沈黙の街と、北へ続く影
夜は、完全に沈んでいた。
宿の一室。
灯りは小さなランプ一つだけ。
その橙色の光が、震えるルウの横顔を照らしている。
「……ノクスは、前は普通の街だった。」
ルウは膝を抱えたまま、ぽつりと話し始めた。
「市場もあったし、夜でも笑い声がしてた。……争いはあったけど、こんなじゃなかった。」
「いつから変わった?」
ユリウスが静かに問う。
「三ヶ月くらい前。突然、城から“使者”が来た。」
カイが眉をひそめる。
「城?」
「うん……フォルトゥナの直属って言ってた。でも、誰も顔は知らない。黒い衣を着た人達。さっきの人みたいに。」
部屋の空気が冷える。
「最初はね、“秩序維持”って言ってたの。最近、魔族の一部が暴走してるから、監視が必要だって。」
蓮は黙って聞いている。
「でも違った。暴走なんてしてなかった。あの人達が……夜になると誰かを連れていくようになった。」
「理由は?」
ユリウスが尋ねる。
「分からない。選ばれる基準も分からない。ただ……“孤立してる人”や“弱い人”が多い。」
蓮の指先がぴくりと動く。
「家族がいないとか、庇う人がいないとか。外から来た人とか……」
カイが低く吐き捨てる。
「狩りやすい奴を選んでるってことか。」
ルウは頷く。
「連れていかれた人は……戻らない。」
沈黙。
外で風が鳴る。
蓮がゆっくり顔を上げた。
「ねぇ。街の人達は、何も言わないの?」
ルウは苦しそうに唇を噛む。
「言った人が、次に消えたから。」
その一言で、全てが繋がった。
恐怖による支配。
見せしめ。
沈黙の連鎖。
ユリウスが腕を組む。
「つまりこの街は、“管理された狩場”だ。」
「……うん。」
カイが舌打ちする。
「城が本当に関わってるのか?」
蓮は首を振った。
「分からない。でも“フォルトゥナ直属”を名乗れば、誰も逆らえない。」
それは、権威の悪用。
ユリウスの視線が鋭くなる。
「もし偽装なら、城の名を騙っていることになる。だが本物なら……」
「もっと厄介だね。」
カイが言う。
ルウが不安げに三人を見る。
「お姉ちゃん達……もう、ここを出た方がいいよ。明日には絶対、また来る。」
蓮は即答しなかった。
代わりに、窓の外を見る。
暗い。
不自然なほど静かだ。
「ねぇルウ。」
「なに?」
「その人達は、どこに連れていくか分かる?」
ルウは小さく震えた。
「北の外れ。旧監視塔の方……立ち入り禁止になってる。」
カイとユリウスが目を合わせる。
「……どうしてそこだと分かったんだ?」
ユリウスが問う。
ルウの拳が震え、唇を噛みしめる。
やがて、ぽつりと零す。
「……母さんが、連れていかれた。」
蓮の胸が小さく跳ねる。
「いつ?」
「一週間前。」
一週間。
まだ希望が消えるには早い。けれど、十分に絶望が染み込む時間。
ルウは視線を落としたまま続けた。
「夜だった。黒衣が来た。僕、何もできなかった。」
声が掠れる。
「でも……追ったんだ。」
ユリウスの眉が僅かに動く。
「尾行したのか?」
ルウは頷く。
「遠くから。見つかったら殺されると思った。でも、放っておけなかった。」
足音を殺し、屋根伝いに、路地の影を渡り――
「北の外れの方に向かってた。古い塔があるあの辺り。」
カイが低く唸る。 「封鎖区域だな。」
ルウは首を振る。
「正確な場所は分からない。途中で……弾かれたから。」
「結界か。」
ユリウスの声は静かだ。
「見えない壁みたいなのにぶつかって、転んで……その時、ひとりが振り返った。」
ルウの呼吸が乱れる。
「気づかれたと思って、逃げた。だから……その先は知らない。」
完璧な情報じゃない。
でも、十分だった。
蓮はゆっくりとルウの前に膝をつく。
「どうして、宿で何も言わなかったの?」
ルウの瞳が揺れる。
「……巻き込みたくなかった。」
吐き出すように。
「助けようとして死なれるの、もう嫌なんだ。」
一瞬、夜が凍る。
カイが黙り、ユリウスも何も言わない。
蓮は静かに答える。
「でも、あなたは一人で行こうとした」
「僕の母さんだ!」
初めて、声が爆発した。
「僕しかいないんだよ!」
その叫びは、まだ子どもである証だった。
蓮は迷わず言う。
「じゃあ、一緒に行こう。」
ルウが顔を上げる。
「え?」
「北の外れ、古い塔。そこまで。」
カイが肩を竦める。
「危険だぞ」
「分かってる。でも、知らないまま通り過ぎる方が、もっと嫌。」
蓮の強い意志を感じる。
「面倒ごとは嫌いだが、城が絡むなら話は別だ。」
ユリウスも静かに頷く。
ルウは混乱したように三人を見る。
「なんで……」
蓮は柔らかく笑う。
「あなたが、頑張ってくれたから。私達もそれに応えたい。」
一週間前、怖くても走った少年。
それだけで十分だった。
遠くで、鐘の音が鳴る。
ノクスの夜が、ゆっくりと深くなる。
北の外れ――
古い塔。
そこに何があるのか。
黒衣はなぜ人を集めているのか。
誰も、まだ知らない。
だが、動き出した。
ノクスの闇は、確実に彼らを見ていた。
そして――
塔の最上階。
黒衣の魔族が、ひとり、薄く笑う。
「……もう少しで…」
その足元には、淡く輝く紋様。
まるで誰かを“待っている”かのように。
夜風が強く吹き抜けた。
不穏だけを残して。




