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永劫よ、滅びることなかれ  作者: null
四章 永劫の断片
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永劫の断片.1

四章スタートです。


四章で物語は終了なので、最後までご覧頂けると幸いです。

 白のスキニージーンズにボーダーのシャツを着た私は、いつもの改札を目指して歩いていた。


 時刻は集合時間ギリギリ前。デートの待ち合わせであることを鑑みれば、スマートとは言えない行動だが…まぁ、あれだけ色々と言っておいて待ち合わせの数十分前から待っていては格好が悪いだろう。


 普段なら外側で千花を待っている改札を抜け、内側に入る。そうすれば、少し離れたところに立つ千花の姿が見えた。


 薄緑の下地に白い花の柄があしらわれた可愛らしくも優雅なワンピース、その下にはレースが施された肌着を着ているようだった。


 そのうち、私が近づききる前に千花がこちらに気づいた。片手を挙げ、ちょこちょこと走り寄る姿は、今日の可愛らしい服装と相まってたまらないくらい素敵だった。


(か、可愛い…)


 高鳴る鼓動とにやけそうになる口元を誤魔化すべく、私は微笑みながら、出来るだけクールに片手を挙げて応える。


「ごめんなさい、待たせたかしら」


「いえいえ、大丈夫ですよ。行きましょうか」


 そう言うや否やホームへの階段を上り出す千花。少し前を彼女が歩く、珍しい状況だった。


「ワンピース、似合っているわ。やっぱり、千花にはガーリーな服装がよく似合うわね」


「ありがとうございます。夕陽さんって、私がフリルの付いている服とか着ているとよく褒めてくれるので、こういうの、好きかなって思ったんです」


 はにかむ千花のサラサラな髪が、ホームから吹き込んでくる風で揺れる。それを横目にしながら、私は内心、飛び跳ねそうになる気持ちを抑えなければならなかった。


「……それではまるで、私のために着てきたみたいに聞こえてしまうわよ」


 あぁ、何を言っているんだろう。


 違うと言われたら恥ずかしいし、仮に肯定されたとしても、より深みに引きずり込まれるだけではないか。


「え、そうですよ?」案の定、千花は不思議そうに私を見上げる。「今日、デートですよね。夕陽さんとの。じゃあ、夕陽さんのために服も選ぶに決まってるじゃないですかぁ」


「…合理的ね、確かに」


 あえて淡白に応じることで、平静を装う努力をする。


「あ!夕陽さんも素敵な格好ですね。足が長いから、スキニー、よく似合いますよ」


「そ、そう…ありがとう」


 これも淡白…にしたつもりだが…どうだろう。


「あと、夕陽さんは白がよく似合いますね」


「白が?」どこかで違うことを誰かに言われた気がして、思わず問い返す。


「はい。白い服って目立つじゃないですかぁ。どこにいたって、堂々として、輪郭が浮かび上がってる…そんなところが夕陽さんっぽいです」


「……そんなこと、初めて言われたわ」


「ふふっ、やったぁ」


 可愛らしい微笑みから、私はとっさに目を逸らす。あのオニキスを覗き込んでいては、瞬く間に深みに落ちると分かっていたからだ。


 しかし…。


 可愛いフリル、白い肌がうっすら透けて見えるレース、ワンピースの裾から覗く健康的な太もも…これらを自分にために設えたと言われて、嬉しくならない人間など、嘘である。


 我が物にしたい。そういう気持ちがムクムクと膨らむも、私はぎゅっと目を閉じて、その欲望に鉄拳を振り下ろす。


(ダメ…今日で、最後にするのよ)


