29 戦国時代十八 反物
さよりの体力回復には時間が掛かった。
1日の殆どを寝て過ごし、厠へは付き添って行き、行水も出来ず体を拭いた。さよりではない人のようであった。
あやめはさよりに合わせるかのように動き、片時も離れなかった。あやめなりの心配をしている。
「どうしただか?さよりは?」
「分からないべ。あんなに元気な子だったのに……」
叔父たちは大根畑を作りながら、さよりを心配した。大根が成長しても、さよりの様態は変化しなかった。
時間が流れ、冬支度も終わり、叔父たちがあやめの家に滞在するようになってから、数週間が経っていた。
叔父たちがヒソヒソと話をしているのを見てあやめは嫌な気持ちになった。だが、何を相談しているのかも分からない。嫌な予感だけはしていた。
ある時、叔父たちに呼び出され、あやめはさよりから離れた場所で話をする事となった。
「さよりが寝てる間に手短に話すべ」
あやめは正座をして真正面に座った。
「なんだべか……」
叔父の一人が困った顔をした。
「さよりの事だべが……」
歯切れが悪い。
「沼田のばっちゃんの直系がさよりだべ。あやめは貰われっ子だべな……。そいで、沼田の小作の畑を継ぐのは、直系の子孫だべ。代々親が子に継いできたものだべ。弥彦を婿入れしていいだべが、ばっちゃんの子孫の方が良いべ。あやめ分かるか?」
あやめはゆっくりと頷いた。
ああ、やはりか……。又、拾われっ子の自分が得られる物など無いのだと痛感する。どんどん血が下に下がって行くのが分かった。
「さよりと弥彦を添わせる……。いいだべか……。さよりが良くなるまで、あやめはこの家にいていいだべ。もし良かったらさよりのお産の手伝いばしょれ。いいか?」
あやめはゆっくりと頷いた。
好いた人とも添い遂げられない。好きな人と他の誰かが幸せになる様を近くで見ないとならない。居て良いのはさよりを助ける為だけに手伝いとしている。
「ふっふふ」
あやめは鼻で笑った。
滑稽な自分が可笑しかった。
弥彦すら居なくなってしまった。
「あーあ」
あやめは立ち上がると、さよりの顔を見に行った。
健やかに眠っている姿を見て奥歯を噛み締めた。
そんな折、弥彦用の袴と留袖用の反物が渡される。祝言までに縫わなくてはならない。あやめは夜通し縫っては間に合わせるしかなかった。行灯に貴重な油を差しては、作り事をしていた。
あやめの利き腕にはさよりの手首に括られた、腰ひもが伸びている。腰ひもの繋がれた範囲しか行き来は出来ないが、さよりの事を思うと安全策なのである。
さよりは弥彦の叔父たちを怖がったのだ。男と云う者を怖がっていると直ぐに分かった。あやめはその怖さを痛いほど分かっていた。
「大丈夫。大丈夫……」とあやめが抱きしめてさよりの背中をさすると落ち着きを取り戻す。そして又眠りに付くのだった。
さよりが不憫でならなかった。こんなになっても弥彦と夫婦にさせられなくてはならない。
弥彦にも辛い選択だろう。
帯を縫っていて、誤って針を指に刺した。思ったよりも深く血が滴ってくる。
あやめは咄嗟にさよりとの腰ひもを解き、裸足で土間を降り、家から外へ飛び出した。
庭に出ると、そこいらの草を手当たり次第、根っこごと引き抜いた。何本も何本も引き抜いては投げ、引き抜いては投げた。湿った土になると地面にを拳で殴り出した。
「うわああああ……ん」
あやめの頬を涙が幾度となく伝った。
何故、こんな身の上なのだ。私が何をしたのだ。あやめは自問自答した。答えは出ない。
