03. ホテル『プシューケ』
Rinarでの用事を済ませたカストは、馴染みの宿屋へと部屋を取りに向かっていた。ラメラの滞在先は、毎度同じ所だ。城へと一直線に伸びるセントラルに垂直に交わるもう一つの大通りアニュラス。
セントラルは、もっぱら老舗店舗メインの通りだが、城の眼下に真横に伸びるアニュラスは旅の露天商達に開放されいる。露天許可書を取りに行けば、アニュラス通りに自分の好きな場所で店を開く申し出が出来る。そのせいか、アニュラスにはたくさんの宿屋が立ち並んでいた。
カストは、その中の宿屋でも並よりワンランク上のホテルに泊まっている。街を出れば、野山や荒野で何日も野宿することが多い彼のささやかな贅沢なのだ。
いつものように、セントラルとアニュラスが交わる大きな交差点の北側にある、少し高級感漂う石造りの宿屋プシューケに向かう。その扉を開くと戸惑う事無く中へと入っていった。こういう店に一般的な旅人が泊まるのは稀だ。だいたいは、観光気分でやってきたちょっと金を持った連中が泊まるようなホテルだ。一般人や旅人は、大通りから外れた他の路地に並ぶ格安の宿屋へと大抵は流れて行く。
カストは、扉をくぐると真っ直ぐに受付へと向かった。大きな荷物を背負ういかにも旅人風の長身の男性客に、きっちりと制服を着込んだ若い男が怪訝そうな視線を向ける。カストは、そんな受付けの男性の元へとやってくると、受付カウンターに右肘を乗せて男に顔を向けた。
「おい、支配人にカストが来たと伝えろ。」
「は、はぁ・・・少々お待ち下さい。」
若い受付けの男性は、戸惑いながらも奥へと引っ込むと言われた通りに支配人に彼の言葉を伝えた。すると、支配人は、その客の相手は自分がするからと言うとすぐさま受付へと行ってしまった。そんな支配人の背に、若い受付け係の男性は不思議そうに小首を傾げた。
荷物を傍らに降ろし、カストがカウンターでちょっとの間暇そうに待っていると、奥から貫禄のある制服姿の従業員がやってくる姿が目に入った。彼は、黒髪をビシッと後ろへ流したオールバッグにカイゼル髭|(鼻したに生やした逆ヘの字風髭)を生やした渋い中年男性だ。皺一つ無い白シャツに、黒のベストと同色のスラックス。胸元の蝶ネクタイもビッシと決まっている。
彼は、カストの姿を瞳に映すと親しげに口を開いた。
「おお、カスト!久しぶりじゃないか!」
「よぉ、クラーク。景気良さそうだな。」
「まぁ、お蔭様でねぇ。シャフラーザードの香辛料と新鮮な魚貝類を君から安く仕入れさせてもらってるおかげでね。」
満面の笑みを浮かべてそう言う支配人クラークにカストも小さく笑みをこぼす。ここプシューケもまた、カストのお得意様なのだ。以前、このホテルに滞在した折、カストが有名な旅商人だと小耳に挟んだクラークから頼まれたのが縁だった。
トードストゥール国の隣、大きな港をもつ貿易国であるシャフラザード。シャフラザードと言えば、スパイスロードが発展したきっかけとして名高く、漁業と香辛料産出国として有名だ。その国に、カストには幸いな事にちょっとした知り合いがいたのだ。
カストは、プシューケとは直接的な取引は行っていない。その代わり、シャフラザードの漁師と香辛料専門の商人を紹介しているのだ。そして、その仲介料をもらっている。
「そうか。所で、部屋は空いてるか?」
「ああ。どこでも好きな部屋を選びたまえよ。何日か滞在するんだろ?」
クラークは、宿屋の部屋割りをカストに見せながら空いている部屋をいくつか指指した。本来なら、階が上にいくごとにランクの高い部屋があり、値段も違ってくる。それなので、受付けの男性が訪れた客へ部屋の値段説明などを行っている。
だが、常連客であるカストからは、どの部屋に泊まっても一律同じ料金しかもらっていない。その為、支配人自らが彼の接客を行っているのだ。しかし、クラークにとって、彼はこのホテルの危機を救ってくれた恩人だった。だから、宿泊代はいらないと言っている。しかし、彼は、取引と自分が宿屋に泊まるのは別の話だと必ず料金を払っていくのだ。
カストは、その部屋割りを見やりながら愛想の無い返事を返す。
「まぁ、いつもと同じだな。」
「君は、お得意様な上に良い商売相手だからね。好きなだけ泊まっていくといい。」
「おぅ、そーするわ。」
ニッコリと笑みを浮かべるクラークに、部屋を決めたカストは顔をあげてニッと笑った。カストは、三階の通りに面した部屋を指差す。そんな彼に、クラークは宿帳を差し出した。カウンター上のペンを手にとって、簡単なサインをしていたカストはふと顔をあげる。
「そういや、クラーク。お前の所には、地上げ屋は来てねぇのか?」
「耳が早いね、君は・・・。まぁ、今の所、ウチは大丈夫だ。それに、アニュラス通りの方は、被害店がまだ無いからね。」
「そうか・・・。」
カストは、少し何かを考えるように眉根を寄せた。そして、残りの記帳を終わらせる。クラークは、そんな彼に部屋の鍵を渡しながら悪戯気に口を開いた。
「おや?もっと心配してくれないのかい、私の宿屋を❤」
「・・・俺がかぁ?そんな気色の悪ィーことして欲しいのかよ、お前。」
カストは、鍵を受け取りながら隠す事無く嫌そうに顔を歪めた。そして、呆れたように溜息混じりに返す。
「ハハハ!たまには、人に優しくしておくもんだよカスト。いいことあるぞ。」
「心配と優しくって・・・意味違ぇーだろうが・・・。ったく、お前の意味不明はジョークは、いくら経っても慣れねーよ。」
カストは、もたれるように立っていたカウンターから身を離す。すぐさま、ロービーにいたベルボーイが彼の荷物を運ぼうとやってきた。しかし、カストは、それを制すると自分で持ち上げてさっさと階段を上がっていってしまった。そんな彼の背をオロオロとみやるベルボーイに、クラークは軽く声をかると、彼もまた奥へと引っ込んでいったのだった。