 自分で決めたことを貫けない人間ほど、見苦しいものはないと私は思う。それと同時に、身勝手な感情で他人を害する人間も見苦しい。


 そういう存在にならないよう…私は、水面に向かうと決めたのだ。


 やがて、私と千花はやって来た電車に乗り込んだ。


 揺れる車窓の向こうには、少しの間平野が広がって見えたが、そう時間が経たないうちにコンクリートに塗り潰された世界へと変わる。


 千花はぼうっと窓の外を見つめているようだった。他の乗客もそこそこいるから、迷惑をかけまいと互いに口をつぐんでいた。


 いや、それは言い訳だ。


 ただ私は千花の横顔に見惚れていた。


 知性煌めく黒々とした瞳に、溺れていただけなのである。


 電車に揺られること30分。それから地下鉄に乗り換え、徒歩数分。どこまでも続くエスカレーターを上がり切ったところで、ようやく原画展をやっている美術館に到着することができた。


「あ、見て下さい。あれ」


 そうして千花が指差すのは、彼女が好きな漫画の主人公の等身大パネル。


 ここで留意してほしいのは、その漫画というのが、20歳そこそこの少女が見るようなきらびやかなものでも、現代的なものでもない、という点である。実際、美術館を訪れている観覧客の多くが中年であった。


 週刊連載されている時期にリアルタイムでその作品を追っていた人のほとんどが故人になっているだろう。そんな作品を愛でる、どこか人とはずれているところも千花の魅力の一つなのだ。


「ちゃんとやってますよ、ほら」


「千花でも、ワクワクしているときは変なことを口走るのね」


「え?はい、私、変人ですもんね」


「ふふっ…そうね、私たちは変人だわ。さあ、行きましょう」


 はしゃぐ千花の背中を軽く押せば、彼女は浮足立って小走りにブースへと向かう。


 こうしていれば、浮世離れしているように見えていた彼女も年相応に感じられる。本当に楽しみにしていたのだろう。だとすれば、今日、この時間に自分の弱さを持ち込んで、湿っぽい顔を続けるのはよすべきだ。


 原画展は、私が思っていた以上に興味深く、楽しかった。正直、原作をほとんど知らない私がこのイベントを楽しめるのか甚だ疑問だったのだが、なかなかどうして、名作というものはちょっとした注釈だけでもその価値が伝わるようにできているらしい。


 初めは千花と一緒に過ごすことだけが目的となっていた私も、いつの間にか、彼女から離れて一人展示物を見て回るようになっていた。そうして時折、気がつかないうちにそばへ寄ってきていた千花が、小声で嬉しそうにシーンの説明なんかするから、2時間近く座ることなく行った観覧も苦痛ではなかった。


 全ての展示物を見終わった後、私は千花がどのお土産を購入するか悩んでいる間にベンチへと腰かけ、ぼうっと薄暗い暖色の照明を見つめていた。


(疲れたけれど…やっぱり、楽しいわね)


 程よい疲労感と、価値あるものに触れたという充実感。それは彼女と一緒だったからか、そうではないのか。


「お待たせしました」


 ブース限定の紙袋を手に持った千花が私に声をかける。あどけない微笑みが、今日はいつもより眩しく感じられる。


「満足いく買い物はできたかしら?」


「あ、はい。夕陽さんも、楽しかったですか?」


「一世紀近い時にさらされても風化しないものね、名作って」


 深く頷いて笑ってみせれば、千花も安堵したように笑う。


「はい!たぶん、こういうのが不朽の名作って言うんですよね」


「ええ、そうね」


(朽ちることのない輝き…それは、形のないものでも宿るのかしら…)


 永遠の愛、なんてものが頭をよぎったから、私は慌ててそれを振り払う。そして、どの展示物が良かっただとか、こういう台詞に感銘を受けただとかを千花に説明した。そうすれば、よりいっそう千花は嬉しそうに表情を明るくした。


 余韻と共に来た道を引き返していく。地下鉄、電車――と移動している道中、窓の外から差し込んでくる西日に私が目を細めていると、隣に座った千花が小声で尋ねてくる。


「この後、どうしますか?」


 時刻は15時。昼食には遅すぎるかもしれないが、お腹はだいぶ空いていた。


「昼食にしましょう。どこか行きたいところはある?」


 私の問いかけに、千花は駅近くの喫茶店に行きたいと答えた。私もよく前を通るが、落ち着いている内装が気になっていたので快諾する。


 降車駅に到着してから、歩くこと5分。千花を先頭にして入った店内は、イメージ通り物静かで大人びた雰囲気に満ちていた。


「ここ、お気に入りのお店になりそうです」


 端の席にかけた千花がぼそぼそと私に呟きかける。その様子はとても愛らしかったが、今日という美しくも儚い一日が、日が沈むように終わろうとしているのに様子が変わらないから、私はいくらかの不満を覚えずにはいられなかった。


