4 とんぼ
「あやめちゃん。こっちで寝れ」
おばあちゃんは布団を押入れから出して、居間を通り過ぎる。
「ありがとう。おばあちゃんの部屋で寝てもいいよ」
おばあちゃんは嬉しそうに笑った。私は柄にもない事を言ったと口籠った。かあさんには、言わない言葉だ。
「いや、いや。ばあちゃんは嬉しいだべ。あやめちゃんはやすこに似てない。ホントにいい子だべ。娘達にも言われた事ないべ」
「おばさん達も、かあさんみたいな人達だったの? 」
おばあちゃんはまた、ガハハと笑った。
やはり私の血族は皆血縁に厳しい人らしい。だが、おばあちゃんの性格には嫌味がなかった。ふと、誰の血だろうと思った。やはりおじいちゃんの血だろうか。
「やすこは末っ子だで、まだ、マシさね。長女達に比べたら優しい方だべ。」
「親子って難しいね……。」
「血が通ってる分、難しいさね。まあ、仕方ないべ。」
布団を客間に敷くと、襖を開け放った。居間から見えるが、開けておくと開放感が凄かった。
少し白檀の匂いがした。
「ほれ、好きなとんぼだべ。夏なのに珍しかね。」
おばあちゃんは虫籠の蜻蛉を見せた。コタツテーブルの上に載せる。
あやめは数歩のけ反った。
「私、虫、ダメ」
呆けた顔をしたおばあちゃんは、蜻蛉を見た。赤とんぼは大きな目を傾けて合図する。
「赤ちゃんの頃は喜んだけど、年頃だべな。」
おばあちゃんは寂しそうに虫籠を、あやめの見えない場所へ移動した。
「夜目では可哀想だべ。明日朝にでも返してやるべ。あやめちゃんに見せたら返そうと思ってたべな」
おばあちゃんは独り言を言いながら、あやめの近くに腰を下ろした。
「あやめちゃん、お風呂どうするべ?釜がやられてるだべ。シャワーも水しか出ないべ。」
「えっ? 」
「盥にお湯ば張るべ。夏だからばっちゃんは水で入ってるだべ」
「こっち、冬は氷点下になるでしょ?どうやってたの? 」
「盥ば熱湯入れて拭いてたべ。戦時中は湯すらなかったべ。当時はもったえなくて湯ば捨てられなかったべ」
「給湯器直したら? 」
「やすこに迷惑は掛けらんね」
あやめは黙った。お金の事になるとおばあちゃんは血縁を頼らない。今の時代の私には分からなかった。その上、かあさんはおばあちゃんを嫌っている。この年で介護もされず良く生きていると思う。
「おばあちゃん。一回、かあさん呼んで現状を見てもらった方がいいよ。年齢的に一人でいる方が危ないよ」
「あやめちゃん。ばっちゃんは一人でいるのがいいべ。体が動かなくなったら話すべ。だから、まだ一人がいいべ。あやめちゃんが来てくれた事だけで嬉しいべよ」
二人は黙った。
おばあちゃんの気持ちは良く分かる。
かあさんの性格だとグチグチ言い出すに決まっている。
腰の曲がったおばあちゃんの姿は、痛々しい。
「生活には困ってねえ。だから大丈夫だべ。数日いてみろ。ばっちゃんが元気なんがわかるべ」
「う〜ん」
あやめの口から空気がもれた。
かあさんにメールで相談しようと思った。仕事もあるし、直ぐには群馬に来ないだろうし……。
「明日、昼に水でシャワー浴びるよ。大丈夫」
おばあちゃんは、ほっとした顔をした。
「分かったべ」
あやめが布団に入って眠りに着くまで時間が掛かった。そば殻の枕と重い綿の掛け布団に圧迫されながら……。
夢をみた。
また懐かしい面差しの少年に出会う。