46 ミラー
宣言したとおり、アリアはルイと夜通し推理小説を読みふけった。
ぺら、ぺら、と紙をめくる音が部屋に柔らかく響き、推理よりも犯人よりもトリックよりも、ただただ静かな空間でルイと黙っていることに満たされる心地になった。
時折立ち上がって紅茶を入れてくれたりする時にも、目配せをしてくれる。
お互いあえて言葉を発していないことを理解しつつ読書に没頭できる時間は、軟禁だと言うことをすっかり忘れさせた。むしろ上等な時間を過ごせている気がする。
アリアは読み終わった本をぱたんと閉じた。
同時に、ルイの本も閉じられる。
ちらりと視線が合い、アリアは口を開いた。
「どうだった?」
「普通」
「そうね、普通に面白かったわ。だけど、ここの読み物は堅苦しいわね」
「だな。途中から論文かと思ったよ」
「そう思うとシロノイスって、のんびりしたところよねえ」
「王家はこっちの方がのんびりしているみたいだけどな」
ルイが苦笑する。
イアンから聞いた話を総合すると、確かにそうだ。兄王子たちと仲が良く、確執も勢力争いもない。イアンは兄弟間で争うなどおとぎ話だと言ったが、こっちのほうがおとぎ話だとアリアは思う。
ルイが若返った経緯は、エドワードとの話で察することはできた。いつもリスクに怯えるエドワードが、ルイを慕う一派を即位する息子へつけるために「死んでくれ」と頼んだのだろう。それに関して部外者であるアリアは一切口出しはできないが、それでも病に冒されない体を持つルイが、死に際に立つほどのことをしたのだとすれば、心が締め付けられた。同時に、気づく。
こうして再会してそばにいられるのは、ルイがその選択をしたからだ。
「会えて嬉しいわ」
アリアは呟く。
言えるのはそれだけのような気がした。
ルイがアリアの横顔に向けて「俺もだよ」と返す。
何を考え、どうしてその言葉になったのかを見透かしている、どこまでも優しい声だった。
「さ、そろそろ寝るか」
「そうね。何時かわからないけど」
「多分朝だろ」
「ふふ。イアンがくる前に熟睡して無視してやりましょう」
「お前、あいつのこと嫌いだな」
ルイが苦笑する。
先に立ち上がると、アリアに手を差し出した。
「好きじゃないだけよ。ゼノはいい子よね」
「まじめな奴だな。五番目なら力を抜けばいいものを」
「本当にね」
アリアは手を取ると立ち上がった。シングルベッドに倒れ込む。隣でルイも倒れ込むと、二人で小さく笑い合い、そのままぐっすり眠ったのだった。
→ → →【15】
「はあ、疲れた」
アリアは思わずぽろりとこぼした。
寝転がっていたルイがふっと笑う。
組んだ足をぶらぶらと揺らし、おなかの上に置いたアリアの作ってきたクッキーの包みに手を伸ばす。
「お疲れさん」
「ああ、口に出てたのね」
「思いっきりな」
大木により掛かったアリアがの様子を、ルイがちらりと見上げる。アリアは青空を映したルイの目を見た。
「明日、ガーデンパーティーがあるのは知ってる?」
「知ってるよ、城でだろう」
「私出たくないわ」
アリアはハッキリと言った。
妙齢の女子生徒が集められるのは、きっと誰かのお相手探しに他ならない。城に勤める者たちに身分を与える一つの機会にされてしまうのだ。実力で上り詰めることのできるシロノイスの城のなかには、身分を持たない適齢期の独身男性は多数いる。
実際、他の女子生徒は、そこでいい人を捕まえて実家の価値を上げると意気込んでいるので、前向きでないのはアリアだけだと言えた。
「出なくていいよ」
ルイが顔色を変えずに返す。
アリアはきょとんとした。
「いいの? でも昨日まで支度をさんざんさせられたのよ。ドレスも、髪飾りも、うちの人たちがとてつもなく張り切っていたわ」
「じゃあなおさら出るのはやめとけ」
「本当? 出なくていい?」
「いいよ」
ルイから穏やかに言われ、アリアは嬉しさのあまり天を仰いだ。
そのまま横にぱたりと倒れる。こつりとルイの頭に少しだけ頭が触れると、ルイは手を伸ばしてアリアの髪をとんとんと指先で撫でた。
「複雑だなあ、お前のとこも」
「どうして?」
「招待状は義妹宛のはずだぞ」
「ああ……そういうこと」
アリアはルイのように仰向けになると、空を見つめた。
そんな気を利かせなくたっていいのに、と呟く。
招待状が義妹宛に来ていたのに、わざわざ姉に、と遠慮でもしたのだろう。義妹は負い目があるらしい。彼女の母親も、亡くなった父親も、どちらの家柄も申し分のない出自だったので、どうしても序列でいうとアリアよりも上になってしまうからだ。アリアの母は身分が低かった。大恋愛で乗り越えたと周りからは聞いていたが、その大恋愛もここにきて再婚でかすんでしまったから、いったい大恋愛とはなんだろう、とアリアは密かに思っている。ガーデンパーティーも、結局は団体お見合いだ。参加などしたくない。全力で逃げたかったが、さすがに城からの招待からは逃げられなかった。けれど、ルイに「出なくていい」と言われると、あんなに陰鬱だった気持ちが一気に晴れた。出ない。絶対に出ない。
「ルイは?」
アリアが尋ねると、ルイは「いいや」と素っ気なく答えた。
「そう」
アリアも素っ気なく返してみたが、その口元には抑えきれない笑みが浮かんでいる。
木漏れ日がちらちらと泳いでいて、土のにおいや、芝生がきらきらと輝くひとときに、この上なく満たされていた。午後の日溜まりの下で、二人で静かに笑う。
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