14 戦国時代五
弥彦が唸っている。
矢沢の手の内が読めなくて、彼は上記の行動に出ているのだ。だが、敵武将の読み等分かる筈なく奥歯を噛み締めた。
まだ、誰も来ない。三人だけ残された状態のままだった。
あやめは話し掛けたくとも、話せない雰囲気の矢沢に苦虫をすり潰した顔をしている。おなごのあやめでは時代背景が分からない。彼女が知っているのは沼田の畑だけだからだ。女の井戸端にも馴染めないから余計である。
説明が欲しいし……命が掛かってるなら尚更、あやめは思った。
「城主様じゃなかったべ……、次来るのは誰だべ」
弥彦が矢沢に向かって声を出した。
「直ぐに殺しに来ないと言う事は交渉したいのだろう……、十中八九、俺の顔を知る人物が来る……」
「で、そいつは沼田の敵だべか?」
「沼田を守ってる者だ」
「滝川様ではなかったべ?段々腹が立ってきた……」
沼田城は滝川が守ってると村人は思っていたのだから仕方がない。まるたてもっこうの旗が棚引いている。
「名を語るとは恥を知れ。先祖に悪いとは思わなんだべか?」
弥彦が普通の喋り方すぎて、あやめは微笑んだ。
「人の気配がしないと弥彦は話すのだな……」
「沼田を戦場にする為に真田が攻めて来ると聞いたべ。で、矢沢様が来た。武田の使者として……で、これからどうするべ?」
「信玄公が死んだ。3年は内密にするようお達しが出てるが、感のいい織田が動き出す。私は武田信玄の嫡子に着く」
「だから織田の家臣、滝川の支配下に沼田を置こうとしているのたべ!」
「偽装か名を偽るだけでも武士の名汚れ。誰が出てきても志はないものと思え……」
咄嗟に弥彦が槍を握った。
「来る……」
あやめが立ち上がって、張りの隅に寄ろうとしたが、矢沢が振り返って手を掴んだ。
ガシャリと音をたてて、矢沢が首を横に振った。
「まだだ。まだ動くな。相手は一人だ」
あやめは震えながら頷くと、跪坐に戻った。
その様子を見た弥彦が槍を地面に置いた。
「勝算は?」
「五分五分だ。だが、滝川でないなら此方に部がある」
摺り足で登場した男は質素な袴を履いていた。三人は長い廊下を黙って見ている。
弥彦が変な顔をしていた。顔を見た事があるのだ。直ぐに馬当番をしている人物を思い出した。
「おめえ、馬小屋にいた武士でねえべか……」
男は3人の上座に座る。態度は弥彦の知り合いとは思えない程の堂々とした振る舞いだった。
「弥彦、私は藤田信吉と申す。身分を偽り滝川様の指示の元、沼田を治めている。沼田を取り返そうと北条氏の戦で領民も領地も疲弊してしまっている。」
「お久しゅう。藤田殿。武田軍配下 矢沢頼綱で御座いまする。助太刀として矢沢に軍を引き北条と戦わせてはくれぬか?」
矢沢が言い終わらない時に、弥彦が立ち上がった。
「待った!何故、藤田様は城主なのに滝川様を名乗っておいでだへか!みんな御旗の元団結してるだべ。それをなかった事には出来ねえだべ」
藤田が顔を強張らせた。
「織田の配下でないと北条氏が又戦を挑んでくる。沼田回りで戦が多いのはその為。その間田畑は荒れ、米も収穫出来ない。藤田様は米を上納して織田の名前を使っているのだ」
矢沢が弥彦に答えた。
「明日の敵は味方やもしれぬ時代。土地が衰えれば民も減り、軍も成り立たぬ。名誉だけでは城は守れぬ。弥彦、察しろ」
弥彦は頷いて座った。
「矢沢様が沼田軍を率いるとはどう言う事だべ」
「城の上から見える景色で変わった事は?」
矢沢が藤田に問う。
「昨夜にて山を見渡した所に新しい城を建てた。山肌に見える筈だ。そこに藤田様は移り、沼田場を明け渡して頂きたく願い出た。一山しか越えていない場所ゆえ沼田を背後から守って頂きたい。」
藤田が黙った。
城が一夜で建つはずは無い。藤田も異変には気が付いていたようだ。だが、沼田を監視する為の城にも思えた。
「私がその城に下がる条件が、矢沢様が両軍を率いると言う事で宜しいか?」
矢沢は頷いた。目の上のたん瘤である北条氏を抑え込む役割を矢沢がしてくれる。
「藤田様に織田に上納していただけの米も納める。ならばどうだ……。滝川には私を通して文を使わす。織田も黙ってはいないだろうが……、最善は尽くす」
藤田は黙って頷いた。
矢沢が背筋を伸ばす。
「弥彦!」
弥彦が矢沢の足元に躙り寄る。あやめに槍を転がすのを忘れない。
「待機している兵に、この文を渡せ。矢沢の短刀を持たす。これを持つ者、矢沢の意志を継ぐ者とみなす。さよりの元へ急げ」
弥彦は文を甲冑の胸ぐらに差し込み、短刀を握っりしめ廊下を駆け出した。あやめの横顔を確認してから走り去る。
矢沢とあやめは弥彦の後ろ姿を見た。