俺達は、
俺はもともと転校生だった。
本格的な思春期に入る前の、何事にも多感な小学五年生の時に両親が離婚し、母親に引き取られて関東から母親の実家がある四国の田舎へ移り住んだ。
綺麗な川と美しい山々が魅力というか、それくらいしか誇れるものがなく、平日の昼間からパチンコに並ぶような大人達ばかりがいる土地に来たが、祖母の家には夏休みや正月のたびに遊びに来ていたしそこまで抵抗はなかった。
だが、実際学校へ行き、新しい教室で転校生として紹介された時は、緊張と不安で倒れそうだったのをよく覚えている。椅子に座ってこちらを見据える三十人余りの同い年の目が、全て敵に見えたものだ。
野田とはその時からの付き合いだった。
休み時間になると、転校生の俺のもとにクラスの男子生徒がわらわらと集まり、あれやこれやと質問を投げ付けてきた。
そのひとつひとつに答えている途中、一際身体のでかかった野田の図太い声が、小学生のそれとは思えないくらい威圧感たっぷりにこう言った。
「お前、なんか弱そう」
すると、野田に便乗して他の奴らまで同じことを言い始めた。
俺は身長もそこそこ、どちらかと言うと痩せ形で、野田に比べると確かに弱そうだったと思う。あくまで野田に比べると、だ。
しかし、だからと言って性格まで大人しいわけではなかった。男勝りな母親の影響か、何事にもある程度の闘争心を抱いていた俺は、このままいじられキャラが定着してしまうことを恐れた。
「うるせーよ。お前なんかでかいだけだろーが」
そう言うと、野田がにやりと笑う。殴られるのではないかと正直びびったが、そうではなかった。
「じゃあ、転校生。お前度胸試ししろ」
「何だよ」
「あいつを泣かしてこい」
あいつ、と言った野田の指差す先にはあるひとりの女子がいた。窓際で、友達と楽しそうに話している。
印象としては、色白で大人しそうな子。ショートカットの髪の毛を弄りながら見せるその子の笑顔からは、時折小さな八重歯が覗いた。
「あれ、誰?」
尋ねると、周りの男子もニヤニヤと笑う。
「女子のボス」
行けよ、と野田に背中を小突かれた。
俺は促されるまはま、その子のところまで歩き、軽く肩を叩いた。
そして振り返ったその子。
俺を見てキョトンとした表情を浮かべる。
なぁに? とでも言おうとしたのか少しだけ開く薄い唇。
健康的に膨らんだその頬めがけ、俺は躊躇うことなくビンタを食らわした。
鈍い音と共に静まり返った教室。はやし立てていた野田達でさえ、唖然としたように俺を見ていた。まさか顔面を叩くとは思わなかったのだろう。
初対面の、それも転校生にいきなり叩かれたその女の子はすぐに泣き出すだろうと予想していたが違った。
目を見開いた後その子は、渾身の力を込めて俺の左頬をビンタし、怯んだところに更に蹴りを入れてきた。
あ、やばい。と思った時にはもう転んでいた。大人しそうに見えた彼女は、後々聞くと空手を習っていたようだ。
それが、俺と朝美の最初である。
転校初日にクラスの女子から総スカンを食らうことになってしまった俺だが、男子からは称賛された。
その中でも特に、ボス的存在であった野田に気に入られ、転校生のくせに度胸のある奴だと他のクラスの奴らからも一目置かれるようになった。
しかし後でこっそり朝美に謝ったのは言うまでもない。
帰る方向が偶然同じだったので、朝美が友達と別れてひとりになった時に駆け寄って行った。
汚いものでも見るかのような視線を向けられたが、素直にごめんと頭を下げると、彼女は呆れたように溜め息を吐いた。
「ええよ。どうせ、野田達に命令されたがやろうし」
命令、という言葉にムッとした俺は、頷いておけばいいものを意地を張って、ちげーよ。お前が気に入らねーからだよ。と言ってしまった。
しまった、と思ったがしかし、何故か彼女は怒らなかった。
「あんた、馬鹿やね」
そう言って笑ったのだ。
仲良くなればなるほど、野田も朝美もいい奴だった。
