4 船
「姉弟だと?」
ご立腹だ。
声変わり前の少年だというのに、地を這うような威圧的な声をどこからだしているのか、ルイは青年に向かって低く言った。争いごとは面倒だ、といつもうんざりしながら言っていたルイが喧嘩をふっかけるような態度をとることに、アリアは内心驚いている。
が、食事の前に騒ぎを起こされてはたまらない。
アリアは座ったまま、青年と向き合っていたルイの手にするりと自分の手を重ねて引き寄せた。
ぎゅっと手を握る。ルイの肩が跳ねたので、さらに強く握る。
「弟じゃなくて、友人よ」
「友人?」
青年がアリアとルイを見比べる。つないでいる手と、物騒な顔をしていたルイが途端に少年に戻っている様子を何度も往復する。
アリアはもう一度言った。
「私の唯一無二の友人なの。素敵な人でしょう」
「……うん、まあ不思議な組み合わせだけど。友人と旅行なの? 二人だけで?」
「そうよ。私の婚約者だった人の弟なの。あいつ、運命の恋を見つけたとか言い出して全財産持って家を出ちゃってね。二人で今追いかけているところなのよ。見つけたら袋叩きにして引きずって連れて帰るの。ね?」
アリアがあまりにも穏やかに言うので、青年もルイも、聞き耳を立てていた周りの乗組員たちも目を丸くしてアリアを見ていた。
一拍遅れて、ルイが頷く。
「クソ兄貴を追いかける旅だ」
「……へー」
「そして俺は十五で、お前と同い年だ」
「えっ!!」
「なにか文句あるか?」
「な、ないです」
しっしと手を振って、ルイは青年を追いやった。食事を終えていた青年は席を立つと、驚いた顔で二人を見て軽い会釈を残して出て行った。
ようやく二人で席に着く。
周りが控えめにざわめいていたが、しばらくしてあっさりと活気が戻った。
アリアはようやく落ち着いて朝食に手を伸ばす。
オムレツとサラダに、クルミのパン。フルーツまであって、アリアがトマトにフォークを刺すと、ルイはクルミのパンを手で割りながら「お前なあ」と呟いた。
「なんだあの設定は」
「ん? 姉弟のほうがよかった?」
「いいや。絶対無理」
「そうでしょ。私とルイの顔じゃあ、姉弟だって言うのは無理があるもの」
「それはない。お前は可愛い」
「わあ」
アリアはトマトを口に放り込む直前で感嘆のため息を着いた。
「すごいのね」
「何が」
ルイが心底不思議そうにしている。アリアは妙に恥ずかしくなってトマトを頬張った。甘い。
そういえば、ルイが女性と接しているところを見たことがなかった。
そう言う意味では耐性がないのだ、とアリアは無理矢理納得した。
六十五年生きてきてこの反応は恥ずかしいが、仕方ない。今は十七歳で、しかも自分は色恋と無縁の生涯だったのだ。友人の紳士的な態度も、女性として扱われることも、今は少し慣れていないだけだ。そのうち、何とも思わなくなる。きっとそうだ。
「アリア」
「……ん?」
「もしかして、この旅あの設定で通すつもりか?」
「うん。そうよ。どこに行ってもあれで行こう。我ながら完璧だわ。誰かに聞かれたらあれを言っておけば、誰も詮索してこないもの」
小娘と、普通とは違う雰囲気を持った少年が一緒にいて、怪しまれないわけがない。ここの乗組員たちも、ルイとアリアをしっかり観察していた。そのうち仲間内で、ああでもない、こうでもないと予測がたてられ、いつのまにかそれが「本当」のことのように周知され、ついでに同じ船に乗っていた旅客へも伝わり、降りた先でも伝言ゲームのごとく広がることもあることを、アリアはよく知っている。
旅の理由を聞かれたときには、曖昧にせず、とりあえず「理由」を一気に言ってしまえばそれ以上の詮索は基本的にされない。物騒な言葉をちりばめておくのも大事だ。お金はない、というワードで余計な興味も引かずに済むし、時には同情を引いて親切にしてもらえることもあった。
「意外とね、婚約者が居るっていう設定も便利よ。裏切ったら許さないって態度で話しておけば、危ない女だと思われて話しかけられなくなるの」
「その設定でいこう」
「それに、本当のことも混ざっていれば、設定を忘れたり間違えたりしないわ」
「ああ」
ルイが笑う。
「クソ兄貴、ね」
「そうそう。あなたを困らせ続けたクソお兄様を、私たちはボロクソに言いながら旅ができるの。悪くないでしょう」
「確かに悪くない。お前の婚約者だって言う肩書きだけは不愉快だけど」
「あら、そこは嘘だからいいの」
「ふっ」
「ふふ。楽しいわね」
「お前が無事に一人旅ができた理由がわかるな」
「その時々で適当な理由を考えるのも楽しいものよ」
二人で食事を挟みながら話をすることに、アリアは密かに感動していた。安い朝食で、船の中で、ようやくうっすらと夜が明け始めた地平線を眺めながら、幼い頃に得た掛け替えのない友人と話をしている。
人の目があるところで。
誰も自分たちを知らないところで。
まさか、こんなことが起きるとは思っていなかった。
終の住処である丘の上の家で、城に向かってひっそりと話しかけながら庭掃除をし、食が細くなりつつあった朝食を一人でとっていた。不思議と寂しいとは思わなかったし、それが日常だったが、こうして対面で普通に話していると、ああ、嬉しいなあと純粋に思う。たくさん話したいな、と思いながらアリアがスープカップに手を伸ばしたときだった。
先にスープに口を付けたルイが、アリアを手で止める。
眉を顰めたまま、カップからゆっくりと口を離した。
「飲むな」
アリアはその子供らしからぬ剣呑な目に、言われたとおりカップから手を退けた。
「どうしたの」
「毒が入ってる」
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