49 ミラー
通された部屋は応接室のようなところで、ゼノの私室と続き部屋のようだった。
「さて、ここからそのドアを通ってゼノの私室に行くんだけど。あの、そろそろですね」
イアンが言いにくそうにルイとアリアの手元を見る。
ルイは「はいはい」最後に親指でアリアの手の甲を撫でてから手を離した。
「ルイルイ、慣れていらっしゃいますね……」
「お前だって十五だろ」
「いや、はい、そうですけど」
「さっさと行くぞ、面倒くさい」
「はあい。では行きますよー」
ルイがすっとアリアの前に立つ。
アリアが顔を綻ばせると、イアンが小さな声で「こういうところなんだろうなあ」などとぼそりと呟いた。
ドアが開く。
「ルイ様!」
さあっと、花々の香りがするような可憐な声に出迎えられ、アリアは思わずその花をたたき落としたくなった。わっと華々しい空気を味方に付けた王女様がオレンジ色のドレスに身を包み、ソファから立ち上がる。胸元で両手を握りしめ、美しいプラチナブロンドの髪をくるりと巻いた姿は、簡単に言うと気合いが入っていた。
「わかった。外に行こう」
ゼノがルイを見て言う。
こちらも、連日忙しいのだろう、目に生気がない。ルイの反応を見て、密室で話をすることが困難だと感じたのか、それとも部屋にこの空気が膨らんでいくことが耐えられなかったのか、ゼノはイアンに「お茶の用意を」とだけ言って立ち上がった。それを聞いたジゼルは何故か顔を輝かせ、イアンとともに退出していく。
見送ったゼノは、ようやくアリアに気づいたようだった。
ぱっと頬を染める。
「何も言うな、褒めるな」
ルイに阻止されたゼノは、違う意味でまた顔を赤くし、小さく咳払いをすると二人を広々としたバルコニーへと案内をした。
大きなテーブルに、椅子が六脚。ルイがアリアをエスコートをして先に座らせる。最後に席に着いたゼノが口を開いた。
「付き合って貰ってありがとう。生活の不便はなかっただろうか」
「問題はない」
「ならよかった」
「大丈夫よ」
ほっと息を吐くゼノを見ていると、アリアは言わずにはいられなかった。
「ゆっくりさせてもらったわ。色々と忙しかった中、配慮をしてくれてありがとう。あなたは気にしないで」
「……いや、そもそも俺の」
「ああ、お前の躾が足りていなかったからだ」
むすっとしたルイがとどめを刺す。
ゼノは苦笑し「そうですから、お気になさらず」とアリアに微笑んだ。気苦労の多そうな若者だ。
「お待たせしました、ルイ様!」
ジゼルが妖精のようにふわふわとバルコニーへと現れる。
後ろにはワゴンを置したイアンがへらりと笑ってやってきた。ゼノの隣の椅子を恭しく引いてジゼルをエスコートすると、手早くお茶の準備を始める。
「ジゼル。先に謝罪を」
ゼノが静かな声に言われ、ジゼルは一瞬びくっと肩を震わせると、子犬のように頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。自分の浅はかさを恥じております」
シンプルに謝れ、余計なことは言うな、と説き伏せられたのだろう。
ジゼルは頭を上げると、ルイの瞳をじっと見つめた。
「あなたに一目惚れをいたしました」
がちゃん、とティーカップを持っていたイアンが揺らし、音を立てる。
アリアが見ると、動揺していると言うよりも、呆れているような、けれどどこか嬉しそうな、ジゼルという少女をよく知っている者が彼女を慈しんでいる表情だった。
反対にゼノは右手で顔を覆っている。
「お名前しか存じておりませんが、一目惚れとはそういうものだと思いますの!」
熱弁する彼女は、ルイが全く反応していないことをどうして気づかないのだろう、とアリアは不思議に思う。愚かではないはずの彼女が、まるで勢いで押せばいける、とでも言いたげに前のめりになっている。
「どうかこちらにもう少し滞在していただけませんか? 私のことを知っていただきたいの。あなたのことももっと知りたい。よろしければ、好きな場所でもおっしゃってください。宿はこちらで押さえますし、滞在費も私の私費で賄います。私のできることならなんでも」
「ジゼル」
間に入ったのはイアンだった。
テーブルに紅茶とクッキーを順に置き、最後にジゼルの隣に腰掛けた。
「落ち着きなさい。ルイルイ困ってるでしょうが」
「お前目が腐ってるのか」
「よく言われるー」
ルイがうんざりしたように言うと、イアンは深く頷いた。
ふわりと風が吹き、剣呑な空気が少しだけ和らぐ。
アリアもルイも紅茶にいっさい手を出していないが、ジゼルは紅茶を一口飲むと、幸せそうに微笑んだ。
「イアンとも親しいのですね。でしたら」
「ジゼル」
ゼノが厳しい口調で言うが、彼女は今回は全く効いていない。彼女は頬を少し膨らませてゼノを見た。
「私、この方が欲しいわ」
ゼノが今度は両手で顔を覆う。
「ジゼル、ちゃんと謝罪をする場だと言っただろうが」
「いたしました。後は私の情熱をぶつける場であると、イアンが」
「イアン……」
ゼノが睨むと、イアンはへらっと笑って誤魔化した。
「イアンは私の味方ですわ。お兄様はどうなんです?」
「味方もなにもない……迷惑をかけた二人に謝罪をしてくれ……」
先日きちんとルイに謝罪をしたあの第五王子の風格はどこに行ったのか、見ていて気の毒になってきた。
ちらりとルイを見ると「放っておけ」と目で言われ、アリアは軽く頷く。
「ルイ様、どうかもう少し時間を。私と一緒に過ごしていただきたいの」
ジゼルがアリアを見る。
初めて目があった。アリアが驚いていると、彼女は可愛らしい目をルイに真剣にぶつけて言った。
「そちらのお付きの者もこちらで世話をいたしますから、どうか……!」




