51 ミラー
顔が隠れるほどの前髪に、後ろで結った長い髪。
三つ揃いのスーツをびしりと着た長身の男性は、バルコニーへ意気揚々と歩いてきた。絶句しているアリアとルイに代わって、ゼノやイアンが「え?」「兄上?」と戸惑ったように呟いている。
エドワードはその勢いのまま、ルイを思い切り抱きしめた。
「ああ、ルイ。軟禁されていたなんてなんて嘆かわしい。ひどい目に遭わせる奴らもいたものだ」
「お前ほどじゃないと思うが」
「あははは、確かにね!」
エドワードは朗らかに肯定する。
ルイを放すと胸に手を当て、アリアに向かって小さく頭を下げた。
「申し訳ない。君までこんなことに。元婚約者殿」
ルイがハッとしてエドワードの入ってきた扉を見ると、そこに初老の男性が立っていた。白髪だが、恰幅のいい穏やかな雰囲気をまとっていて、ルイを見る目が信頼に満ちている。そして、少々うんざりした目でエドワードの背中を見ている。間違いない、キースだ。五十年ぶりに見たが、昔廊下ですれ違い、一言だけ交わしたあの当時と、雰囲気が全く変わっていないことが妙に嬉しかった。
ルイは全て察した、と言わんばかりにアリアに「筒抜けだ」と小声で伝える。
なるほど。そういえばウルトイルで、ルイは手紙を出していた。そこに、急遽作った旅の設定でも書いて伝えておいたのかも知れない。
「……え」
イアンが反応する。そういえば、この設定を知っている唯一の人間だった。
「アリアさんの元婚約者って、ルイルイのお兄さんで、運命の恋を見つけたとか言い出して全財産持って家出したっていう、あの?」
「……なんだそれ……」
ゼノが唖然とこぼす。
対するエドワードはにこにことしたままアリアの許しを待っていた。
仕方なく口を開く。
「何をしにきたのですか。元婚約者様」
「それはもちろん、僕の愛しい弟と、あなたを助けにきたのだよ」
「結構です。新しいおうちにお帰りくださいませ」
「おやまあ、相変わらず厳しい人だ」
ふざけているが、アリアは本気でさっさと退散してくれ、と思っている。
顔は隠れているが、ここにシロノイスの元国王と元王弟が、側近とともに揃っているのは大変よろしくない。そもそも、ここミラーは彼らの母親の故郷なのだ。知り合いに遭遇するも何も、ここにいるゼノとジゼルは遠縁にあたる。
「せっかくここまで来たのにね? キース」
エドワードがのんびり歩いてきたキースの肩をぽんぽんと叩く。彼はげんなりした顔で、ルイを見るとぽつりと呟いた。
「すみません」
「話は後で聞く。あれらを頼めるか」
「それはもちろんです。そしてあなたも」
キースからちらりと穏やかな視線を受け取ったアリアは、一歩引くと五十年ぶりになる「淑女の礼」を深くした。子爵家の令嬢であった頃に教育係から叩き込まれたそれは、随分久し振りになるが体に染み着いていた。
「お久しぶりです、キース様。いつぞやは毎日大変お世話になりました。お元気そうで何よりです」
おいしいお菓子をどうも、と感謝を捧げる。
ふっと笑う気配がして、顔を上げると、キースは懐かしそうに笑っていた。
胸に手を当て、礼を返される。
「アリア様も。ご無事で何よりです。あちらの対処はお任せくださいますか?」
「ええ。あなたにお任せいたします。お忙しいでしょうに申し訳ありません」
「お気になさらず」
二人して悪戯に笑い、挨拶を終える。
何故かエドワードからブーイングが来た。
「えー。僕にもその美しい礼をして欲しかったなあ」
「なんでお前にするんだよ」
「あなたはさっさとお帰りください」
「いやだよ。弟に多大な迷惑をかけ、アリア嬢に喧嘩をふっかけたそこの怖いもの知らずを通り越した愚か者の顛末を見届けて、楽しみたいからね」
悪趣味だわ。聞いていたらしい。
エドワードはルイのためでもアリアのためでもなく、本当にキースにお仕置きされる彼らを見たいのだ。これ以上なく嬉々として、勝手に着席した。ルイが紅茶をソーサーにこぼした席だ。その様子を見て、満足げに頷いている。
キースは疲れた表情でその隣に座り、ルイは深いため息を吐く。
「悪いけど付き合ってくれるか」
「いいわ。この人残せないもの」
アリアはエドワードを指さすと、ルイが「だよな」と呆れた目で言う。
ルイはバルコニーの欄干に寄りかかり、同じテーブルに着きたくなかったアリアも隣に立つ。テーブルは異様な雰囲気だった。
やや顔が青白いゼノに、縮こまるジゼル、笑うしかないと顔に書いたイアンに、真面目な顔で威圧するキースと、足を組んで悠然とした、誰よりも態度の大きなエドワード。
国王であったときに培ったであろうその場慣れした空気を、どうか仕舞ってくれないだろうか、とアリアは呆れる。何故そんなに嬉しそうなのか、とも。
ゼノは姿勢を正すと、しっかりと前を向いた。
「昼頃に到着と伺っていましたが、どうかなさいましたか?」
「殿下、常に相手が時間通りに現れると思ってはいけませんよ。特にこういう場合は、相手は奇襲をして様子を窺うものです」
キースは穏やかに言う。
「まずは身元引受人として、関門を通れず、さらに軟禁まで必要であったほどのことを彼らがしたのなら、教えていただいてもよろしいでしょうか?」
紳士な人ほど怒ると怖い、と言ったのはどこの誰だっただろうか。
キースの尋問といえるほどの執拗な質問が、ゼノに繰り出されるのをアリアは黙って見守ることになるのだった。




