序章
二作目の投稿となります、腐れ大学生です。
今回の話には残酷描写は含まれていませんが、今後含まれてくる可能性があるため、苦手な方はお気を付け下さい。
私、日下波奈は、気持ちを浮つかせておりました。
というのも、明日からいよいよ夢の一人暮らし、そして薔薇色のキャンパスライフが始まるのです。
辛い受験戦争を耐え抜き、私は今見事に人生の絶頂期へと上り詰めたのです。
これから私が生活をする部屋には、配達業者によってすっかり荷物が運びいれられ、後は私が迫りくるダンボール箱をバッサバッサと切り倒し、中身を整理するだけといった手筈なのです。
しかし、私の両の瞳は確かに倒すべき箱共を見据えているのですが、私の意識は既に愉快なキャンパスライフへと飛んでいました。
学友と切磋琢磨し、気の置けない親友とお酒を飲み、もしかすると大人びた先輩との、素敵な恋なんかもあるかもしれない。
ああ、素晴らしき哉!大学生活!
などと考えているうちに眠ってしまったのか、外は随分日が傾いているようでした。
起きたばかりなせいか、意識がはっきりせず、まだ頭が回りません。
しかし私は焦らないのです。何を隠そう、私はこの寝起きのまどろみの時間が大好きなのですから。
この意識がどろどろになって、周囲に溶け出すような感覚は、なんだか自身が空間と一体になったような気分にさせ、私を虜にするのです。
私はしばしの間、このぽわぽわとした感覚を楽しんでいましたが、いい加減に頭も働きだして、まどろみとの逢瀬も終わりました。
私は携帯を取り出し、開きました。時刻は午後五時。受信メールが一件ありました。
送り主は母。内容を要約すると、部屋の様子はどうか、荷物の整理はしたか、御飯は三食必ず食べなさい、といったものです。
私はそれなりに妥当な内容を返信した後、少し早めの夕食を取ることにしました。
夕食は近隣のコンビニで買っておいたおにぎり二つ。
鮭とたらこ、両方を平らげた私は、一息ついた後に部屋の整理に取り掛かることにしました。
とはいっても敵は強大。私はこのダンボールの密林をいかにして平地にするか、思案しました。
そして出した結論は、片っぱしから切り開くこと。
私はカッターの刃を押し出し、ダンボールを拘束する紐へと躍りかかったのです。
しばらく孤軍奮闘を続けた私。あたりには無残にも開かれたダンボールの残骸。
私は肩で息をつき、一旦作業を終了することとしました。
「今日はこのくらいにしておいてやるよ!」
捨て台詞を吐くことも忘れません。様式美は重要なのです。
先ほど荷物から引きずり出した時計を見たところ、時刻は午後十時。なんと荷物の整理を五時間も続けていたことになります。
外を見ると、既に日はとっぷりと暮れ、部屋の明かりに魅入られた虫が窓ガラスにぶつかって、時折ピシリと音を立てています。
ダンボールとの奮闘で疲れ切ってしまった私は、早々に眠ることにしました。
明日は早いのです。初日から遅刻していては冗談にもなりません。
布団を引きずり出し、布団を敷くスペースも見当たらない床に無理やりに広げました。
ダンボールに囲まれた布団は、なんだか安心感があって意外なほどに寝心地が良く、目を閉じた私は、五分とかからず夢の世界へと旅立ったのでした。
その日の夜、私は誰かが何かを嘗めるような音で目を覚ましました。
私はまどろみとの邂逅にしばし酔いしれましたが、そのうち異変に気付きます。
私は一人暮らしを始めたのではなかったか、と。
ならば私は何も嘗めていないのに、部屋の中から何かを嘗める音がするのはおかしい。
当然の推論を頭で組み立て、さらに頭を回転させる。
もしかしたら泥棒の類かもしれない、ならば起きていることを悟られては危ない。
そう思った私は、身じろぎをせず、ひとまず異音の音源を視線で辿ってみることにしました。
部屋は真っ暗ですが、外からの明かりで多少の視界は確保できているのです。
異音は私の枕元からするようでした。
勇気をふりしぼって、そちらに視線を向けます。
すると私の頭の丁度真横に、毛むくじゃらの足が見えました。
私は思わず声をあげそうになるのを、何とか堪え観察を続けます。
足の形はどうも人のそれではないようでした。全体的に節くれだっており、男性にしては随分と細い気がするのです。
足はその場から微動だにせず、何かを嘗めるぴちゃぴちゃという音は続いています。
一人暮らしの部屋で、得体の知れないものと二人きり。
私は特に幽霊とかそういった類のものを信じているわけではないのですが、この状況は私に恐怖心を抱かせるのに、十分すぎるものでした。
心臓が早鐘のごとく鳴り、呼吸も少し荒くなります。
すると呼吸の音が聞こえたのでしょうか。初めて何者かに動きが見えました。
初めは私の頭に両のかかとを向けていたのに、今はつまさきが両方ともこちらに向いています。さらに、外から差し込むわずかな光が少しだけ遮られたようでした。
おそらくこいつは、私を覗き込むようにして立っているのでしょう。
背筋が冷たくなりました。少し視線を上に向ければ、この得体の知れないものと目が合ってしまうかもしれないのです。
絶対に、嫌だ。
私は頑なに目を閉じて、朝を待つことにしました。
午前六時。いつの間にか眠ってしまったようです。
昨日いたはずの何かはもはや影も形もなく、夢を見たのではないかと思ったほどでした。
布団の枕元に残る足の形のへこみを見るまでは。
それが示すことは、あれが明け方近くまで私の顔を覗き込んでいたということ。
私は鳥肌が立つのを感じました。
私のキャンパスライフは入学式の前からつまずいてしまったようです。
まさか早々に引っ越しを考えることになるとは。