自然と三人でいる時間が長くなり、喧嘩もしたがその毎日はなかなか楽しいものだった。
朝美は見た目よりもずっと活発な女の子で、昼休みはお喋りをするよりドッジボールで走り回るのが好きな奴だった。
他の女子が嫌がるような虫も平気で掴み、山に入るときは先頭切って蜘蛛の巣をかき分け、数メートル上の岩場から何の戸惑いもなく川の中へダイブする。
特に俺と朝美は家が近いのもあってか、家族ぐるみで付き合うようになった。俺の母親と朝美の母親は歳が近くすぐに仲良くなったようだ。
お互いの家を頻繁に行き来したが、遊ぶのは朝美の家が多かった。玄関の床の軋みもその頃からのものだった。
ある日ヤマモモの木に三人でよじ登りおやつ代わりにその実を摘まんでいた時朝美はふいにこう漏らした。
「私、男に生まれたら良かったなぁ」
「なんで?」
「だって、そしたらアキラや野田と一緒にずーっと遊べるやんか」
「遊べばいいじゃん」
うーん、と朝美は少し考える素振りを見せたが、やがて静かに首を振った。
どうしてそんなことを言うのか俺には解らなかった。終わらないものなんてない。これがこの先もずっと続くのだろうと信じて疑わなかったからだ。そしてそれは、野田も同じなようだった。
朝美の言葉の意図が掴めず二人で顔を見合わせていた。
そう考えると、朝美はあの頃から俺達よりも幾分か大人だったんだろう。
そのまま三人一緒に公立の中学に上がり、もともと身体のでかかった野田は更にでかくなり、野球部に入った。
そこそこ運動神経の良かった俺も、一緒にやろうと誘われたが毎日毎日練習なんてかったるいことはしたくなかったのでどの部活にも入らなかった。
朝美は中学に入ると同時に空手を辞め、髪を伸ばすようになると急速にモテ始めた。
他の小学校から来た奴らが朝美の事を可愛い可愛いと噂しているのを聞くたびに首を傾げたものだ。
俺はそれがどこか気に入らないでいた。だけどそれが何故かは分からない。
それでも俺達の関係は変わりなく、回数こそ減ったものの何かと三人で集まるのが常だった。
特に野田は部活があったので、基本的に帰宅時は朝美と二人になることが多かった。それだけで、周りの奴らからは羨ましがられたが、同時に妬まれたりもした。
「私といると、アキラ彼女出来んね」
「いらねーよ、そんなもん」
何気なく答えた俺だったが、朝美は嬉しそうに笑った。
肩の下まで伸びた柔らかな髪に、少しも日焼けしない陶器のような白い肌。空手をやっていたとは到底思えない華奢な身体には、セーラー服がよく似合う。
その、いかにも優しそうな瞳で見詰められると、確かに普通の女よりも可愛い部類に入るのかなと納得した。
しかしその会話のわずか一週間後、俺は同じクラスの女子に告白され、あっさり付き合った。
髪を染めていて、スカートを校則よりもすこぶる短く折ったエロい女ではあったが、決して可愛いわけではなかった。
ただやはり口ではああ言ったものの、男女の付き合いというものに対して多少なりとも憧れはあった。言うなれば興味本意。
野田は自分より先に彼女ができたことで、たいそう悔しがってはいたが、朝美は呆れたように笑うだけだった。
相変わらず朝美や野田とつるむ俺だったが、ある日彼女に言われた。
「朝美ちゃんと仲良くしないで」
どうしてかと純粋に疑問に思い尋ねると、どうして分からないのと逆に質問を返された。
「朝美は友達だよ」
「じゃあ私と朝美ちゃん、どっちが好き?」
好き?
俺はこの子のことを好きだと感じたことは一度もなかった。キスもしたし、セックスもした。が、だから何だというのだ。合意の上でやったのだから、たとえ好きじゃなくても責められる筋合いはない。
どうして付き合っているというだけで、俺に好かれていると思ったのだろう。好きだと言ってきたのはそっちだと言うのに。
挙げ句、もういいと言われそのまま振られてしまった。
「アキラくんはみんなに優しい。けど、本当は誰にも優しくない」
あの時俺にああ言ったあの子は、なかなか的を得ていたなと今なら頷ける。