35 ミラー
桃色のドレスは控えめだが上等な物らしく、彼女によく似合っている。
それは、姿勢や所作や微笑みかたなど、相応の教育を受けてきたことがにじみ出ているからだろう。子爵家の出自であるアリアには、その少女がどれだけ教育係に鍛え上げられてきたのかがよくわかった。なんせ、ミラー国の王女様だ。
「ごめんなさい、ルイ様。突然来ていただいて。こちらは私が使っている塔ですから、気兼ねなくくつろいでくださいませ。小さいですけれど、自慢の庭なのです」
頬を染めて上品に目を細める少女は、とてもいじらしい。
ふわふわのプラチナブロンドの髪や、うるんだ瞳も、とてつもなく可愛らしかった。
あの地味なゼノの妹にしては存在自体が華やかすぎて、ああ、ゼノも本当に王子様だったのね、とアリアは思う。この子はウルトイルのパブにきっと馴染めないだろう。
「さあどうぞ、紅茶でも」
少女は可憐に見えるが、きっとそうではない。
「それでルイ様は、どうしてミラーへいらっしゃったの?」
にこにこと微笑む少女は自慢の庭の中にあるテーブルセットで、優雅にアリアとルイをもてなしている。
「お兄様とはどこでお知り合いに?」
アリアは感心した。
ここに連れてこられ、座らされ、紅茶を振る舞われてはいるが、アリアもルイも手をつけていないどころか、一言も返事をしていないというのに、流れるように会話らしきものが続いている。
なぜだか恐ろしく既視感がある。
相手が自分の舞台に同じように立っていると本気で信じている、この感じ。
エドワードだ。
「先ほどまでウルトイルに行ってらっしゃって、心配していたんです。イアンが一緒だから大丈夫でしょうけど、私は待つことしかできなくて心配で。だから港までお迎えに。そうしたら、あなたもいた。ぜひあなたとお話がしたくて」
すごいわ、この子。
アリアは再び感心する。
本気で言っているのだ。エドワードと似ているが、あれは悪意があって、それをしっかり自覚しながらやっているが、彼女は違う。全く悪意や敵意はなく、本当に純粋に、ルイと話がしたいから連れてきたと言っている。なるほど、ゼノが全力で逃げろと言っていたのは、こういうとことなのだ。
こういう相手はやりにくい。
アリアも黙っているが、ルイもずっと黙っている。
ふたりとも愛想よくなどしていないし、むしろ無表情だが、少女もメイドもなぜか和やかだった。
ここが少女のプライベートな敷地であれば、ゼノはいつ頃気づいてくれるのだろうか。
帰ってきてふらふらなどできないはずだ。なにより、ウルトイルでの面倒な密貿易について、事後報告や話し合いを持たなければならないだろう。ここを突破しようと、全力で走って庭から逃走しようとしても、もう関門は通れない。ミラーの国の中で逃げていられるのも時間の問題だ。とにかく話が通じる人間がいなければ。そして、あの二人のうちのどちらかが気づいてくれるまではひたすら彼女のお茶会に参加していなければならない。ルイがじっと座っているのもそう判断しているからだ。そこまで考えて、ああ、でも面倒くさい、とアリアが呟きたくなったとき、脳天気な声が庭へ響いてきた。
「うわー」
端から見れば麗しいお茶会にも見える光景に届いた救いの声の主は、イアンだった。
よれたシャツをだらしなく着て、紐のほどけたブーツを履いているイアンは、まるで自分の庭のように歩いてくると少女の肩に手を置いた。
「ジゼル、ゼノに怒られる準備しとけよ~」
「ひどいわイアン。お兄様は私を叱ったことなどないのよ」
「じゃあ今回が初めてだな」
「そんなまさか」
ジゼル、と呼ばれた少女は大きな瞳を見開いて本気で驚いている。
イアンは肩をすくめてルイを見た。
「ごめんね、ルイルイ。こう見えてかなり猪突猛進の王女様でさ」
「イアン」
「うわー。めちゃくちゃ怒ってるじゃん」
ここにきて初めて口を開いたルイを見て、ジゼルが再び頬を染めて「なんて素敵な声なの……」などと呟いている。驚くほど防御力の高い少女だわ、とアリアは小さく息をついた。知っていたが、若さとは本当に無敵だ。
「君は黙ってなさーい」
「いつも失礼ね」
「あのねえ、ジゼル。関門を通ろうとしている人をわがままで連れて来ちゃいけません。おかげでルイ達は、身元引受人の人が来るまでここに拘束されることになるんだよ? 君の勝手でしていいことではありません。言っておくけど、ゼノだけに叱られるならいいほうだ。他のお兄様方と陛下からも叱られるお覚悟を」
やんわりと言い含めていたイアンが、最後に無表情にジゼルを見た。
ジゼルは息を飲んで青ざめる。
アリアはそっと、その表情を観察した。
関門で通されなかった人が、不審者として拘留施設で身元引受人が来るまで拘束されることを知らないわけではないだろうに。そしてイアンも、彼女自身がそれを知っていてなお、ルイを引き留めたことをわかっているはずだ。
イアンはじっとジゼルを見下ろす。
「ジゼル、二人に謝罪を」
「でも、私が手違いだったと言えば」
「この国は法を厳守する。ただでさえ他の国々への入り口だ。特例もなにもないよ」
ジゼルは青白い顔のまま、瞳を震わせた。
しかし、同情はできない。
なぜならば、この子は可憐に見えてそうではない、とアリアの女のカンが言っているからだ。
純粋無垢ではあるが、愚かで浅はかなタイプではない、悪意のない女版のエドワードなのだ。
そう。甘く見てはならない。




