3 船
アリアはシンプルな若草色のワンピースに紺色のカーディガンを着て、ブロンドの髪をくるくるとまとめると、臙脂色のリボンで一つにまとめた。
鏡をのぞき見て、若返っている自分を見る度に驚く。
悪い気はしない。若いと言うことは、それだけで細胞ひとつひとつが美しかったのだと気づくと、鏡の中の自分は若い顔に似合わない表情で笑った。死を知っている顔だった。
死んだと思ったけど、本当にあの瞬間は死ぬ瀬戸際だったらしい。
ルイの行動が色々と気にならないわけではないが、ルイに言ったとおり、一人で深く考えるのは無駄だと思うので、気になったらそのときに聞こう、とアリアは思った。今は目の前に突然用意された人生のボーナスステージを楽しまなければ損だ。
部屋を出ると、ルイは廊下に寄りかかって腕を組んでいた。アリアに気づき、顔を上げる。
「……なんだよ」
「びっくりしたの。なんか、こう、ごろごろしてないルイって見慣れていないから」
「昨日荷造り一緒にして丘を下って港まで歩いてきたけど。さっきも動いてたけど」
「うん。でも、ルイって、あのルイなのよね?」
「他にどの俺がいるんだよ」
「学園の廊下で見かけてた手の届かないルイよ。そうじゃなくて、裏庭にいた私の知っているルイと、こうして一緒に行動するなんて、なんだか新鮮だし、ものすごく嬉しくて」
「ふうん」
「あ、そうだ。これ」
アリアは手に持っていた臙脂色の細い紐を、心なしか嬉しそうに俯いたルイの後ろ首に掛けた。そのままシャツの襟にいれ、綺麗にリボン結びをしようとすると、ルイに手を押さえつけられる。
「ちょっと待て」
「なあに」
「何するつもりだ?」
「リボン結びだけど」
「やめろ。子供じゃねえんだぞ」
あら、子供よ、と言い掛けて、アリアは心底不服そうなルイを見て、自分の髪を指さした。
「駄目だった? 私とお揃いのリボンなの」
「別に駄目とは言ってない」
「よかった。はい、可愛い」
アリアがにこにこと笑っている顔を見上げたルイは、溜息をついてポケットに手を入れると、先を歩いた。
すでに探索済みだったらしく、迷わず食堂に入る。まだ早いせいか、同じ旅客の人々はおらず、筋骨隆々とした乗船員が朝食を取っている。ルイは一斉に集めた視線を受け止めながら「いい?」と一言聞いた。どこまでも堂々とした態度に、逆にアリアがひやひやする。
一番体の大きな男が、大きな口で笑いながら手招きをした。
「早いなー、お客さん。俺たちみたいなのと一緒でもよければ、どーぞどーぞ」
「悪いな」
全く悪びれないルイが先に入り、ぽっと空いていた窓際の席へアリアを連れて行くと、椅子を引いて「待ってろ」と言い、さっと料理を受け取りに行った。
どこの紳士だろうか。アリアは朝食のプレートを待っている少年の後ろ姿をしげしげと観察した。不思議だ。彼ならば、座って待っているところへ、恭しく給仕が持ってくるのが普通だろうに。
二人分の朝食プレートに出来立てのオムレツを乗せている料理人が、ルイに少しばかり萎縮して見えるのが気の毒だった。いくら身体が小さくても、染み着いた「人の上に立つ」空気は消えないのだろう。アリアも、学園の廊下で見かけた従者とともにいたルイには、頭を下げたくなったものだった。なるべく会わないように逃げていたので、そんな機会は来なかったが。
彼が通ると、廊下は一瞬だけ空気が膨れ上がり、その後にしんとした静けさに包まれた。
まるで水が廊下にひたひたと入り込んでくるような、奇妙な気配だったと思う。
彼は何も話さないし、ただ歩いているだけだったが、背筋の伸びた姿を誰もが目で追いかけ、威圧的でないのに身を竦ませる空気に息を飲んだ。女子生徒に至っては顔を真っ赤にして頭を垂れる者もいた。
アリアは教室の机の上でその姿を見送り、決して外で会ってはならないな、と思ったものだった。
もし頭を下げたなら、ルイは悲しそうな目で泣くんじゃないかと、本気で思っていたのだ。
若かったわ。あのころの私は。
アリアは苦笑する。
あの目から、自分のことで涙がこぼれると思えるなんてどうかしていた。
「なんだよ、笑って」
ルイが二人分のプレートを持って戻ってくる。
「思い出し笑いよ」
「ろくな思い出じゃねえな」
「恥ずかしい思い出ね」
「俺は関係ないよな?」
「うーん? うんうん」
給仕さながら美しい所作でアリアの前にプレートをおいてくれるルイにくすぐったくなりながら、適当に誤魔化す。揺れるアリアの頭をぽんと撫で、ルイはスープを取りに戻った。
ふとアリアが視線を感じて隣を見ると、隣のテーブルの若い青年がじっとこちらを見ていた。
アリアは首を傾げる。なあに、と聞いたつもりだが、きちんと伝わったようだ。青年の顔がぱっと明るくなる。
「お姉さん」
「はい、なんでしょう、お兄さん」
「早起きだね。俺だってまだ眠いのに。ようやく日が昇りだした頃だよ」
「そうね、年を取ると目が覚めるのが早くって。こればかりはもう習慣ね」
「年……?」
アリアが頬に手をやって言うと、青年は不思議そうにアリアを見た。
「お姉さんいくつなの?」
「ろくじゅ……じゃなかった、十七よ」
「十七? なんだ、俺と近いじゃん。俺、十五!」
「へえ、若いわね」
アリアが孫でも見るような眼差しで見ると、また青年は不思議そうにする。しばらく見つめ合う形になり、戻ってきたルイが二人の間にすっと入り込んで視界を遮った。
「待たせた」
「いえいえ。ありがとう」
「スープ、乗組員用の野菜スープしかまだないってさ。よかったよな?」
「もちろん。美味しそう」
「美味しいよ!」
ルイの壁から、ひょい、と出てきた青年がにこやかに言う。顔に不機嫌さを出したルイが一瞥するが、それをものともせずにルイとアリアを見比べた。
「お姉さんと坊主はどういう関係? 姉弟なの?」
ルイの不機嫌な顔が、今度は物騒なものへと変わる。
青年の鈍感さと素直さに、若さってすごいのね、とアリアは感心した。
ルイを坊主呼ばわりした人間など、きっとこの青年が初めてだろう。