大声で泣くと地上で一人だけな気がしてきた。
元から弥彦など居なかったのだ。気に掛けてくれる人などいなかったのだ。あやめは一人だ。
一頻り涙を流すと、あやめは膝を抱えた。
諦めるしかない。息が出来ないが、喉元を過ぎれば忘れる。弥彦の事も……。隣で笑う自分の事も……。
鈴虫の羽音がしなくなる。
近くで馬の鳴き声がする。
「あやめ。なんをしちゅうがか?」
手綱を引いた弥彦が甲冑の侭、立っていた。
あやめの姿を見ると、急いで土間に馬を繋げる。慌てて家から出ると、あやめに近づいた。
「あやめ、何があった?」
弥彦の心配する瞳に安堵感を覚えながら、あやめは縋り付いた。
「弥彦とさよりの祝言が決まっただ」
弥彦が面を食らっている。
「はあ?なしてそうなる?おらは末っ子だべ。沼田の相続には関係ねえ。どこかに婿に出さるだけマシかも知らねえべ……。でも、嫁さ貰うなら、自分で選べる立場だべ?どっかの土地ば開いて、家を建てるのが筋っうもんだ。でさよりは生き残ったんだべな?」
「弥彦を婿に入れて沼田を相続させたいんだべ。渋川の叔父たちはそう云ってたべ。直系のさよりが生きてたから……」
「おらにはあやめが居るべ……」
弥彦が真っ直ぐな瞳で見詰めてくる。
「だから、矢沢様に従ってるべ。武功を上げれば、土地を貰えるかも知れないべ。」
「その誉れ高き弥彦にさよりば嫁に出させるんだと……」
「親が決めた縁談なら断るのは恥だべ……。たが、叔父たちが勝手に決めたのなら話は違うべ。誰も納得ばしないべ」
「もう祝言の段取りば決まってる……。当日には渋川のばっちゃんたちも来るみだいだべ……」
弥彦が嫌な顔をした。
その時だった。年長の叔父たちの一人が家から出て来た。
「あやめが口出す事じゃなか。この地は沼田のばっちゃんの土地だべ。」
「ならば、婿に入れるば、おらじゃなきゃ駄目じゃなか……。おらはあやめと所帯を持つ為に、足軽ばやっとる」
「もう、決めた事だべ。さよりと所帯を持て!あやめはさよりの世話をさせる為に家に置けばよか!」
「それではあやめが可哀想だべ。おらの嫁はあやめだけだべ!」
「あやめば納得してる!」
二人の視線があやめに向いた。あやめは感情的に叫んだ。
「私は弥彦と夫婦になりたいべ!さよりの世話はやく。今まで通りでよか!でも、弥彦とさよりが添い遂げるのを見るのは嫌だべ!」
叔父の顔色が変わった。
「今更だべ!祝言は弥彦とさよりであげると親戚に伝えてあるべ!嫁が変わった等と誰が言えるか!」
「おらはあやめしか嫁に貰うつもりはなか!」
弥彦が怒鳴った。
「なら祝言は白紙に戻すべ!おじぎたちには悪いが、おらの嫁はあやめだべ!これから先は矢沢様の側に付き添い、行動を共にするべ!あやめ。待ってろ。おらを信じて!」
弥彦は馬を連れ出し跨がった。
「必ず白紙にしてやるべ!」
あやめは強く頷いた。
他の叔父たちが家から出てくると、去ってゆく弥彦を見て呆れていた。
「困ったべ。弥彦があんなに意固地になる何て……」
「あやめが悪いべ。家に置いてやるだけ有り難いと思うべきだべ!」
「弥彦が嫌がっても無駄だべ……。夫婦になるには親の承諾が必要だべ……」
叔父たちは口々に呟いたが、あやめは無視する事に決めた。
着物を脱ぎ襦袢になって呉座に横たわった。
弥彦を信じる。この時代に親族の方針を覆すのがどんなに困難か分かっていた。だが、あやめは弥彦の本心を聞いて揺るがない事に決めた。