 とはいえ、その不満を表に出すわけにはいかない。そういう見苦しいことをしたくなくて、私は彼女から離れることを選んだのだから。


「それは良かったわね」


 私はどうということはない、といった面持ちでサンドイッチを頬張ると、そっと千花から視線を外した。窓の外の行き交う人々を見ているフリが、上手にできているだろうか?


 いつもと同じ顔で、いつもと同じ他愛もない話を繰り返す。


 これが、少し前までは自分でもびっくりするほど幸せだった。久と言葉を交わす以上の充足を得られていたほどに。


 でも、やっぱり今日は違う。


 千花に対して、正の感情を抱くほどに、反動で負の感情が襲ってくる。


 どれだけ可愛かろうと、彼女は違う人間の元へ行く運命にあるのだ。そしてそれを納得できていなければ、この関係は続けられない。少なくとも、どちらも傷つかずには。


(――帰ったほうがいいわね…。ここに救いはないわ)


 そっと、ため息を一つこぼす。そうして、私が千花に区切りの言葉を切り出そうとしていた、そのときだった。


 一瞬だけ千花の携帯のバイブレーションが鳴り、彼女が画面を確認する。千花は画面を見つめたままで、「あー…」と小さくぼやいた後、少しの間、携帯を操作してメッセージを返している素振りをみせた。


 なんとなく、嫌な予感がした。虫の知らせとでも言うのか。


「千花」


 聞くな。


 どうせ、私に良い影響なんて一つもないのだ。


「どうしたの?」


 知ろうとするな。


 言っただろう。ここに救いはないと。


「え、あー…」


 千花の視線がそっと逸れた。それだけで、私は何が起きているのかを察した。


 心を落ち着かせるべく、コーヒーを口に含む。でも、勝手にその先の言葉が飛び出てしまう。


「小川君ね」


 違うと言ってくれ。


 嘘でもいい。


 こんな深い場所にまで来ているのに、逃げ場を奪わないでくれ。


「――はい。月末に予定していたお食事のことで連絡がありました」




 ガチャン。


 振り下ろす鉄槌のように、コーヒーカップはソーサーとぶつかって大きな音を立てた。


 千花の瞳が驚きで見開かれる。その様子を見て、少しだけ胸が晴れた私は、酷く醜い人間なのだろう。


 だが、それだけでは十分ではなかった。心臓の鼓動は未だ小走りでビートを刻み、こめかみは苛立ちからドクドクと脈動していた。


「ああそう、よかったわね」


「あの、夕陽さ――」


「私、そろそろ帰るわ。どうぞ、小川君との連絡を続けなさい」


「え、えっと…」


 千花は無言で荷物を片づけ、お代を用意し始めた私を不安そうな目で見つめており、どう声をかけたらいいか分からない様子であった。一方で私は、その困惑をしっかり感じ取りながら一秒でも早くこの場から去ることばかり考えていた。


 ここに留まれば、確実に余計なことを口走る。


 鞘から抜き放たれた白刃は、間違いなく触れるものを傷つけるだろう。


 そうなる前に、一刻も早く…!


