37 ミラー
ルイが目を丸くする。
次いで、うろんな目でアリアを見ると弄んでいたポーンを置いた。
「お前の方が転がすのが上手だよ」
「何の話よ」
「俺の扱いがうまいって話」
「そうなの?」
「そ。俺はお前の攻撃にものすごく弱い」
「ルイを攻撃? 私が?」
「おー、猛攻だ」
「へえ?」
アリアの適当な返事に、ルイは小さく笑う。組んだ足や、くつろいでいる姿は少年のものではない。
頬杖をついたアリアは、ルイの表情を見つめた。
大きな包容力を感じる優しい瞳がまっすぐに自分に向かっていることに嬉しくなる。
ふと、呟いた。
「ルイが私を嫌いになったら、どうなるのかしら」
どうしてそう考えたのかは自分でもわからない。
ただ、アリア自身は一生ルイを嫌うことはないと言い切れたし、実際一生彼が特別だった。城が見える丘に独りで住むくらいには。けれど、人の気持ちは目に見えない。ルイからもたらされる喜びの奥に、ふいに不安がちらりと過ぎって、アリアはそれを見て見ぬ振りができなかった。
人の心に怯えたことがなかったのだ、と気づく。
「アリア」
呼ばれ、アリアは伏せていた視線を上げた。
目の前にルイが立っている。そして、両手でアリアの頬をそっと包んだ。
「……ル」
ルイ、と名前を呼ぼうとしたアリアの頬が、ルイの両手で思い切り押しつぶされる。見ると、どうやら怒っているようで、長い黒髪の隙間から思い切り目をつり上げたルイが見えた。
「お前は、本気か。本気で言ってんのか」
「ル」
「誰が、誰を嫌いになると? 俺が、お前を? 冗談にしても笑えないぞ」
「ル」
「聞け。いいな? 俺がいつからお前のまわりをうろついていると思ってる。ことごとくお前の人生の邪魔をして、幸せになれたかもしれない道を潰して、こうして道連れにするくらい執着してるのに、いつどこで嫌いになれるんだよ? これから先だってありえない」
「……」
「ちょっと待て」
「……?」
「俺、あいつに似てるな」
「……ん」
アリアが軽く頷くと、ルイは息を吐いて小さく笑った。アリアの頬をむにむにと柔らかくなでる。
ようやく話せるようになったアリアは、自分に呆れているようなルイに向かって小さな声で話しかけた。
「確かに、似てるわね」
「いや、薄々わかってたけどな?」
「しかたないわ」
「血は争えないってやつか」
「でも似ていても、決定的に違う」
「ふうん?」
ルイが悪戯に目を細める。
その表情で、アリアはからかわれていることに気づいた。これはもしや何らかの仕返しなのかもしれない。
アリアは頬を包まれたまま、ルイを見つめる。
「本当よ。だってあの人にできないことがルイにはできるもの」
「たとえば?」
「私を大切にしてくれた。私の喜ぶことを、私のために」
「? 覚えがない」
「一年に一度会えたわ」
ルイの目が静かに、小さく揺れた。
「ウルトイルで再会できたとき、どれほど私が嬉しかったのか、知らないんでしょう。一年に一度、あなたが休みを取る頃に合わせて、会いに来てくれるはずと思って旅に出ていたなんて、考えたことはある?」
「……いいや」
「特別だって何度言ったらわかってくれるの」
「怒るなよ」
「怒ってないわ。拗ねているだけよ」
「ふうん。可愛いな」
「!」
至極真顔で言われ、アリアは一瞬にして真っ赤になった。
ルイが無邪気に笑う。
「セーフ。お前の猛攻で終わらせなかった。あー、俺も成長してるな」
「私が今のどこで攻撃したの?」
「全部だ、全部」
ルイはアリアの頬を親指で撫でる。
なんというか、子供扱いをされている気がした。けれど嫌ではないのだから妙な感じだ。
しばらくされるがままになっていると、ルイが呟いた。その顔は満たされているように神々しい。
「なんていうか、あれだな。いい感じだ」
「なあに?」
「ん、いやこっちの話」
「嬉しそう」
「そりゃあな。こうなるまでに何年掛かったと」
言い掛けて、ルイは口を閉じた。
甘みを含んでいた目がさっと怜悧なものへと変わる。
次の瞬間、ガチャンと鍵の開く音がして、扉が開いた。
「ごめん、どうにか抜け出してこれたから今」
いいですか、と尋ねてきたイアンの声がそこでぴたりと止まる。
扉に背を向けているアリアにはどうなっているのかはわからないが、空気がわずかに硬直した。
アリアが見上げているルイの顔が、イアンにゆっくりと向かう。綺麗な目を細めて、それから口元に艶やかな笑みを浮かべた。アリアはそれをぼんやりと見上げる。頬を撫でる親指に、なぜかぞわりとしたものが背中を這った気がした。
「……あ、あのー」
「? 早く入れ、イアン」
「いや、ちょっと待って、ゼノさん、待って」
ゼノの声とイアンの焦った声が聞こえた途端、ルイはすっとアリアの頬から手を離した。
「よお、ゼノ」
ついでに、髪を梳かれて行く。
意味を含ませるようなその仕草を、アリアはぼんやりと目で追った。
「あ、あー。お待たせしましたあ!」
イアンが異様に元気よく言う。ルイはアリアの隣に座り、扉の前で硬直している二人に、向かい合わせのソファに手を向けた。イアンがそそくさと先に座り、固まっていたゼノはアリアを見てほんの少し顔を赤らめ、ソファに座る。すぐに頭を下げた。
「ルイ、今回は妹のジゼルが申し訳ないことをした」
「お前王子だろ、一般市民に軽々と頭を下げるな」
「あ、ああ」
「いやー、王子様を前にしてその態度を貫くルイルイが一般市民を名乗っちゃダメでしょ」
「妹の教育係は常識も教えないのか」
「俺のことはすごくスルーするね!」
まじめに聞くゼノと、静かに問いただすルイと、合間にふざけるイアンを、アリアは再び静かに見守るのだった。




