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『虐殺機関』『ハーモニー』の評論会(後編 エルの視点、エヌの視点)

 ややあって、エルが鼻を鳴らした。

「……ま、俺は嫌いじゃないけどな。滅茶苦茶な終わり方ってのはさ。この世界の残酷さを、きっちり見せつけてくれる。そういうラストは好物だよ」

 椅子の背に身を預け、足を組みながら続ける。

「でもな――あえて言わせてもらうけど、“哲学”が強すぎるんだよ、これは。キャラの口から出る言葉が、まるで作者の説教。会話じゃない、演説だ」

 アールが少し眉をひそめるのを見て、構わずエルは続けた。

「言いたいことはわかるよ。世界観も構造も作り込まれてる。けど、そのぶん“説明”がとにかく多い。説明、説明、説明。読者がどこまで着いてこられるか、まるで試されてる気分になる。正直、疲れるんだよ」

「……読者を選ぶ、という意味ではたしかにそうですね」

 アールが少しだけ頷いた。

「しかもな」

 エルの目が細くなる。

「登場人物の喋り方も妙だ。誰もが自分の思想を完璧に言葉にするなんて、現実じゃありえない。まるで登場人物全員が作者の代弁者だ。そういう“作られた会話”に苦手意識を持つやつも多いと思うぜ」

「でも、それって……物語の中の人たちが、すごく頭の中で話してるってことだよね」

 エヌがぽつりと呟く。

「ぼくは……なんだか、それがきれいだなって思っちゃった。みんな、考えて考えて……それを言葉にしてる感じがしたから」

「そりゃまあ、お前はそう言うだろうさ」

 エルは肩をすくめた。

 だが、さらに苛立ちを込めて言葉を重ねる。

「それにしてもな……虐殺機関の主人公は、軍務に就くにはメンタルが弱過ぎるんだよ。あんな人物に、要職なんか任せるか? それに――」

 彼は皮肉気に笑った。

「いい歳した男が、“ぼく”なんて一人称で内省してるのも、正直キモい」

 ピシリ、と乾いた音がした。

 アイが本を閉じた音だった。

 表情は変わらないが、声にはわずかな熱があった。

「その“未熟さ”こそが、物語の重要な鍵よ」

 エルが少し驚いたように目を細める。アイは静かに続けた。

「たしかに、あの主人公はどこか幼く、達観しているようで危うい。その冷静さは、戦場に適応するために感情を鈍麻させるという、あの作中世界のテクノロジーによるものよ。

 けれど、本来“戦場”というのは、どうしようもない世界で個人を成熟させる場所のはず。それが出来ない人間は本来、辞めてしまうわ。あるいは、生き残れないのよ。」

 エルは黙ったままだ。アイは言葉を畳みかける。

「それなのに、テクノロジーのせいで彼は戦場に居続けた。その結果、静かに彼は壊れていたのよ。でも、それを“自覚”しながらなお、理性で最後まで命令を遂行しようとした。その無理と無様が、あの投げやりな終幕へと繋がっていく」

 しばしの沈黙が降りる。雨音が遠く、また近く響いていた。

 しばらく黙っていたエルが、ページの端をつまみながら口を開いた。

「……でもやっぱり、最後の行動には疑問が残る」

 彼の声は、先ほどまでの毒気よりも、いくらか低く抑えられていた。

「主人公も、悪役も。どちらの“決断”にも、説得力が足りない。思想はあるし論理もある。だけど、それが“物語”として説き伏せられているかというと――やや弱い」

 アールが少しだけ顔を傾ける。

 エルは言葉を続けた。

「たとえば『虐殺器官』の悪役がやってること――あれって、“他国で戦争を起こさせることで、自国を守る”っていう作中のロジックに乗っ取った行動なんだけど、現実には逆じゃないか?

