過去のこと1
山田の一件以来、俺に歯向かう奴はいなくなった。
先に手を出してきたのは山田の方で、俺は初犯だった為、処分は意外に軽かった。謹慎なしの反省文と家庭訪問のみ。
山田の親から慰謝料なんかを請求されてもおかしくはなかったが、幸いそういうことに無頓着な親だったようだ。
と、いうよりも、息子に対して関心がなかった。山田があんな風になったのも、そもそも劣悪な家庭環境に問題があったと担任は溢していたが、俺には何の関係もないことだ。
「バーカ」
「なんだよ」
朝美と二人で帰る久々の放課後。
彼氏はいいのかと言えば、別にいいとの事だった。
「アーホ」
「うるせ」
歩道橋の上で俺の前を歩く朝美は、時折振り向いてはそんな言葉ばかり呟く。
腹は立たない。心配してくれていたのを知っていたから。
「そんな格好しとるけ目ぇ付けられるんよ」
「……髪黒くしようかな」
「私がしてあげようか!」
パッと明るくなった朝美の顔。さっきまで仏頂面を貫いていたのに単純な奴だ。
そのまま二人でドラッグストアに寄り、黒染めを買って朝美の家に帰った。
朝美の母親も、今回の件を当然知っていたが、何も聞かずに俺を快く家に入れてくれた。
二人で風呂場に入り、俺は上半身だけ裸になって浴槽の縁に腰掛ける。
朝美が説明書を読みながら、後ろから俺の髪に液体を塗っていった。
「ちょっと、動かんとって!」
「動いてねぇーし」
「あーもう、ほら! 液が制服についたら落ちんき!」
うるせーなぁと舌打ちをしたが、本当は嬉しかった。放課後こうやって二人で過ごすのも久しぶりだったし、仲間からも『切れるとヤバイ奴』とレッテルを貼られ
るようになった中で、朝美は変わらず接してくれる。
野田にも朝美にも心配をかけた。悪い友達と付き合うようなってからの俺は少し調子に乗っていたのかもしれない。
「私、思った」
俺の髪を弄りながら朝美が言った。
「アキラは放っておいたらいかん。誰かがついてないといかん」
「ガキ扱いするんじゃねーよ」
「ガキー。やんちゃ坊主ー」
「てめぇ、泣かすぞ」
「もう泣いたわ」
「え?」
「あんたがあんなことしたって聞いた時」
「……」
「私、アキラの側におるで。アキラに悲しい思いはさせん。でも、アキラに万が一何かあったらそれは私耐えられんよ」
「……」
「だからねぇ……お願いやき、共倒れせんように、あんたもしっかりしてや」
朝美の声がだんだん震えていくのが解る。堪らず振り向くと、彼女は片手で顔を覆っていた。
その手をそっと外してやると、真っ赤になった朝美の目が俺を見た。
そしてそのまま、顔を近付けキスをした。何故そうしたのかは解らない。
朝美も抵抗はしなかった。
それは触れるだけのものだったが、俺の身体を熱くするには十分すぎた。
髪を黒くすると、何故か女からは好評だった。
しかももうすぐ三年。高校受験があるので丁度良い。こんな俺だが高校には行きたかった。出来れば朝美や野田と同じ高校に。
「お前はいいよな」
野田と二人で参考書を買いに行った日曜日。
幾つもの参考書を見比べている俺の傍らで、漫画コーナーを彷徨いている野田に放った言葉だ。野田は部活の成績を称えられ、スポーツ推薦で入学出来ることがほぼ決まっていた。
「俺も部活やっとけば良かった」
「喧嘩部部長」
「はは。じゃあ朝美にマネージャーやってもらおうかな」
冗談で言うと、野田は急に黙り込んでしまった。
特に気にせず何冊かの参考書を選び、母親からせしめた金を握ってレジに通す。
本屋を出て数メートルほど歩いた時、野田は言った。何だかすごく真面目な声音で。
「アキラ、朝美のことどう思う?」
予想外の質問に少し面食らった。
朝美とキスしたことを野田は知らない。
それどころか、俺と朝美の間でもあのキスはなかったことになっている。朝美には彼氏がいるし、そうでなくても朝美と付き合うなんて考えられない。いや、考えたくない。あれは、あの場のノリだったのだとお互い自分を納得させた。
「どうって、ただの幼馴染み」
お前もそうだよな、野田。心の中で問いかけたが、野田は言った。
「……俺は、朝美が好きや。ずっと。好きやった」
「……ふぅん」
「それだけかや」
「いいんじゃね? でもあいつ彼氏いるじゃん」
「うん、でも好きなんよ」
俺が告白されたのかと気持ち悪い勘違いをしてしまうほど、野田は真っ直ぐそう言い切った。
「あいつ、可愛いやろ」
「わかんねーよ」
「そうか。じゃあお前は朝美のこと好きやないんやな」
「まぁ、お前と同じようには好きじゃない」
「良かった」
野田は笑った。相当勇気を出してこれを言ったのだろうということが、その笑顔で分かった。
俺が恋のライバルになるとでも思っていたのだろうか。そうだとすれば、こいつは小学生の頃から今まで俺の何を見てきたのだろう。俺という人間をまるで解ってない。
だが、それは俺も同じだった。野田の朝美への想いに気付けなかったのだ。
「……何だよ、もっと早く言ってくれたら良かったのに」
「何で?」
「別に」
そしたら、朝美にキスなんかしなかった。と、思う。
俺は奇跡的に高校入試をクリアした。
死にものぐるいで勉強している間、何度も挫折しそうになった。周りからも無理だろうと言われていたが、俺は諦めなかった。
もちろん、野田と朝美は楽勝で合格。
俺の悪い仲間達は殆どが高校へは行かずに現場仕事や、とび職についた。
俺はピアスの穴を閉じ、喧嘩を辞めた。
卒業式では後輩から沢山の花束を貰い、写真を沢山撮った。
そして、俺の学ランのボタンは全て同級生や後輩の女に取られた。少しやんちゃなくらいがモテるのだ。あんなにちやほやされたのは、今思い返してもあの時がピークだった。