少女は焼き鳥屋を目指す
加鉈はクラス表の紙が貼ってある掲示板の前で立ち尽くしていた。
ときどき冷たい風が吹く春。校舎の前にて。
田中加鉈と書いてあるのは、2組。
そして、加鉈がどうしても同じクラスになりたくない“あいつ”の名前が書いてあるのも……2組。
「あたし、帰る」
隣で必死に好きな人の名前を探している恵里に、そう一言だけいって、加鉈は回れ右をした。
「あぁーちょっと待ってよー。矢野くんの名前探すの手伝ってーお願いっ。見つけたらあたしも一緒に帰るから!!」
「何が矢野くんだ。あんな奴ただのガリ勉じゃん」
と言いつつも、うるっとした目でお願いしてくる恵里を無視できない加鉈は、また回れ右をして掲示板と向き合った。
「見つけたらすぐ帰るよ」
「ありがとっ加鉈。帰りに何かおごるね!何がいい?」
「んじゃ、焼き鳥ね」
「オッケ……って焼き鳥!?」
「何とか言えよ」
桜香は低い声で、体育館の壁にもたれかかっている男の耳元で、囁いた。
男はどこか遠くを見つめて、
「俺は…悪くない」
かすれた声で言った。
桜香は猛獣のように唸りながら長い足で、鋭い眼差しの男を蹴り上げた。
----どごっ
と、なんとも言えない鈍い音がした。
「ったまんねぇ。暴力ってのは、やっぱこう……なぁ、理不尽じゃねぇと」
桜香はニヤニヤと笑いながら、問いかけた。
「あぁ…理不…尽だな……暴力は」
男は、荒い息遣いをしながら、桜香をにらみつけた。
その視線を真正面から受け止めると桜香は、鼻歌をゆっくり1曲歌ってから言った。
「早く謝ればいいのにー。俺さぁ、お前とはさぁ……。やっぱ、なんでもなーい」
「お前は暴力なんか…振るうべきじゃない」
男はそう言うと、握り締めた拳を突き出して、ゆっくりひらいた。
桜香はその手を叩いて、
「やーだねっ。俺から暴力取ったら個性なくなんだろ?」
と舌を出した。
ついでにウインクまでして見せた。
そして、桜香の長い足が高く高く上がる。
「お前が何度暴力を振るおうが俺は謝らない!!」
男の目は鋭い光を放っていた。
長い足は勢いよく振り落とされた。
「ん、今なんか矢野くんの声が聞こえた気が……しないこともないんだけど…。加鉈も、聞こえたー?」
恵里がのんびりした声で言った。加鉈は返事をする代わりに、軽く右手をあげて左右にゆらゆらと揺らした。
「なぁーんだ。じゃ、空耳かな」
加鉈と恵里が掲示板の前を陣取ってからすでに10分がすぎている。
後ろの方から、早くしろーとか、みえねーよだとか、押さないでよ、などなどいろいろな文句が飛び交っている。
「あ…見つけた」
「本当っ!何組?あたしと一緒?」
「うん。2組」
「やったー!てか2組って結構いい人そろってるよね。加鉈もいるし、矢野くんもいるし……加鉈ー好き!!」
恵里は両手を広げて、加鉈を抱きしめた。加鉈はハイテンションの親友の熱い抱擁から、するりと抜け出した。
そして、校門の方を見た。
「さぁ、焼き鳥屋に行きましょう」
「…………違うのにしない?」
ダンッ
桜香は男の足のすぐ横に足を下ろした。
「へっ。何が俺は悪くないだよ。俺の妹のハートを鷲づかみにしといて、よく言うぜ」
「いや、どう…考えても俺は……悪くないじゃないか。……君ってさぁ、もしかして…シスコン?」
「!?シスコンとは違うって。はははっ俺は、妹専属の騎士なんだよ。矢野、お前には妹いねぇのか?」
矢野と呼ばれた男はだるそうに首を振った。
「……一人っ子…だ」
「へぇ。じゃぁ、俺の言ってること分かんねぇよな」
と、桜香は言って矢野を見た。
「って、気絶すんの早くね?」
矢野は地面にひれ伏すように気絶していた。
桜香は軽々と矢野を持ちあげて肩にのせた。
「………ったくお前とはほんとお友達になれる気がするよ」
そう呟いて、校門を目指した。
「あぁーっ!!」
校門を指差して加鉈が大きな声で叫んだ。
加鉈の指差す方を見た恵里は絶句した。
指差された男がゆっくりと加鉈たちの方を見た。
そして加鉈と目が合うと、
「あぁーっ!!」
加鉈と同じように叫んだ。
