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41 ミラー


 父が嫌いだった訳ではないのだと思う。

 アリアが嫌いだったのは、母を忘れようとする姿と、忘れてしまった姿だった。そうして変わってしまった父が、好きではなくなってしまった、それだけだった。

 新しい母も新しい妹も、好きにはなれなかった。それだけ。

 新しい弟ができても、興味がもてなかった。それだけ。


「執着心ねえ」


 ルイが呟く。


「うん。私はきっと特別な人にしか心を寄せられないんだわ。だから、その相手にだけずっと執着してしまうのかも知れない。誰かを忘れるということをする人が、好きじゃないのよ。びっくりだわ。私って薄情だったのね」

「そうか?」


 眠たそうな声で、のんびりとルイが言う。


「別に薄情じゃねえよ。何を大切にしたいのか、そこがはっきりしてるだけだろ。お前は、嫌いだの、軽蔑するだの言ってない。ただ好きじゃないって言う。優しすぎるくらいだよ」

「優しくはないと思うわ」

「ふ」

「弟が生まれたと聞いて、跡継ぎができてよかったわね、これで本当の家族ね、としか思えなかったんだもの。会ったのも一度だけ」

「父親の葬儀か」


 何でも知っているのね、とアリアは微笑んだ。

 なぜだかそれがとても安心できた。自分以上に自分を知っている存在がいることが、アリアにとっては守られているような感覚になれたのだ。


「そう。葬儀で。それ以外で私が呼ばれたこともなかったわ」


 新しい妹が嫁いでも、新しい弟が結婚しても、形式的に叔父から知らされるが「欠席でいいんだよな」と言われて「そうね」と返すだけだった。家を出て以来、家族には会っていない。父親からの接触など手紙が一年に一度、それも徐々になくなり、家を出て十年もすれば、手紙すらもこなくなっていた。

 気がつけば、家を出てからの人生の方が長くなっていた。

 叔父から「葬儀には出るよな」と聞かれ「そうね」と返した覚えがある。

 

「葬儀で会った弟はとても立派な人でね、父によく似ていたわ。幸せそうな家族だった。家族がたくさん増えていて、にぎやかで、悲しんでいて」

「お前は?」

「そうね、もう悲しめるほど近くにはいなかったから、淡々としすぎていたのかも知れない。弟に、あなたには罪の意識はないのですか、と聞かれたわ。一人でまるで被害者のように逃げて、置いていかれた家族のことを考えたことがあるのか、と」

「お前はなんて?」

「罪の意識もないし、あなたたちのことを考えたこともないわ、と正直に」


 ふっ、と一際大きく笑われて、アリアも小さく笑ってしまう。


「怒らせてしまったけど、従兄弟が言ったの。じゃああなたたちは、彼女が出て行く理由について罪の意識はないのですか、逃げ出すしかできなかった彼女のことを考えたことはあるのですか、と」

「ほー、立派な従兄弟だ。短気なお前が言う前に手を打ってくれたのか」

「そうね。だから私はただ静かに悲しそうに、相続は一切放棄いたしますのでご安心を、と言って叔父と従兄弟と帰ったわ」

「そりゃ強烈な皮肉だな。葬儀に喧嘩しに乗り込んだようだ」

「あちらから売られなければ買わなかったのよ?」


 笑い話にできるなんて、とアリアは笑って揺れるルイの髪に指を滑らせながら、ルイに感謝した。


「ありがとう」

「ん?」

「ふふ。ありがとう……なんだか、今まで一人ではできなかったことや、してこなかったことを、きちんと整理できてるような気がするわ。ルイが一緒にいてくれるおかげで」

「俺が役に立っているのなら嬉しい限りだ」

「特別なのよ」

「わかったよ」


 ルイがくすくすと笑う。


「特別って、愛おしいってことよ」

「わかったわかった」

「本当に?」

「おー、家族のように愛してくれてるんだろ」

 

 言った後、ふとルイがぴたりと固まって、ずしっと膝が重くなった。

 どうやら今まで手加減してくれていたらしい。


「待て」


 ルイが小さく呻く。

 アリアの返事を待たずに、ルイは顔を上げないまま続けた。


「今のはなしだ。なし」

「どうして」

「とにかく俺は何も言わなかった」

「はい」


 ルイはそれだけ言うと黙ってしまった。ため息が聞こえる。

 押し切られたアリアは頷いていたけれど、ルイの言葉に引っかかっていた。

 家族のように愛している。

 違う、と思う。何がどう違うのかわからないが、違うと言いきれる。

 アリアは無心でルイの髪を梳いていた。





→ → →【15】



 アリアが裏庭に行くと、いつものように大木の下でルイが寝転がっていた。

 しかし、いつもと少し違う。ルイが眠っているのだ。

 アリアはそうっと息を殺して近づく。

 芝生の上に転がっているブーツやジャケットは、まるで鎧を脱ぎ捨てているように見えた。そうして襟元をゆるめたルイが、長い足を組んだまま、腹に本を載せて眠っている。

 アリアはいつものように大木の幹の間の窪みに座ると、小さく丸まってルイの寝顔を盗み見た。


 風がさわさわと揺れる度に芝生の上に散らばった黒髪が艶やかに揺れ、木漏れ日が照らすルイの無防備な表情や、伏せられた長いまつげが綺麗だと思う。

 息をしているのか心配になるほど、造形物のように見えて妙に不安になった。

 ああ、早く目を開けてくれないかな。

 アリアはじっとその顔を見つめ、自分の膝を抱きしめる。

 どうか、はやくいつものように名前を呼んでほしい。

 ルイに呼ばれると、自分がどこにいるのかわかる。ここにいていいのだと、思える。

 ルイのそばにいてもいいのだ、と。





 アリアがうっすらと目を開けると、ルイが向かいのソファで本を読んでいるのが見えた。

 この旅で、何度もこんな瞬間がある。

 ルイに気づかれるまでのほんの数秒、その姿を盗み見ると、夢から覚めた心がふわりと舞うように軽くなるのだ。



 

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