 戦争が起これば、世界はより一層壊れる。秩序も人も。その余波は自国にも来るはずだ、それはこの世界の歴史から考えてもそうだと思う」

「……たしかに」

 アイが小さく頷いた。エルは、意外そうに目を細めたが、彼女は言葉を続けた。

「作中の世界観ではそれが成立しているように描かれてはいるけれど、現実的な感覚で見れば、矛盾もある。説明も……不足していたわね」

 エルはわずかに口元を吊り上げた。

「だろ? どこか“作者の恨み”が先に立ってる感じがするんだよ」

「恨み?」

 エヌが目をぱちくりとさせる。

「そう。世界への不信、怒り、絶望。社会やシステム、もっと言えば“人間”そのものに対する諦め……そんな“気配”がある。

 それが作品の結末を破滅的に引っ張ってるような気がしてさ。理屈じゃなく、感情が暴れてる感じ。無理のある展開になってたのは、きっとそこだ」

 アールは少し考えてから言った。

「でも……その“暴れた感情”も、また物語の一部だとは思います。もし、それが抑制されていたら――今みたいに、議論にならなかったかもしれませんし、ここまで余韻のある作品になっていなかったかもしれません」

「とはいえ、“虐殺文法”っていう中核アイデアがあるなら、もっとそこに焦点を当ててもよかったよな」

 エルは指で机を軽く叩いた。

「物語の中心に置かれているはずなのに、扱いがマクガフィン的っていうか……お前ら、この設定を面白がるだけで終わらせるのか? って感じはした。せっかく、アイデア的には面白いのに」

「設定って、使い切るものなのかな……」

 エヌが、ふと呟いた。

 皆の視線が彼に向く。

「うまく言えないけど……たとえば、“使わなかった設定”があるから、物語の外側を想像できることもあると思う。

 “虐殺文法”って、ぼくには……ぜんぶを説明しないことで、ずっと怖かった」

 その言葉に、アイがほんの少しだけ微笑した。

「余白は、物語の中でもっとも力を持つ領域よ。たとえ説明がなくても、そこに“想像する余地”があれば、人は読み続ける」

 そして、そっと言葉を締める。

「でも、確かに。エルの言う通り、“論理の不整合”や“説得力の弱さ”が読者を遠ざけることもある。

 それが今回、作品の中に残っていたのは事実ね」

 沈黙。

 けれど、その静けさには否定ではなく、思索が満ちていた。

 雨音が、天井をやさしく叩く。

 評論は、いつしか“作品の骨の奥”まで届き、そこから戻るための言葉を探しているようだった。

 談話室には一瞬、言葉が途切れた静けさが満ちていた。

 エルの辛辣な指摘と、アイの冷静な補足。アールの調停。

 それらをゆっくりと受け止めたあとで――エヌは、両手でマグカップを包み込むように持ったまま、小さな声で言った。

「……すごく、こわい作品だった」

 皆がふと、彼に目を向ける。

 エヌは、机の端で、雨の音を聞くようにして呟く。

「読んでいて、ずっと陰鬱で……でも、それが怒鳴るでも泣くでもなくて、淡々としていて……それが、もっと、こわかった」

 彼の声は震えてはいない。ただ、どこか深く染み込むように静かだった。

「……僕は、世界が秩序に……「より善く」なることは良いことだと思ってたんだ。でも、この物語を見て、ちょっと怖くなった。この世の中が、ほんとうにこんなふうになっていくのかなって、思っちゃった」

