが思っていた以上に、商店の強引な立ち退きは、この国に歪みをきたしているようだ。
彼は、パッと医師を掴んでいる手を離した。医師は、その場に崩れ落ちるように座り込み咳き込む。看護師は、しゃがみ込むと心配そうに医師を見やった。
「とりあえず、ガキ共のぶんだけでもありゃ、なんとかなんるだろう?」
「君、なんとかって・・・モリュ草を持ってるのかい?」
「俺じゃねーがな。」
医師は、目を見開いてカストを見上げる。日々、立ち退きを要求されて閉店していく商店の中に、この病院に薬草を届けてくれていた薬の卸商店があったのだ。突然の事だった為、他の薬屋や商店に手配を頼もうにも、そちらも他からの依頼が殺到しており、この病院に回せる品が無いと断れた。どうすることも出来ず、今残っている分でなんとか持ちこたえている状況だった。
カストは、座り込んでいる医師に目もくれずに、煙管の火を消すと腰のポーチにしまい込んだ。そして、小さく舌打ちすると病院を後にする。そして、また元来たセントラルの道を駆け出した。
とりあず、カストは、Rinarに向かって全速力で人の合間を縫って駆けていた。しかし、いくらかも行かない内に、少し上機嫌そうに歩く、ロングの金髪で、鮮やかな緑のワンピースに白いエプロンをしている少女の後ろ姿が目に飛び込んできた。
カストは、彼女に追いつくと肩に手を置き、強引に自分の方を向かせる。突然、振り向かさせれた先にいた人物に、ミゥは驚いて声を上げた。
「ミゥ!!」
「カスト!?アンタ、ここで何してるのよ!!お店は!?」
「店には、タワシを置いてきた!!それより、モリュ草は、まだ店に置いてあるのか!!」
「えぇッ!?・・・まだあるけど?」
ミゥは、カストの言葉に声を上げた。アルバイトがいるからと店を開けてきたのに、その人物が目の前に居る。しかも、大事な店を店番が出来るかよく分からない生物に任せてきたなどありえない。しかし、珍しく切羽詰った様子の彼に、ミゥは小首を傾げながら言葉を続けた。
「だったら、それ持って早くセントラルの通りにあるでかい病院に来い!!」
「はぁ?何言って・・・」
「ガキ共が死んでもいいのか、お前ッ!?」
「!?・・・よく分からないけど、すぐ取ってくる!!」
カストは、怪訝そうに眉を寄せるミゥに怒鳴るように声を上げる。その台詞に、ミゥは大きく瞳を見開くとコクリと大きく頷いた。そして、踵を返すとすぐさま店にむけて走ってゆく。何が起こっているのか分からないけれど、どうやらグズグズしいられる状況じゃないようだ。
カストは、そんな彼女の後姿に声をかけ、小さく舌打ちを落とすと歯噛みした。そして、彼女に背を向けると、また別の場所に向かって歩み出した。
「ああ、頼むわ。くそッ、無駄に仕事が増えたぜ・・・。」