34 ミラー
ルイとキースがほぼ兄弟同然で育ったことを、アリアは列に並びながら聞いた。
それはそれは、本当の兄よりも兄らしい、穏やかな好青年で、忠義心の強い人であったと言う。それでも、ルイが望めば気安く接してくれ、ルイがエドワードからのプレゼントを受け取るのもいい顔はしなかったが、きちんと渡してくれたそうだ。ベッドで苦しんでいるときも適度に一緒にいてくれ、どんどん耐性がついてくると、自分のことのように安堵し、同じ目線で兄を馬鹿にしてくれたのだと、ルイは遠い目でどこか嬉しそうに言った。
キースは、ルイの防波堤になってくれていたのだろう。
アリアは心からほっとした。
あのエドワードが、ルイからキースを奪わないでくれたことに感謝できるほど、ほっとした。
関門の列が徐々に前に進む中、ぽつぽつと聞けたルイとキースのささやかな日常の話に、アリアは嬉しくなる。
きっと、話せないことのほうが多いはずだ。
けれど、ルイはアリアが聞いてもいい話を楽しげにしてくれる。それが嬉しいのだ。
「私、彼と話をしたことがあるの。知ってる?」
ふと思い出して聞くと、隣に並んでいるルイはアリアを見上げて首を横に振った。
「いいや。初めて聞くな。いつだ?」
「学園で。廊下ですれ違ってね、他に誰もいなかったからでしょうね。いつもありがとうございますって穏やかに言われたの」
「ふうん? で?」
「なんのことかは知りませんが、こちらこそいつもありがとうございますって言ったら優しく笑われたわ」
「お前らしい」
ルイが笑う。
その顔は、いつかのキースの笑いかたに似ているような気がした。
ふと、列が大きく動き出す。団体が一気に門を通過できたのだろう。適度に距離を取っていた人々が、足を再び動かし始める。この先はフオルロンの自治区になっていて、そこを目指している滞在者達はバッグを片手に、山脈の隙間である「谷」と呼ばれる場所を通る者は腰に小さな装備をつけた慣れた軽装姿だ。ルイもアリアも、そのどちらでもない。荷物はアリアのポシェットだけで、格好はカジュアルだけれど着慣れていて姿勢の良すぎる二人は、どうみても「谷」を通る越境者でもない。
けれど、身分証があれば何の問題もなく通れるのでアリアもルイも何も気にしていなかった。
せいぜい、ちらりと身分証を見られて、名前の確認とどこへ行くのかを尋ねられて終了だ。
アリアとルイの番が迫る。
屈強な石造りの門と、きっちりと軍服を着込んだ門番がずらりと並んでいた。その中を怯えずに進み、再奥の机でじっと座っている上官らしき男に身分証を見せる。
アリアは、まるで難解な文章を読むように身分証を見つめる男を不思議そうに見た。
何も質問してこない。
隣で、ルイがさっとアリアの手を取った。
見ると、口元に人差し指をやり、とんとんと二回叩く。アリアは険しい顔のルイを見て、小さく頷いた。
そのすぐ後だった。
男が手招きをすると、机の横の扉から三人ほど屈強な男たちが出てきて、アリアとルイを連れ出したのだった。
馬車の乗り心地は思いの外悪くはない。
がたごとと揺られているが、道は舗装されているのか派手に揺れないし、きっと御者の腕もいいのだろう。
アリアの目の前に座るルイは、許可証をぱしぱしと手のひらに叩きながら、何も見えないように黒く塞がれた窓をじっと見ていた。
三人の男に連れ出されている間、ルイは一言も発しなかった。しかし、アリアの手をしっかり取り、誰か一人でもアリアに触れようとするとすかさず睨み上げ、鉄壁な守りに徹した。屈強な男等はルイの行動に何度か顔を見合わせていたが、一切引かないルイの目にどこか怯んだように、丁重に門の裏口から馬車に案内してきた。そうして乗って揺られて、もう三十分ほどだ。
いつまで黙っていたらいいかしら。
あれからアリアも口を閉ざしたままだ。
ルイであれば、アリアを心配させぬように説明してくれるだろうが、こうして一言も発しないのを見ると、したくてもできないのだろう。耳を澄ませているかもしれない御者に、言葉の端々から素性を探られるのも避けたいはずだ。
アリアはじっと待つ。
この後の展開は知識としては知っているが、どこに連れていかれるのかわからない限り、どんなに対策を講じようとしても無駄だ。取りあえず気を張るのも疲れるし、のんびりしていよう。
アリアが姿勢を崩すと、ルイがふっと笑う気配がした。
見ると、ルイも姿勢を崩してアリアを見ている。表情がようやく和らいだいつものルイに、アリアは目を細めた。お互い無言ではあるが、まあ、どうにかなる、と伝えあうことができた。そう、どうにかなる。本当に嫌なときは、全力で逃げればいいのだから。
と、徐々に馬車の速度が落ちてきた。
ルイと視線を合わせる。
取りあえず、正確な状況把握をしよう。
アリアは頷いた。
ドアが開き、一瞬目がくらむ。
しかし、開けた視界で見た光景に、アリアは絶句した。
二人で降り立った場所は小さな庭園だったが、その奥にはどう見てもあの船から見た荘厳な城があったのだ。そして、馬車に走り寄ってくる見覚えのある可憐な少女。
少女は頬をバラ色に染め、ルイの名前を呼んだ。
ルイ様ぁ、と呼ばれたルイは思い切り顔をしかめる。
ああ、面倒なことになったわ。
ゼノとイアンに入ってもらえばどうにかなるだろう、と一瞬考えたが、何故か頼りない二人しか思い浮かばず、アリアは妖精のように軽やかにやってくる少女をうんざりと見つめることしかできなかった。




