1 東京から
私が夏から秋に掛けてお婆ちゃんの家で過ごした記憶である。
私こと、山陵あやめが住んでいるのは、新宿区の都営団地である。都市過疎が進んだ為に高齢者団地と呼ばれるようになった第9号等をぬけると駅伝でも有名な心臓破りの坂があり、大学のキャンパスを仰ぎ見る穴八神宮がある。
都会の都会で育った私は余り遊ばない女子高生だった。学校が終わったら帰る。
帰宅部だし、まだ受験も考えていない一年だし、笑っちゃいけないけど何も考えたくない性格だから、周りと合わせるだけの学生生活だ。
親も力いっぱい今どきの両親だし、四十代では頑張ってる方だと思う。
40度近くなる真夏にプールも海もデズミーランドも夏キャンセルして、携帯片手にファミリーパックのアイスを食べている私。
どうせ7月と同じく、だらだらと過ごすつもりだったのに、家の電話が誰もいないのに鳴った。
両親は仕事でいない。仕方なく出ると、懐かしい声が聞こえる。
「あやめちゃんか? 」
「山陵ですが? 」
「ばっちゃんだよ。ばっちゃん。あやめちゃんやろ? 」
「おばあちゃん?どっちの? 」
「群馬のばっちゃんだよ。ほれ、よちよち歩きの時に祭りば来たのが、最後だったっけね? 」
「母さんの方のおばあちゃんね。で、何かあったの? 」
「あやめちゃんも受験終わって、ほれ、夏休みやろ?祭りば、久しぶりに開くってからに。やすこと帰ってくるばええよ」
「とおさん、かあさん、仕事よ」
「ほれ、なら、あやめちゃんさ、帰ってこい。祭りばあるのは土日だけえ」
「え、嫌だ。暑いし、虫出るし、何もないし……」
ばあちゃんが黙った。
私も黙った。
「新しいスパゲティ屋が出来たで、一緒にいってくれ」
あやめの一瞬の沈黙の後、長い息が聞こえた。
「分かった。会いにゆくよ」
電話を切ると、携帯で沼田に行く乗り換え案内を探す。やはり新幹線は使いたくない。まったく長い時間が掛かるようだ。とおさんが居れば車でいけるのに……と思った。
おばあちゃんの家の近くにまだ新しいお店が出来た事が驚きだった。群馬は過疎化している町である。
日本全体が高齢化社会になって、氷河期世代が子どもを産む力もなく、政治家以外誰も得をしない時代になってきた。
かあさんも都会で就職してから、私が子どもの時だけ群馬に帰っただけだった。
「なるべく短くいたいから日曜日に帰って、数日泊まればいいか……」
祭りなんて東京でもやっている。
ふと本棚に並んでいた幼い自分のアルバム棚に目をやる。
「よちよち歩きの頃……? 」
赤い何か分からない動物のアルバムを出す。写真は色が太陽光で変色して変わっている。
赤ちゃんの頃を出す。確かに、赤いハッピを着て、歩いている自分がシャッターに収められている。
私ばかりがうっつている写真。もう記憶にない時間だった。
日光江戸村の写真もある。建物を前に撮る写真。お茶を飲んでいる写真。馬の人形の隣で佇んでる写真。門の前で踊ってる写真。
尾瀬沼に行った写真もあった。私は抱っこされ満面の笑みのおばあちゃんがいる。
「おばあちゃんに会いに行くか……」
私はアルバムを閉じた。
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