 しかし、肝心の千花がそれを許さない。


「あの、小川さんには返信したので、まだ夕陽さんと一緒にいたいです」


 小川さん、という言葉が私の激情に薪をくべる。


「そんなに彼に会いたければ、そっちと一緒に過ごせばいいでしょう」


「あ…」


 じろり、と千花を睨みつける。こんな感情、本当は彼女に向けたくなかったのに。


「そもそも、私は彼と貴方のやり取りを見ていられないと思ったから、離れるという選択を取ったのよ?そんな私の目の前で、彼とメッセージのやり取りなんてする?普通。千花には、私の気持ちなんて微塵も理解できないのでしょうね。きっと私が傷つこうと、たいしたことではないのよ。だから、こういう真似ができてしまう」


 言葉の弾丸を浴びせかければ、当然、千花も段々と元気を失い、俯いてしまった。鬱々とした精神病質的な黒い暗雲がその頭上に立ち込める。


 私はというと、たっぷり一分間ほどはその姿を鼻息荒く眺めていられたのだが、そのうち、あぁ、やってしまった、と大きな後悔を覚えて額に手をやることとなった。


 恐れていた事態が起きた。不合理で、何の正当性もない怒りを千花にぶつけてしまった。


 私は深いため息を吐きながら、もう片方の手も額に当てながら俯く。


「はぁ……ごめんなさい。貴方は悪くないわ。私が、自分の情動をコントロールできていないのよ。……でもね、こうなってしまうから、ちゃんと、私のほうから離れようって言ったのよ…?それを千花が引き留めるから…」


 結局、責めるような言葉を口にしてしまった私が自己嫌悪に陥っていると、俯いていた千花がわずかに身じろぎした。


 その拍子に、私も自然と顔を上げる。


 あの黒い瞳が、知性をまとう黒曜が、私を真っすぐ覗き込んでいた。


 まだ力にみなぎっている。出会ったあの頃にはなかった活力が、彼女の中に渦巻いているのがはっきりと感じられた。


「夕陽さん」


「……なに」


 バッグを肩にかけたまま、立つに立てない状態のまま私は答えれば、千花はゆっくりと、滑舌よくこう尋ねた。


「夕陽さんは、もう私のこと好きじゃないんですか?」


 私の芯を貫く問いかけに息が詰まる。


 この問いに答えるのは至難の業だった。たとえ、自分の中で問いに対する答えが明確に存在していようとも。


 答えあぐねている私に、千花が先ほどと同じように一音、一音、噛みしめるみたいに告げる。


「私は、夕陽さんのこと好きです。私みたいにノロノロした人間でも、今すぐ言葉にできるくらいに、鮮明に、私は貴方が好きです」


「千花…」


 お世辞とか空気の読み合いといった曖昧なやり取りが苦手で、情報を正確に処理してからじゃないとアウトプットできない千花がこう言うのだ。この言葉に嘘偽りはない。


 でも、だからこそ苦しいのだ。


 それが真実だとして、一体、何の慰めになるだろうか?


 私は既婚者で、彼女はいつか離れ行く人間である。


 その事実を変えることはできないのに?


 私の迷いなど眼中にない千花は、真っすぐな瞳で私を貫く。


「夕陽さん、教えて下さい。私のこと、好きじゃないですか?」


 初めは嘘を吐こうと思った。そうするほうが、最終的な痛みは少ないと思ったから。


 でも、それをしようとしたら胸が痛み、息ができなくなった。


 水圧だ。


 すさまじい水圧が、私を捉えて逃がさない。


 今さら虚飾などでは、私を縛る鎖は断ち切れないらしい。気がつけば、私は千花に自分の思いの丈を静かに伝えていた。


「……好きよ…当たり前じゃない」


 蓋をしようとしていた想いのせいで目頭が熱くなってしまうから、私はとてもではないが顔を上げられなくなって、千花からの審判の言葉を待つ。


 もう、何を言われても彼女に従うほかない。もはや奴隷や畜生と変わりないくらいに、私は千花に恋をしているのだ。


 やがて、千花はそっと唇を動かした。


 詩を謳うように、あるいは、いつか私が彼女にしたみたいに、愛をもって唇を食むように。


「まだ、帰りたくないですよぉ…夕陽さん。一緒にいましょう?」


 甘い、甘い声。


 すでに学習しているのだ。この声に私が弱いことを。


「今日は、独り占めするって決めているんです。だから夕陽さんも、私を独り占めにして下さい。ね?」

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