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永劫よ、滅びることなかれ  作者: null
二章 友人の仮面
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友人の仮面.3

 永遠に続く時間などなく、私と千花が共にした初めてのカラオケは、深夜1時を超えたあたりで終わりを告げた。


「はぁ、楽しかったです」


 わずかな疲労感を覗かせる千花の横顔。その向こう側で、人気の失せた夜の街並みが流れていく。


 暖色の街灯が規則的に並んでいるおかげで、深夜帯でも周囲は明るい。そのせいで見えなくなっている星々の輝きは、失われるものとしてはあまりに重い。


 私自身、息が詰まるような仕事の後だ。少なからず疲弊している。


「このまま真っすぐ帰りますが、よろしいですか?」


 距離にすればまだまだ十分あるが、あと二回ほど角を曲がれば千花の家が見えてくる。そんななか、私が千花に投げた問いかけは、ハッキリとした解答のないまま宙に浮いた。


「あー……」


 釈然としないぼやきを発した千花を横目で見やれば、悩んでいることがよく分かる苦い顔がそこにはあった。


 苦々しくとも花のような可憐さはなくならないのが、彼女の魅力の一つだ。


「どこか寄りたいところでもあるのですか?」


「いえ、そういうわけじゃないんですけど…」


 千花は歯切れ悪くそう呟くと、信号に引っかかったのをきっかけにして私の顔を横目にした。


「厚かましいことは重々承知なんですけど、あと少しだけ、ドライブしてもらえませんか?」


「え?ドライブ?」


「はい。夜の街並みとか、運転してもらうのとか、好きなんですよね」


 千花曰く、気分障害の症状が重いときは、眠れるまで母親によく運転してもらっていたとのことだ。その影響か、電車や車といった乗り物が好きになったらしい。


 私はしばし逡巡した。面倒だとか、嫌だとかそういった理由からではない。


 ちらり、とディスプレイの時間に目をやる。時刻はすでに深夜1時。見た目だけなら高校生で通る千花を連れまわしてよい時間帯ではないだろう。


 しかし――…。


「大丈夫ですよ。ぐるりと街を回りましょうか」


 微笑み、丁寧なアクセントで返す。あたかも、何の下心もないかのように。


 千花は私の返答に酷く嬉しそうな顔で応じた。


 彼女はとても優れた人間だ。明らかに知的指数も高く、言語理解や情報の処理も着実である。見た目だって可愛い。スタイルという部分では特筆するべき点はないかもしれないが、そんなもの何の意味もない。薪の代わりに燃やしても構わない代物だ。彼女の魅力を損なおうとするのであれば。


 ただ一点、彼女には明らかな欠点(あえてここではそう形容する)があった。


 それは、一度信じた人間はどこまでも信頼してしまうという点だ。


 それから私と千花は、20分から30分程度、夜の街を車で走った。


 市内中心部から郊外へ。そうたいした時間はかからずに、窓の外を流れる景色は無機質なコンクリートの群れから、郷愁を誘う田園風景へと変わる。


 中心から離れれば離れるほど夜の闇は深くなるが、代わりに星の光は強まった。


 闇の中、ほんの少しだけシルエットが浮かび上がる連山。時たまにすれ違う、目の眩むようなライトを点灯させた車。人気のない民家、地元色の濃い個人商店。


 それらはさほど意味のないものとして窓の外を通り過ぎて行った。車の中で流れる、魂を震わすべく生み出されたロックミュージックと、隣で静かに語らっている千花に比べれば。


