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6 船


→ → →【15】



「家督争い?」


 穏やかなでのんびりとした午後には不似合いな言葉に、アリアはアーモンドのクッキーを摘んでいた手を止めた。

 いつものように転がっているルイが、視線でアリアに「食べろ」と言う。


 アリアは口に運ぶと、ほろほろと崩れる風味の良いクッキーを幸せそうに食べた。

本当においしい。誰が作っているのかは知らないが、それがものすごく腕のいいパティシエと、ものすごくいい材料で作られていることは味で分かった。いつもこれ以上なく感謝している。ありがとう、ルイ。ありがとう、作ってくれた人。

 アリアの持ってきていた普通のクランベリーの普通のパウンドケーキは、ルイがあっという間にたいらげてしまった。指をぺろりと舐めている。ごろごろしながら寝そべってパウンドケーキをあっという間に消したルイが言ったのが「家督争いってめんどくせえな」だったのだ。


 お互いの年齢を知ってから、少し踏み込んだ話をすることが増えた。もちろん内情は伏せてあやふやに愚痴を言うだけだし、それが自分のことだということも決して明言はしない。相手の話であるということも、ハッキリさせない。いわゆる、世間話のままというラインはしっかりと守っていた。

 つまりこれは、理由も意味もない話だ。


「家を継ぎたいって話?」


 ルイが、とか、王座に、などとは言わない。

 アリアはもう一つクッキーを摘む。

 今、このタイミングで家督争いなど、なんて物騒なことだろうか。


「無理。向いてねえよ」


 ルイはうんざりと言った。

 クッキーを咀嚼しているので頷いておいたが、アリアは決してそうだとは思わない。

 確かに学園での評価は「怖い」「陰鬱」「無表情」と言われていて、一部の女子生徒の熱狂ぶりは特殊な扱いだった。が、アリアは思う。彼らは見誤っている。ルイは「美しい」「静寂」「気高い」だ。

 こうしてごろごろしているところを見ても、そう思う。

 とても繊細な心の機微を持っている人だ、と。

 こういう人が上に立つと、カリスマ性を発揮するような気がした。

ルイの何かと面倒見のいいところも、バランスのいい思考も、安定した国政を維持することに長けていると思う。

 決して言わないが。


「優しい、爽やか、笑顔が素敵、穏やか」


 アリアは、ルイの「兄」を指す言葉を言ってみた。

 誰もが最近、無事に二十五になって戴冠したばかりの若き王を、春の王、と呼ぶ者までいる。

 ルイにも伝わったようで、皮肉な笑みを浮かべた。


「お前もそう思うの?」

「ううん。頼りないなって思う」


 アリアは正直に言う。確かに見目麗しい王子様が国王になったが、何というか、妙な穏やかさが怖かった。


「皆が必死で支えているような感じがするし、それを疑問に思っていないお坊ちゃま感が、不安ね」

「お前よく見てるな」

「勝手な妄想だけど」

「いや。当たってる」


 ルイは青空を曇天でも見るような目で見た。木の葉がさわさわと揺れ、黒々とした前髪が浮き上がる。


「起きもしない家督争いに、こうなってもまだ巻き込まれるのはごめんだ」

「怖いのよ」

 

 きっと、ルイのことが、ルイの存在が怖いのだ。

 その言葉に、ルイは空を貫いていた目をアリアへ向けた。


 じっと、アリアの目を見上げてくる。

 人を躊躇いなく刺すような、あまりにも真っ直ぐな狂気がアリアを試していた。



「アリア。お前は? お前は俺が怖いか」



 ←



 あの時の目だ。

 アリアは思い出して、懐かしさに思わず微笑んだ。

 あいつが馬鹿じゃなければどこのどいつが馬鹿なのか教えてほしい、と聞いてきたルイに、アリアはゆっくり答える。


「あなたのクソお兄様ももちろん救いようのない馬鹿だけど、馬鹿ならここにもいるじゃない」


 ルイの目が、ほんの少し見開かれる。


「……ここに?」

「そう。ここに」


 あの時、ルイは「怖いか」と聞いた。

 今、ルイは「俺は馬鹿か」と聞いているのだ。

 アリアの答えはあの時と同じだ。


「こんなものを用意しているのが本物の馬鹿ではないの?」


 アリアがスープカップを持ち上げると、ルイは鋭い目のまま口元を笑みの形にした。

 子供の姿では余りにいびつな笑みだった。アリアは決して目を離さない。どこまでも穏やかに、ルイの目の前に居続ける。


「大体、毒を使おうとするやつは総じて馬鹿なのよ」


 あなたは怖くないし、馬鹿でもない。

 それを恐れる弱さが美しい。

 アリアの本心だ。何もないアリアには、遜る必要も、取り繕う必要も一切ない。


 ルイの視線が、ふと何かを思い出しているように遠くなった。

 が、すぐにアリアへと視線を戻すと、じいっと見つめて囁く。


「可愛い、な」


 ルイの言葉に、今度はアリアが目を丸くする番だった。思わず持ったままだったスープカップを揺らすと、すかさずルイの手が伸びてきて、さっと奪われた。ついでにアリアの分のスープも回収される。

 ルイの目はいつものものに戻っていた。翳りのある、しかし安定した目だ。

 

「お前の答えだよ」

「え?」

「十五のお前が、俺に答えた言葉。怖いかと聞いたときのこと、覚えてるだろう?」

「ああ……」


 そうだった。

 アリアは確かに、そう答えた。

 怖いか、と聞かれたので、素直に「可愛いと思う」と言ったのだ。

 そんなことを気にするところが、可愛いな、と思ってそのまま言うと、ルイはそれはもう驚いた顔をして硬直したあと、お腹を抱えて爆笑したのだ。

 アリアは何がそんなに面白いのだろうと不思議だったが、今にして思えば十五の自分は無敵だったような気がする。若さのなせる技だった。

 もちろん今も言えるが。


「じゃあ今も答えるべきだったわね。ルイは可愛いわ」

「いいや。今はいらない。確かに、こいつは馬鹿だよな。お前の言うとおり、毒を使うやつは総じて馬鹿だけど」


 ルイは話を変えるようにスープカップを目の前に持ち上げ、くるくると揺らした。

 どうするかな、などのんびり言っていると、隣のテーブルに朝食プレートを持った背の高い男がやってきた。


 ルイとアリアを一目見て驚き、そしてその怯えた目は、スープカップへと向かう。







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