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凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~  作者: 立花鏡河
十一章 凶星のもとに

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第五十一話 幻十郎の手

   ◆



 女学校を飛び出し、ひたすら自転車を漕いでいたら、【徒名池】に行き着いた。

 黒い霧の臭気は、琴音自身をも蝕(むしば)んだらしい。凶星が、この大地を焼き尽くしてしまえばいい……という願いすら、頭をもたげてくる。


 そんなことをぼんやりと考えながら池を眺めていたら、傍らに幻十郎が立っていたのだ。

 我に返って己の醜さに恐ろしくなったのと、ほっと安堵したのと。

 訳もわからぬまま、琴音は泣いた。

 他の誰でもない、幻十郎だったから、子どものように泣き続けることができた。


(わたしは、すでに八神さまを恋い慕っていたのだわ……)


 だが、幻十郎に会えるのは、おそらくこれが最後となるだろう。自らの未練を断ち切るように、琴音は淡々と事実を告げた。


「わたしは、凶星のもとに生まれた女です」


 よし江たちのように態度を変えてくれたら、どんなに気持ちが楽になっただろう。


「納得する必要など……断じてない!」


 幻十郎は激しい怒りを見せた。


(わたしのために怒ってくださった……)


 暗く閉ざされていた心に、眩い光が射し込んだような心地になる。その一方で、覚悟が鈍ってしまわないかと、焦りが生じる。


 気まずい雰囲気になると、幻十郎は琴音の複雑な感情を察したのか、普通に接してくれた。

 いっしょに鯉に餌やりをしたり、団子屋で雑談したり……。いつか恋愛小説で読んだような〝男と女の幸せな時間〟を過ごせていることが、何より嬉しい。


(この時間が永遠に続けばいいのに……)


 そう願ってしまうほどに、穏やかに時が流れる。

 清少納言の話題になったとき、琴音は言った。


「人からはこう思われているけど、実は違った……ということは案外多いと思います」


 言いながらも、これは自身にも当てはまるのではないか……と気づく。

【桜高女】にいる自分は自由闊達で、〝深紅の姫君〟と誉めそやされ、自信たっぷりに振る舞っていた。


 だが、蛇ノ目村に帰れば、養父母の顔色をうかがい、屋敷で目立たぬように息を潜める陰気な娘だ。

 しかも……【桜高女】の皆に慕われている自分こそが本当の自分だと思っていたが、それはただの思い込みだったかもしれぬ。〝凶星の子〟から引き継がれてきた因果にも、村の忌まわしき因習にも抗(あらが)おうとしない、意気地のない女――。


(これが、涼風琴音という女の正体なのだわ)


 そのことに得心がいったから、左腕に浮かぶ赤い紋様を見られようとも、説得されようとも、お守りを渡されようとも、琴音は揺らがなかった。


(わたしには、八神さまに救われる価値などない……)


 そう確信した以上は、幻十郎にすがりつく真似はできない。


「私は君と……おまえとともに生きていきたい……」


 自転車に跨った琴音は、幻十郎の悲痛なまでの願いを、背中で聞いた。手を差し伸べてくれたであろうことも、気配で感じられた。


 けれども、琴音は振り返ることなく、そのまま自転車を走らせた。

 幻十郎の手を取り、逃げだした後の悲劇を思えば……これでいい。幻十郎を不幸にはしたくない。


(そう、これでいい)


 必死に自分を納得させながら、ペダルを漕ぐ。

 怪しげな一団が「凶星がやってくる!」と騒いでいたが、彼らの言葉は薄っぺらで、ただ耳障りなだけだった。


 大通りを抜けたあと、自転車を止めて天を仰ぐ。村に帰るにはまだ早い。


 残酷なまでに青い空に、不吉な箒星の軌跡が浮かぶ。二十日の夜、蛇神に捧げられたあと、自分の魂はどうなるのか。凶星が、暗黒の彼方に連れ去ってくれるのか。そこに天国や地獄はあるのか。


 その問いに、答えてくれる者はいない。

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