56 ミラー
迎えに来たゼノは、第五王子の顔をしてルイとアリアに一礼すると、キースを連れて城の中枢へと向かって行った。
「……大丈夫?」
アリアが聞くと、キースの背中を見送っていたルイは視線を動かさないまま「ああ」と呟く。
「相変わらず素敵な人だったわね」
「だな」
「お元気そうで良かった」
「……心配させてるか?」
ちらりと見られ、アリアは緩く頷いた。
ルイは噛みしめるように微笑み、アリアの手を取る。
「ありがと」
「さあ。何のことか知らないけど、私もありがとう。一緒にいてくれて」
「ふ」
「さあ、着替えに部屋に戻りましょうか。さっさとここから退散しましょう」
アリアはルイの手を引いた。
いつの間にか、手をつなぐことがふつうになっている。
形が変わることがきっと「ふつう」なのだ。心の形が変わることも、関係の形が変わることも、恐ろしいことではなく、自然なことなのかも知れない。
そうでなければ、ルイという存在を愛していることに気づけなかった。
自分自身がその感情を許せずに蓋をして、友人だと言い張っていたが、ルイは昔から「特別」で「愛おしい」存在だった。あの少女に鬱陶しいほど絡まれて、一気に黙らせようとしたとき、本心がどこからか飛び出していた。
ルイは自分のものだと。
これは、家族には持ち得ない愛情である、と。
部屋に戻る廊下を二人で歩く。
天気のいい午後の日差しがさっと差し込んで、アリアはふと足を止めた。
揺れる木々や木漏れ日が入り込む廊下に広がる、誰もいない長閑な気配。
なんだか、学園の廊下によく似ていた。ルイに会うことを目指してくすぐったい気持ちで一人歩いていた廊下。あの日々が、まるで昨日のことのような錯覚を覚える。
「私、やっぱり恋をしたことはないわ」
アリアが言うと、ルイはまっすぐに見上げてくれた。
じっと待ってくれている。
「きっと、ずっとあなたを愛してた。これから先もそうだと言えるわ。だから、私だけを傍において欲しい」
ただただ、素直な言葉しか出てこなかった。
随分我が儘なことを言っている自覚はしているが、上手に言ったところで内容は同じなのだから仕方がない。
ルイの様子を窺っていると、彼はアリアをまじまじと見て「なるほど」と呟いた。
なぜだろう。届いている気がしない。
「ルイ」
「ありがとう、嬉しいよ」
「あの、ルイ」
「待て」
ストップを掛けられる。
アリアが思わず首を傾げると、ルイはすたすたと先に歩き始めた。
慌てて追いかける。
「ねえ。わかってる?」
「わかってる、わかってる」
「わかってないわ。私は、あなたを、男の人として愛してるって言っているの」
アリアがハッキリと告げると、ルイの足がぴたりと止まった。
その背中に向かって、もう一度言う。
「私、試したいって言ったでしょう。特別だけど、もっと大切なものに変わった気がするから、抱きしめて欲しいって。もうわかるの。そんなことしなくても、あなたがどう特別なのか」
「……わかったから」
「絶対わかってない」
「わかってないのはお前だ」
何故か怒られる。どうしてよ、と言う前に、ルイは思い切り振り返るとそのままの勢いでアリアの前まで戻ってきた。
その表情は険しい。
ちょいちょいと指で指示され、アリアが屈んで顔を近づけた瞬間、両手で頬を挟まれた。ぐいっと引き寄せられ、鼻先が触れ合う距離で止まる。
「待て」
短く言われる。
「どうして」
「想定外だ。思ったよりも成長が早すぎる」
「何を言っているの」
「お前が本気で、その、俺を」
「愛してるわ」
「わかったから待て」
「……」
「怒るなよ」
アリアがむっとすると、ルイがようやく表情を和らげた。
「とにかく、お前の気持ちは嬉しいし、俺がずっと欲しかったものだよ。疑ってないし、間違って受け取ってもない。一言で言うと、死ぬほど嬉しい。だが」
頬を挟むルイの親指が、頬から滑り、唇の端をやんわりと押した。
そうして、ゆっくりと解放される。名残惜しそうに。
「今、この状態で、お前に手は出せない。ほら、わからないって顔してるだろ?」
「わからないもの」
「いいか。お互いがお互いを愛していると、その関係は恋人同士になることはわかるか」
「もちろん。そうなりましょう」
「お前にはまだ早い」
「なによ、それ」
「そして俺にもまだ早い。俺たちは多分、ゆっくりでいいと思う。だから焦るな」
言い聞かせられるように言われ、アリアは何も言えなくなる。
「お前はわりと短気だ。答えをすぐ欲しがる。決めた途端暴走というか、爆走するだろ」
「……否定はしないわ」
「俺たち、この先ずっと一緒にいるのに、焦って答えを出す必要はない。それにまだお互い未成年だしな、慎ましい付き合いをしよう」
未成年。その言葉にアリアはショックを受けた。そういえばそうだった。
しかも、今では自分の方がどう見てもルイより年上であり、客観的に見れば、ルイが妙な目で見られかねない。アリアは大きく頷く。
「わかったわ。じゃあ外で手をつなぐものやめた方が」
「それは大丈夫だ」
即座に否定される。
「そうなの?」
「そうだ」
「じゃあ私たちってなんなのかしら」
「お互いが特別な相手、かな」
「それはそうね。一生変わらずに特別だと言えるわ。実際そうだったし」
「あとは、二年後には恋人になる相手、だ」
「二年後?」
「まあ、予約みたいなもんだよ」
「ああ、そう?」
「そ。そのころには俺は十七だしな。問題はない。そのときに俺から言うよ」
アリアは、十七のルイの姿を思い出した。
すらりと背が高く、声は低く、自分を穏やかに見下ろす姿を。
立派な青年である姿を。
「……もしかして」
「よし、着替えに戻ろう」
「ねえ、もしかして、まだ身長が低いから二年待てってことなの?!」
「ほら、行くぞー」
ルイがくしゃりと笑う。
その顔は照れていて、嬉しそうで、満たされた表情だった。
ああ、その顔はずるい。
どんな形だろうと、予約だろうと、かまわない。
ルイのプライドとやらで「待て」と言われるのなら、待ってあげてもいい。これから先の時間は全て二人で埋めるためにあるのだ、とアリアは思えた。ずっと、傍に。
ルイから手のひらを差し出される。
アリアはその手を取るために、大きく一歩を踏み出した。
いつかのように、木漏れ日がちらちらと揺れている。




