13 戦国時代五 下郎
まだ城内は戦中の雰囲気ではない。城下町を通って来たが青田刈りの農夫達が野良仕事を終えたばかりだった。
城に入るとあやめ達は沼田城の表御殿に通された。
全身甲冑姿の矢沢が異質に見える。だが、兜の六文銭を兵士が気付くと、小さなざわめきが起きた。
直に城主に謁見願いを出し、綺麗な板の間の一箇所に案内された。
床几に腰を駆けて矢沢は股を開いた。
下座にあやめと弥彦が座る。弥彦は立膝で槍を横に置き、動ける体勢で居た。あやめは跪座で居る。
言葉は掛けない。
汗がゆっくりと垂れて来る。
弥彦は顔見知りの位の高い武士に告げた。矢沢が武田軍の使者である事、真田軍が攻めてくる事を……。
蝉の声しか聞こえない場所だった。
憤慨はしなかったが矢沢は待たされた。
無言でいる弥彦は四方に意識を飛ばす。少しでも布の擦れる音も見逃すまいと意識が昂っていた。
床がギシリと軋む。
「おねーりー」
使者か城主の来る合図だった。
弥彦が槍を握ろうと体を揺らすと、矢沢が睨んだ。それを見た弥彦が座を正した。
弥彦も命の危険に晒されているのだと、あやめは思った。そして、おなごの私など数にも入らないと……。
「城主、滝川益重」
矢沢が城主を凄まじい形相で睨んだ。
弥彦には沼田城城主でしかなかった。守るべき城主である。だが、矢沢の話が耳から離れない。身分を偽っているとは思えない堂々さである。
上座に城主。2人を左右に配置し、正面に矢沢。その後ろに弥彦とあやめが居た。
「城主、滝川益重……」
矢沢が呟く。
扇子で顔を隠し、視線をこちらには向けない城主。
弥彦の顔が曇っている。
「滝川様だべ……」
弥彦の言葉に、矢沢の目に力が入った。
「我が名は武田軍配下 矢沢頼綱、戦だって明日、日の出と共に戦を開始致す。使者殿にて言付け致した。我、本陣に合流す」
矢沢が烏合の雄叫びのように言って退けると、目前の滝川が扇子を力強く閉じた。
矢沢が立ち上がろうと、腰を浮かせた。
「使者……とな……?」
矢沢がゆっくりと腰を下ろす。
あやめも目を左右に振った。目の前の城主は顔を見た事がある。名前は知らないが一番偉い人で間違えない。絹の衣を着ているのは城主くらいだろう。
「お初にお目に掛かると言ったが……。城代、藤田信吉の間違えではないのか?」
矢沢が城主を睨んだ。
北条氏藤田は真田の格下である。
矢沢は真田の姓ではないが、真田三兄弟の血を持つ武将として才覚を見抜かれ矢沢家の家に入り婿した人格者である。弥彦もあやめもまだ知らない事だった。
「下郎」
城主が憎々しい眼光でいる。
北条氏は川下の戦いで、矢沢に何度か敗れているのである。武田軍の配下にいる矢沢が戦だって手掛けた戰場である。
弥彦は北条氏の戦いには加わっていない。北条氏は城下の戦い以外では本陣を広げず、歩兵も集めなかったのだ。そして、今に至る。しかし、沼田城は手放すまいと、至る所から歩兵を集めた。農兵もそうである。
弥彦は動かなかった。城主は味方であるが、矢沢には敵軍。手引きした弥彦も敵軍と見なされる。それでも、あやめの命がおしかった。
「ならば、滝川益重にお目通り願おう。織田軍ならば必ず矢沢の顔を覚えておるだろう……」
「下郎が!」
矢沢の顔に扇子を投げた。身を翻し、場を後にしていまう。顔を真っ赤にして衣擦れの音をさせていた。
水を割った静けさになる。
矢沢が溜息を吐いた。
「今のは城主でもなんでもない。滝川でも藤田でもない。飾り駒だ。何度も戰場で敗れているのが面白くないらしい……、武田軍の使者に無礼にも程があるわ!愚か者め!」
「矢沢様。ここまで愚弄されて何故黙っているのです?」
「本陣を城下近くに移すのに時間が掛かる。明日の朝に戦は無理だ。山向に我が軍は居るが、作業をしていて疲れている。」
「明朝って……」
「でまかせだ。啖呵切らねば串刺しだったわ。矢沢本人が出向くとは相手側も思わなんだらしい。弥彦も居るのが功を奏した。密偵がいると誤解されているな……」
「おっさん……、錯乱させる為にあやめを連れて来たな。」
「おなごは黙って間合いに入らなかった。ならば連れてくるに決まっている。戰場ではお荷物だが、交渉の場のおなごは盾にする」
「戦事でおなごが混ざれば負け戦だ。古来より決まっている。あやめは逃がせ。」
矢沢が頬を上げた。
「あやめの首を飛ばしたくなければ、分かっておろうて……」
弥彦が奥歯を噛み締めた。
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歴史を題材にしたファンタジーです。
諸説があり滝川が統治したのは後の時代となります。




