36 ミラー
「本当にごめん!」
両手をパンと合わせ、イアンが頭を下げた。
あの寒々しいお茶会から救ってくれたことはもちろん感謝しているが、ルイはどう見てもイアンに対してその「感謝」を持っている様子はないので、アリアは黙っている。
ジゼルがショックで口を閉ざした一瞬の隙をついて、イアンはルイの肩を抱き「じゃあ俺が預かるから」とルイとアリアを彼女の庭から連れ出した。今回はこちらのせいなので、と拘留施設送りにはならず、第五王子であるゼノが使っている塔の、さらにイアンの私室の隣の部屋に二人とも案内された。シングルのベッドが二つに、テーブルとソファと、小さなキッチンもついているシンプルな客室だ。
アリアもルイも隠されているのだろう。
叱られる覚悟をしろ、と脅していたが、きっとイアンとゼノだけで対応するのかもしれない。
「お前とは話さない」
ルイがソファに座ったまま静かに言った。
イアンは下げた頭をそろりと上げる。
「すっごい怒ってるよね?」
「……」
「わあ、怖い」
「ゼノと話す」
「うーん、うん。そうだよね。俺もさ、妹の不始末は兄が頭を下げるべきだと思うよ? でもゼノは今もだけど、事後報告とか色々と忙しくってさ。まあ、あの、身元引受人の方にはもう連絡したし、こっちに向かってくれるだろうから、最悪、最悪ね? 三日くらいここにいてただけたらなあ、と」
イアンが必死で説明するのを、ルイはため息で返した。
「ゼノと話す」
「……はあい」
「それから」
「えっ、なに?」
「アリアに謝罪を」
「アリアさん、今回の件は、ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません」
ルイの時よりも懇切丁寧な謝罪を受け、アリアは少しだけ笑んだ。
なぜかひいっと小さく叫ばれる。
「こちらも怒っていらっしゃる!」
「さっさと行け」
「あ、はい。で、重ね重ね申し訳ないけど、この部屋からは」
「出ない」
「ご協力感謝します」
イアンはぺこぺこと頭を下げながら、部屋から静かに出ていった。
しかし、その後のガチャンと鍵の閉まる音を聞けば、彼は意外にもしっかりとした兵士らしい。アリアは隣に座るルイを見た。視線が合う。
「大丈夫か?」
ささやくような小さい声で聞かれる。
アリアは笑顔で頷いた。同じようにひそひそと話す。
「平気よ。素敵な紳士が守ってくれたおかげでね」
「ふ」
「見張りがいると?」
「さあ、どうだか。まあ軟禁で助かったな」
「そうね」
ここはルイの母方の実家でもある。国交だって盛んな国で、ルイの顔を知っている者がいてもおかしくない。それどころか高確率で遭遇しそうな場所だ。
アリアはルイの横顔を見つめる。疲れよりも苛立ちの方がその透き通った目に見えた気がした。
「ん?」
「イアンにずいぶん怒っているのね」
「ああ……俺の名前をあれに教えたのは間違いなくイアンだろうからな。行き先も教えたんだろ。じゃなければあんな似素早く対応できるわけがない」
「まあ、そうよね」
港でイアンとゼノと分かれてから約三十分ほど。
あの可憐な少女であるジゼルは、その時間でルイとアリアの足止めに成功したのだ。
「やっぱりあの子、賢いわよね」
「……」
「でも、なんだか誰かを思い出すのよ」
「エドだろ。楽観的な」
「ふふ。それだわ。楽観的」
「笑えないぞ……」
「それにそても、あの子の猪突猛進さを知っているイアンがどうしてルイを差し出したのかしら。もしかして、密貿易の方をまだ疑われてるの?」
「いいや。あれはうまいこと処理したいだろうから、これ以上ややこしい登場人物はむしろいらないだろう。俺たちの身元引受人にあるキースの名前を知っていれば、本来なら関わりたくもないはずだ」
「じゃああれね。あの子がルイに一目惚れでもしたのね」
アリアがあっさり言うと、ルイはちらりと視線だけを寄越した。
じっと観察するような目でルイが不思議そうに呟く。
「どこがポイントなのかわからないな」
「? なあに?」
「いいや。とにかく、キースならすぐに動いてくれるだろうし、ここでダラダラするか」
「そうね」
アリアは小さなキッチンで紅茶を煎れて、ルイと時間をつぶすために部屋で見つけたチェスをしてみたが、うまくあしらわれて負けた。それも、アリアのしたい一手は必ず許してくれた上で負ける。まるでチェスを教えられているようで、いくら負けようとも不思議と面白かった。越えられるハードルを絶妙な場所に置いてくる。ルイは淡々と相手をしてくれているが、アリアがハードルを越えたときには目を細め、褒められているような心地になった。
「ふう」
アリアは負け続けながらも満足なため息を吐いた。頬が少し紅潮していて、目はきらきらと輝いている。ルイがくすりと笑う。
「勝負事好きだったんだな」
「うーん、そんなこともないけど」
「短気だもんな」
「そう。でも、ルイとするのは楽しいわ。上手に転がしてくれるんだもの。こう、何度もぶつかっていくのは意外と楽しいのね」
「お前ってすごいよな」
駒をふらふらと揺らしながらルイが言う。
「負け続けているのに?」
「そうじゃなくて、どんな状況でも脱力できるところが、だよ」
「それは褒められているのかしら」
「間違いなく褒めてる。俺が冷静でいられたのも、お前が馬車でのんびりし始めたおかげだし、あのお茶会もどきではお前があきれ果てているのを隣で感じていたら妙におかしくなった。絶対、あいつに似てるって思ってるんだろうなって。今も、軟禁されてるのに負け続けるチェスを楽しめてる」
「あら」
アリアは頬杖をついてルイを見上げる。
「それはルイが一緒だからよ」