「なにが、あぁーっよ。腹立つ。あんたの存在はあたしの美学に反してんだよ!さっさと消え失せろっくそがき!」
加鉈が額に青筋を浮かべながらわめく。
「や、や矢野くんに何したの!!ひどい」
恵里は、男の肩にぶら下がる矢野に駆け寄った。
「うわっ。来んな不細工。俺の美貌がすたる」
「恵里のどこが不細工なんだ!?んで、あんたの顔のどこらへんが美しいんだ?鏡見ろよ!桜香ちゃーん!」
名前を呼ばれて、桜香の顔付きが変わった。桜香は自分の女みたいな名前が大嫌いだ。
「うるせぇっ!!反対から読んでも“たなかかなた”のくせに!!今度こそまじで殺す!てか、お前の存在のが俺の美学に反してる。しかも、先に叫んだのはお前だ。あほ」
「喧嘩売ってんだな!?よし、受けてやろう」
加鉈は首筋まで赤くして、桜香を睨みつけた。
加鉈は桜香の言った、反対から読んでもをひどく嫌っているのだ。
一番言われたくないことをお互いに言い合って、二人は納得したように向かい合った。
「お前は良いよなー。結婚すれば、田中じゃなくなるじゃん。俺はさぁー、一生桜香なんだよっ!!!」
桜香はにやっと笑うと、余裕の笑みを浮かべる加鉈の顔面めがけて、拳を放った。加鉈はそれをギリギリで首を傾げてよけた。耳元でビュンと風がなる。加鉈は桜香の両肩を掴み勢いよく自分の方へ引き寄せる。加鉈の得意技“頭突き”だ。二人とも頭の硬さに自信があるのか思いっきり額をぶつけ合った。血が飛び散る。目に浮かぶ光の粒とふらつきから先に回復したのは桜香。上半身をくるりと回転させ、長い足を加鉈のわき腹へと鞭のように叩き込む。衝撃によろけながらも加鉈はその足を掴み、自らの踵を高く上げ桜香の顔面を往復ビンタ、いや往復踵蹴りを決めた。バランスを崩した状態での攻撃のせいで殺傷力が乏しかったようだ。桜香は平気な顔で反撃する。綺麗な重心移動で放たれた拳は見事に加鉈の肝臓にヒットしたかのようにみえた。だが、加鉈は桜香の渾身のパンチを軽く横に払い、桜香の顎にむけて膝蹴りを繰り出した。
矢野の事で頭がいっぱいだった恵里が、ようやく加鉈と桜香の喧嘩に気付いた。
「加鉈ー。落ち着いてー!」
恵里は半泣きになりながら、興奮気味の加鉈の足に抱きついた。
「ちょ、ちょっと。離してよ。いやっ」
恵里にいきなり抱きつかれた加鉈はバランスを崩してこけた。
「どんくさ。てか、パンツまるだし」
「だ、黙れっ変態。見るな。腐る。てか、まるだし言うな。あほまるだしのくせに!」
「加鉈、言いすぎだよ。この人ってあの人でしょ」
恵里は、桜香に聞こえないように加鉈の耳元で、囁いた。が、
「それって結局どの人だよ。つか、俺を怪しい奴扱いすんな、馬鹿」
まるっきり聞こえていた。
「馬鹿って言う奴が馬鹿なんだ」
「そういうお前が馬鹿だ」
「あんたが先に馬鹿って言ったもん!だからあんたが馬鹿だ」
「前から思ってたけど、俺お前に何かしたか?」
うっと加鉈は一瞬ひるんでから言った。
「息した」
「はぁ!?」
「学校にきた。おんなじクラスになった。それに、それに……あんたは芸術をなめてる!!」
いきなり声を荒げた加鉈に今度は桜香がひるんだ。
「もしかして、俺が美術部に入っといてずっとサボってっから怒ってんの?」
「それ以外に理由なんてない」
「馬鹿じゃん。お前やっぱ馬鹿だ」
桜香が笑った。腹を抱えて、目に涙をためて、笑った。
加鉈は冷静な顔付きで何かを指折り数えている。
「あんたは4回馬鹿って言った」
「お前はもっと言ってるぜ」
――――クスクス
加鉈と桜香は同じに笑い声のした方を睨んだ。睨まれた恵里は小動物のようにまるまった。
「ご、ごめんなさい。でもなんか二人とも低レベルなんだもん。フフッ」
すっかり勢いをなくした桜香は握り締めた拳を見つめて、ため息をついた。
「なんだか、小学生の喧嘩みてるみたいだったよ。クスッ」
「もう、笑わないでよ。あーあ、朝から熱くなりすぎたー。恵里、行くよ」
加鉈は立ち上がって、座り込んでいる恵里に手を差し出した。
恵里はその手につかまって、
「どこに?」
と首をかしげた。
加鉈はにっこり笑って言う。
「焼き鳥屋」