 その言葉に、アイの目がすこし細まる。

 アールは、微かに肩をすくめるように、ゆっくりと息を吐いた。

「“漂白された世界”……作者なりの、突き詰めた答えだったんだと思う。

 人が、“正しさ”とか“秩序”とか“社会的な幸福”っていうのを、とことん追い求めた先の、答え……」

 そう言って、エヌは少しだけ目を伏せた。

「でも……その先の“次の答え”が、なかったんだ」

「次の……?」

 アールが静かに訊き返すと、エヌはうん、と頷いた。

「この世界が、こんなふうに“正しく”なりすぎたあとに……それでも、ぼくらがどう生きるか。

 それが……見たかった。

 たぶん――作者も、本当はそれを知りたかったんじゃないかなって思った」

 誰もすぐには口を挟まなかった。

 雨の音が、また少しだけ強くなったように感じられた。

「……つまり」

 アイが静かに言葉を受け取る。

「この作品は、“結末”を示すための物語じゃなくて――“問い”を残すための物語だった、ということね」

「……うん」

 エヌは目を上げて、淡い笑みを浮かべる。

「だからこわいし、きれいだった。……自分たちが、世界をどうしたいのか、考えさせられた」

「……それは、きっと作品として最も誠実な姿だと思う」

 アールの言葉に、アイがうなずく。

「問いを投げ、余白を残す――それが創作の、もっとも難しく、もっとも強い手法よ」

 そして、アイは立ち上がった。

「……さて。今日の評論は、ここまでにしましょうか」

 彼女が端末を操作すると、テーブルの中央に置かれた魔導印刷機が、かすかな音を立てて動き出した。

 印刷された一枚一枚に、評論の断片が淡く綴られていく。

「いつものように、まとめておくわ。“漂流作品評論録 第94巻”として」

「そんなにやってたんですか……」

 アールが目を丸くする。

「“ぼくが来てからは”十冊目くらいかな?」

 エヌが笑う。

「はいはい、よく飽きないね、あんたら」

 エルがあくび混じりに椅子を蹴った。

 そのやり取りを、壁際にいた男がゆっくりと見守っていた。

 ――グレン。

 かつてアイと同じ宮廷図書館に勤めていた、彼女の同僚。

 今では王立知識院の幹部とも言える地位にあり、今日ここを訪れたのも、半ば“連れ戻す”つもりだった。

 だが、目の前の光景を見て――その考えは、静かに崩れていた。

 若者たちが、言葉を交わし、作品について真剣に語り合い、それでもなお余白を残して物語を閉じるこの場――

 それは、図書館の重苦しい沈黙でもなければ、討論会のような知識競争でもない。

 もっと自由で、もっと開かれていて、もっとあたたかい。

 言葉にしなくても、誰かの言葉に寄り添い、思索し、自分の内側に戻っていく。

 まさに、“サロン”だった。

 グレンは、軽く息を吐き、ぽつりと呟いた。

「……素晴らしい空間だ、アイ」

 アイがゆるく振り返る。

 グレンは穏やかな微笑みを浮かべたまま、淡々と続けた。

「君が、こんなにも自然な顔をして、人と作品の間を渡ってるのを見るのは、たぶん初めてだ」

 彼の声には、嫉妬でも懐古でもない、まっすぐな敬意があった。

「俺たちは、“正しさ”や“体系”を築こうとしていた。でも君は、“自由な思索の場”を育てていたんだな。

 ここは、ただの評論の場じゃない。

 作品の命と、読む者の心が、ちゃんと対話してる。それが、ここにはある」

 アイは目を細めて、肩をすくめる。

「……お褒めにあずかるのは慣れてないわ。特に、あなたからなんて」

 けれどその声には、少しだけ照れたような響きがあった。

 「じゃあ、もう言わないさ」

 グレンは肩を竦めて笑う。

 「連れ帰るつもりだったけど……やめておくよ。君はもう、自分の“図書館”を持ってるんだな」

 それを聞いたアールが、小さく目を見開いた。

 エヌは、嬉しそうににこりと微笑む。

 エルは――鼻を鳴らしただけだったが、その頬の角度はどこか満足げだった。

 印刷機が最後の一枚を吐き出す音が響く。

 薄く灯る魔導ランプの下、その一枚に記されたタイトルはこうだった。

 『漂流作品評論録 第94巻:『虐殺器官』『ハーモニー』~意識という亡霊~』

 静かなサロンの一室には、読書とそして評論会の余韻。

 部屋の隅には、まだ読みかけの本と、答えきれない問いと、

 そして雨音とAriaの旋律が、静かに流れていた。


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