サークル勧誘と見せかけた宗教勧誘にはご注意を
「それとも、興味があるのは右下の文章の方かな」
日下が返事をしないでいると、中学生は言葉を続けた。
右下の文章?
日下はさっきまで眺めていたチラシの右下を注視する。すると先ほどは気付かなかったが、小さな文字で何か書いてあるのが見て取れた。
怪奇現象の相談、承ります。
書かれていたのはたった一文だけ。
しかし日下はその文章を見て、心を覗かれたような錯覚を覚えた。
今自分が悩んでいるのは、まさしく怪奇に関連することなのだから。
「どうやら図星のようだね。よかったらこれから部室に来ない?きっと君の力になれると思うよ」
少年は爽やかな笑みを浮かべて、日下に問う。その表情は年相応の無邪気なもので、その手の趣味がある女性が見たなら、垂涎することだろう。日下は生唾を飲み込んだだけなので、まだセーフとしておく。
少年の誘いは願ってもないものだった。本来なら行くかどうか悩む必要すらない。 今の日下は藁にもすがりたい気持ちなのだ。
わざわざチラシにこんな文章を載せているということは、この部はそういった現象に関して、それなりに経験を積んでいるのだろう。
相談してみる価値は、十分にある。
しかし、日下の頭には一つ引っ掛かっていることがあった。
天野のことである。
彼女は明日必ず解決してくれると言っていた。
ここで彼についていくということは、彼女に対する裏切りになりはしないだろうか。
日下の中では、できるだけ早く解決したいという気持ちと、天野の気持ちを無為にしたくないという気持ちがせめぎ合っていた。
そんな彼女の背を押したのは、目の前の少年の言葉だった。
「何をそんなにためらっているのかは知らないけど、あまり怪異を侮らないほうがいい。君が出遭ったものがどの程度危険なのかは、話を聞いてみないとわからないけど、手遅れになってからじゃ、僕達でもどうしようもないんだよ」
少年は手遅れ、と言った。
それがどのようなことを意味するのか、日下には考えられなかった。
いや、考えたくなかったのかもしれない。
「あの、お話聞いていただけますか」
気付けば、日下の口をついて言葉が吐きだされていた。
天野に対して後ろめたさは感じているものの、やはり早く解決したいという気持ちが勝ったのだ。
しかし、日下はその判断を少し後悔した。
日下の言葉を聞いた少年が、先ほどまでの爽やかな笑みとは打って変わって、口を三日月の形に捻じ曲げた、気味の悪い笑みを浮かべていたから。
「もちろんだよ。そうと決まれば善は急げだ、部室に案内するよ」
少年はさっさと歩き出してしまう。平生からの癖なのか、その歩調は妙に速く、日下は急かされているように感じた。
話を聞いてもらうと言った手前、ついて行かないわけにもいかない。
日下はしぶしぶ前方の小さな背中を追うことにした。
「そう言えばまだ自己紹介をしていなかったね。僕は堀田正義。どうぞお見知りおきを」
「日下波奈と言います。よろしくお願いします」
「日下さんか、そのスーツからして新入生かな。そういえば今日は入学式だったよね。
部室に行くついでに、校舎の案内でもしておこうか」
そう言って堀田は、窓の外を指さした。その先にはシロップのような白さの、比較的新しい建物があった。
建物は四階建てと言ったところだろうか、脇には鉄骨製の非常階段が備えられている。
屋上にはフェンスが張り巡らされており、日下のいる場所からはその様子を詳しく伺うことはできないが、巨大な扇風機のような羽がくるくると回転しているのだけは見ることができた。
「あれは五号館。一年前に建てられたばかりの、新校舎だ。屋上にタケコプターみたいなのが付いてるけど、別に飛べるわけじゃない。あれは風速を計るための装置らしいよ」
「五号館の奥に、オンボロの六号館があってね、理系の学部の専門科目は基本的にこの二つの校舎で行われるんだ」
「今私達がいるのは、何をするところなのですか?」
「ここは四号館で、隣の三号館と合わせて共通教育棟と呼ばれている。要は教養科目を受講する校舎だね。一年生の授業は基本的にここでするから、早めに構造を把握しておいた方がいい」
「後は一号館と二号館があるんだけど、この二つは文系の学部の授業があるところ。
僕は人文学部だから、そこで勉学に勤しんでいるのだよ」
堀田は顔に胡散臭い笑みを張り付けたままで、悠々と歩く。いつの間にか、その歩調は緩んでいた。
二人は渡り廊下へと差し掛かっていた。簡易な屋根を備えただけのものであったが、雨の日には重宝することだろう。
「この廊下を渡った先が、三号館。目指すべき僕達の部室は、三号館と二号館の間のプレハブ小屋だからもうすぐ着くよ」
ここまで歩いてくる間に、日下は自身が大きな勘違いをしているのではないかと思い始めていた。
目の前の少年が妙に大学の校舎に詳しかった辺りから違和感を覚えていたのだが、先ほどの少年の、自分は人文学部に所属しているという発言で、疑念は確信に変わった。
「もしかして、あなたは中学生ではないのですか」
「はい?」
堀田は急停止し、振り返る。胡散臭い笑みがひきつっている。どうやらかなり動揺しているようだ。
「いやいやいやいやおかしいよね。僕最初から先輩っぽい雰囲気醸し出してたじゃん?中学生的な要素は一切なかったよね。幼さゆえの弱さなんて皆無だったよね」
「容姿が完全に中学生でした。頑張って大人ぶってるようで、可愛かったです」
「大学生だよ!今年で二年だよ!酒も飲めるよ!」
「お酒を飲んだら大人だと思ってるあたりが可愛いです」
「何この子、もうミステリアスな雰囲気ぶち壊しだよ。ジェノサイドだよ」
気味の悪い笑みはすっかり吹き飛び、涙目になる堀田。
普段から気にしていたことなのだろうか、日下の言葉は堀田の心を掘削機のごとく抉ったようだった。
「ともかく、僕はもう今年で二十一だ」
そう言って堀田は財布から免許証を取りだし、日下の眼前に突き付ける。必死だった。
免許証まで見せられては、信じるしかない。
「騙しましたね!」
「もうやだこの子……。何でそんな残念そうな顔してるの」
日下との会話を諦めたのか、堀田はとぼとぼと歩き始めた。
その後、部室に着くまでに堀田が口を開くことはなかった。