 そうして言葉を交わしているうちに、何の拍子だったか、私が丁寧な言葉遣いを失念して何度かやり取りしてしまうことがあった。


 私はその都度、急いで修正していたのだが、千花はそんな私の様子を見てはにかみながらこう言った。


「綺羅星さん、前々から思っていたんですけど、普通にしゃべってもらって大丈夫ですよ?」


「え」私は少しだけ動揺した。実は、そうしたいと私自身も思っていたからだ。「いえ、でも…」


「私が仕事を始められるくらいになるまでは、その、なんて言ったらいいのかな…仕事上の付き合い?だったと思うんです。でも、今は…」


 その続きを求めるように千花が私を横目で見やる。何度見ても、そのオニキスは芸術品じみた光で満ちている。


 こうして彼女に求められて、応えられないなんて苦痛でしかない。


 私は半ば諦めふうに、でも内心、喜びながら口元を綻ばせる。


「友だち、だものね。…でも、いいのかしら、本当に」


「はい。もちろんです。こういうのに憧れていたんです」


「そう」


 胸をくすぐる美しい小鳥のさえずり。それは私の心の制御装置を緩やかに壊していく。


「千花」


 隣で座る千花が驚いているのが、手に取るように分かった。


「…って、呼んでもいいかしら?」


 視線は真っすぐ、夜の闇に注がれている。


 でも…間違いなく、これだけは言える。


 私の心は、真っすぐ千花へと向けられていた瞬間だった。


「はい」


 えへへ、と笑いながら千花が答えたその声に、私は大きく息を吸う。


 もしも、『それはちょっと…』とか、『え、なんか違うっていうか…』とか言われて拒否されたらと思うと不安でいっぱいだったから、とても安心した。


 今はこれで十分だ、と乾いた心が満足しかけていたのも束の間、すぐに千花の言葉で私の考えは変わる。


 さながら、眩しい太陽がどこまでも広がる分厚い暗雲に遮られるかのように。


「夕陽さん」


 紡がれた音と音の繋がりが意味するものに一拍遅れて気がついた後、私の心臓は止まってしまうのではと思うほど強く拍動した。


「…って、私も呼んでいいですか?」


 その数秒後、私の冷たい指先は、千花の温かい手のひらに触れていた。


 そうして、彼女が驚く間もなく、するり、と指と指の隙間に自らのそれを絡める。黒い絵の具が白い絵の具を濁らせるように、静かに、深く、細部まで。


「え、あ、え?」とようやく困惑の声を発し始めた千花。


 彼女の視線が私の顔とつながれた手を行き来する中、私は平然とした口調で問いを投げる。


「この場合、果たして悪いのは誰なのかしら?」


「わ、悪い?え?」


「許可もなく、千花の指に自分の指を絡めてしまった私?」


 興奮で心臓は早鐘を打っていたが、同時に、思考はクリアーでよく回転した。その証拠に、自分の正当性を誇示するための言葉は淀みなく滑り出た。


「――それとも、私のことをバイセクシュアルだと知りながら、こんな夜中まで…しかも、カラオケ店、車内といった密室空間で一緒に過ごすことを選んだ貴方かしら?はたまた、こんな邪な人間と心の距離感を詰めてしまった、警戒心の欠片もない貴方?」


 ゆっくりと、車を路肩に停める。こんな時間に、こんな田舎道だ。今さら誰も通りかかるわけもない。


「あ、あ、あの…きら、ぼしさん」


 千花の困惑がヒシヒシと伝わってくるなか、私は勝手にもムッとして、手に取った千花の右手を口元に寄せ、キスを落とした。


「夕陽さん、でしょう」


 じろり、と少し低い角度から千花を責めるように見つめる。そうすれば、千花は明らかに混乱しながらも顔を真っ赤に染めた――ふうに思えた。夜の闇が、ただ私に都合の良い幻を見せただけなのかもしれない。


 でも、その現実か幻かも分からない一瞬の光は、私をさらに大胆な気分にさせるのには十分すぎるものであった。


「ごめんなさい、びっくりしているのよね、千花。でも、そんな顔も可愛いわ」


 空いた手を、千花の頬に添える。


 あぁ、なんて柔らかいのだろう。ずっと想像していた以上に…。


「ゆ、ゆう、ひ、さん、あの…」


「本当、駄目な大人で申し訳ないと思うけれど、私だってきちんと我慢していたのよ?それに気づくこともなく、私を揺さぶったのは千花のほうだわ」


 桜色の唇は、闇に慣れつつある私の目でも無色に映る。だが、だからといってその魅力が消えることはなく、むしろ、モノクロが品のあるように見える。


 かぶりつきたいと思った。それから、無理やり舌をねじこんで、こぼれる吐息の一息も漏らさず飲み込みたいと思った。


 でも、それはすんでのところで思いとどまる。とどのつまり、私は狡猾で、悪い大人なのだ。どこまでしたら千花の心が確実に離れてしまうかを、相手の反応を見ながら探ることができている。


 私は、千花の黒曜石を覗き込みながら続ける。偉そうな言葉の数々を。


「人を疑わないこと、信じられること、それ自体は美徳だわ。でも、必ずしも正しいことではないと思うの。だって、その美徳が、今、貴方を追い詰めている。そうでしょう?」


 千花は言葉も出ない様子で私を見つめ返していた。


 その輝きに、私は本音を漏らす。


「好きよ、千花。苦境に耐え忍び、強く咲くことのできる、可憐な一輪の花のような貴方のことが好き。抱きしめたい、キスもしたい」


 千花は、落ち着かない様子で何度も短い前髪をかきわけた。気持ち悪がられただろうかと、一瞬、不安の影がよぎるも、遠くから照らしてくる車のヘッドライトの光に当てられた千花の頬が、今度こそ間違いなく赤くなっているのを見て、その影は消えた。

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